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penpen 様
私も幼時から屋外では目を瞑ったり顔を顰めたりする癖があったので、わざとふざけてそうしているのではないのかと勘ぐられて、両親からしばしば咎められたものです。また、余り家の外に出たがらないので、弱虫とか怠け者などと叱言を言われ通しでした。けれども、度重なる献血不適格の判定によって、私の体質が本態性低血圧と理解されたのは、既に二十歳を過ぎてからのことでした。また、眼科医の診断書の提示によって、私が両親の意向に逆らって、机を窓際から移動したり、夜間部屋を余り明るくしたがらないことや、日中の外出の際の黒眼鏡の着用等について、他の親戚と同様に中度の近視である両親の不審の念と怒りが解けたのは、私の二十六歳のときでした。それまでは、殆ど毎日のように不毛の口論が続いていたのです。そして、嗅覚及び味覚の過敏についての問題も同様に深刻であり、まさに家に居られなくなった一因のように思われるのです。一例として、自然解凍した海老の匂いと並んで最も耐え難った、生焼牛肉の問題の方は、森林伐採反対を理由とする反肉食主義の主張によって、どうやら片付けることができました。
さて、>アスペルガーの人は哲学に向いてるように思います。ものごとを突き詰めて考えるのが好きだからです(と憶測しますが・・・)<という御見解に反論を申し上げます。
いわゆる哲学史に残っているような哲学者には、殆どASの傾向が見当たらないのです。単に自己の感性と思考に忠実であるばかりでなく、いわゆる複眼的思考をも為しえない限り、哲学者として大成し得ないというのが実情ではないのかと思われるのです。Ludwig Wittgenstein がASの例として著名ですが、業績からすると論理学者と見做した方が適切ではないでしょうか。彼の師のバートランド・ラッセルは、数理哲学関係の諸著作と『幸福論』という半分ふざけた本の他にも、ロシア革命について最良の考察を著しているのです。その一方では、歴史及び政治問題について、言葉の上っ面に囚われ、単眼的解釈しか為し得なかった哲学者も大勢いましたが(アレクサンドル・コジェーヴ、M.メルロー=ポンティ)、だからといって、彼等がASらしい逸話を残しているわけではないのです。
つまるところ、単なる主観的誠実さだけではなく、他者の状況を捉える想像力と感性を有さない限り、思想というものは唯の独りよがり以上には成り得ないということになるのでしょうか。
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