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アンパンマンさん
>そうすれば人がどれだけ現実に押しつぶされているのか分かるようになります。
>人間の感性というのは、僕みたいに将来の不安に襲われていないなら、心に余裕があることになります。
>だからそうゆう人はどうしても浮いたことを言ってしまうのです。
>たとえば自分の心の病気を人に自慢したり。
>例「俺鬱病!パニック障害!」
>当時は自分がおかしいことを言っているのに気づかず、自分の心の病気を自慢していました。
私がかきこんだくせという表現は適切ではなかったようです。ごめんなさい。
自分のことをみんなが否定しているんだと感じる時、自分に押し寄せてくる不安
にうち勝とうとして、自分で気づかずにいろんな事をやってしまうということなのですね。冷静な判断ができなくなってしまうという意味ではパニック状態と言えるのでしょうか?
私が関わったお子さんですが、声をかけられること=批判されるように感じて、怒り出す、暴言を吐く、暴れる、逃げるという反応をする男の子がいました。それまでの関わりが全てそうだったということだということに気づかされ、まず、命令・指示の言葉だけでなく促しもしないけれど、落ち着くまでそばにいて待ち、次にすることをスケジュールを伝える秘書?のように情報を発信することで、こちらの言葉に耳を貸す、時には友達とつながる時の通訳?として保育者の存在を認識するようになりました。援助する側も実はとても手探りなのです。
>だけど世の中本当に単純な人が増えましたね。
>最近の一般人は理屈ではなく感性だけで行動していますから、自分がちょっとおかしいと思ったことはすぐ指摘しますからね。
>思うのは勝手ですが指摘して笑い者にするのは辞めていただきたいですね。
確かにそうですね。異質なものをばかにする、笑い者にする人たちの心の成り立ちを考える時、その精神的な土壌はなんなのだろう?と思わされます。自分と違うことを認識し、違うことを不安に感じ、反発するということは当たり前のことです。小さな子どもであれば感じたままに違いを言葉にすることも当然あります。チェックする必要があるのはその子の言葉の中にそのことを批判の対象としてアンパンマンさんの言うように笑い者にして、自分より劣った者として辱めようとする感情がふくまれていないかどうか?なのだと思います。そのへんの心のひだにちょっとひっかかりながら子どもとやりとりをしていると、「○○ちゃんってすぐ怒るからいやなの」など自分の気持ちを言葉にしながら、おこりんぼだけどいいところもあるみたいなことに自分で気づき、関わりがうまれてきます。そうしてつながり感みたいなものを感じて、互いに安心していくのだとおもうのですが。そういう援助がむずかしいのが現実なんでしょうね。子どもたちの学校という社会をみていると、とても大変そうです。子どもたちが自分の思いをどうだしあって、わかりあっていくのかなどということにまで気持ちをむける余裕が先生方にはないのかも知れません。(そこが一番大切だとおもうんですが・・)
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