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▼Lao Tzuさんへ
>こういうことは一人の先生が抱えるような問題では無いと思いますので、zeroさんに対して言うつもりではないのですが、ASであろうと普通の子供であろうと同じように柔軟に受け入れて対応できな現在の教育システムが問題なのです。
>本来人間にスタンダードなんてありません。ですから学習指導要領なんていう枠に当てはめて勉強させること自体がおかしいのです。
>日本は単一民族国家ですので学校にしろ会社にしろ毛色の違った人が入ってくると上手く機能しないシステムになってしまっていますが、多くの民族や宗教の違いを抱える国の教育システムならば、ASの子も普通の子も問題なく同じ教育が受けられる筈です。
本当に、そうですね。
今だって、身体的な障碍、ADHDなどの障碍を抱えた子がいるクラスでも、
なんの問題もなく、授業を進められるクラスもあります。
あたりまえのように、いろんな子を受け入れられている所があります。
私たちは、そういう所から、もっと積極的に学び、
また、国全体がそういう姿勢をもつために、
はたらきかけていくことが必要なのですよね。
>問題行動と言ったって、いったい何を基準に問題行動としているのでしょう?
>授業をおとなしく聞けない子が居るのなら、それは授業のやり方が悪いのだと思います。
うう、それは痛いお言葉です。
私もまだまだ新米で、「子どもが自分から集中できる授業づくり」に奮闘している段階です。
問題行動の基準。。。それも、難しいお話です。
細かいところまで、見ていけば、
どの子にも必ず問題行動がありますしね。
安易に言ってはいけない言葉ですね。
すみません。
>
>私自身の話はあまりしたくないのですが、私は読書障害があるので教科書だけを使って教える小中学校の授業などは全く意味を成さず、いつも授業を妨害したりクラスを飛び出して隣のクラスに乱入していました。先生から帰れと言われてそのまま帰ることも度々ありましたし、同級生とよくケンカをして傷だらけでした。10人以上を相手に一人でケンカ(今で言うといじめ?)することもあったのですが、私が凶器(椅子など)を振り回して応戦すると先生は必ず私一人を悪者にしてつまみ出し、正座させたり給食のアルミ製おぼんで頭を叩いたりしました。
>その頃はASどころか読書障害さえ知られていなかったので、私が何を言おうと相手にしてもらえない雰囲気だったのです。
>でもそれってASの私がいけなかったんでしょうか?
>私は、自分達の知っていることが全てで絶対だと思い込み、柔軟性の無い教科書だけで授業を進めるような教育システムを作り上げた文部科学省や大人たちがおかしいのだと思います。
>
>そんな思い出したくも無い学生時代でしたが、ひとつだけ私の支えになったこともありました。小学校3、4年の時、同級生や先生達から攻撃されて一人でストレスを抱えていた私の事を気にかけて、声をかけてくれた一人の女性教師がいました。その人は放課後に話しを聞いてくれて、言葉に出来ない気持ちをいっぱい抱えて泣きじゃくるだけの私を抱き寄せ、ずーっと泣かせてくれました。そういう暖かさを味わったおかげで私はいままでやってこれたのです。
>だから学校というのは、本で勉強を教えるだけのところじゃないんです。
つらい経験を書いてくださり、ありがたいです。
「学校というのは、本で勉強を教えるだけのところじゃない」
その通りだと思います。
いろんな言葉が心にしみました。
>ですから学校や先生には、自分達の扱っているのが人間だということをもう一度考えていただいて、どんな人間でも受け入れることのできるバリアフリーな教育システムを作り上げていって欲しいと思います。他の子供達にもそういうダイバーシティーの環境を受け入れる重要性を教えていくことが必要だと思います。
>頑張ってください。
がんばります。
Lao Tzuさんと同じことを考えている人は、教員にも、たくさんいると思います。
この問題以外でも、今の教育界、
いろいろな問題を抱えています。
間違っていると感じたら、見過ごさず、立ち上がって上層機関に意見を述べる先生方もたくさんいらっしゃいます。
私もそのような教師になりたいと思います。
子どものことを一番に考えて、行動していける先生になりたいです。
その前に、はやく、正規採用されたいです・・・(T_T)
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