1秒間に地球を7回り半のスピード という光の乗り物は
眞の宇宙では  のろまの のろすけ!
人間の美しい心こそが そんな宇宙への 扉を次々に開くことのできる唯一の鍵
さぁ その鍵を胸に 光より速い乗り物に乗り
美しく磨かれた魂なら 誰でも入れる無光門の世界へ… 
人間は そんな宇宙を旅する存在になれる すてきな心の持ち主なのだから
塙 珠世

「宇宙への扉・無光門」(’98)

  思量の深遠は深層の時空世界に顕現する。こんな時空の世界は憐情や慈祥の縮重する愛という次元と、素心や謙譲の縮重する真の次元が交錯する深層の宇宙である、と塙は言う。
   「宇宙への扉・無光門」(’98NEXT展)は、まさに塙の愛と眞の次元の中に構成された深層宇宙への壮大な劇空間である。地上の様相はなぜか巨大な半円状の空洞であって、その空洞は多数の人間の哀歓や思惑が混淆する虚の空間として描かれている。実のない混淆の現実は不完全な半円の空間でなければならない、と塙は虚実の実体を提示したかったに違いない。500号の大作、宇宙への扉・無光門の遠大な劇空間の物語はこのような混淆する虚の空間から幕が開けられる。
  理性と本能の相克は人間の深層の混淆でもある。こんな相克は愛と眞の次元のうちに浄化されて、磨かれた人間の本性である美しい清澄の魂に昇華されなければならない。そうした魂の昇華の度合は、より高卓の規範によって審問を受ける、と塙は言う。高卓の規範こそ龍なのである。高卓の規範は女神からの受戒を受けて、哀歓や思惑の充満する虚の空間から新たな次元に入り来るそれぞれの魂を評定する。そんな女神とは愛と眞から成る深層時空の、つまりは塙の心象宇宙の絶対なる実体の使者なのである。絶対の使者である女神はその優しく穏和な手の片をさしのべて、清澄の魂を愛と眞の世界に招き入れて、それが画面左上に厳荘として表現されている。こうして相克の混淆は高卓の規範に純化され、そして審問されて美しい清澄の魂となる。そんな魂は透徹した水晶の珠に投影され、それが塙の深層時空の真の存在を象徴する。
   塙はまたいくつかの扉を提示する。しかしこの扉の意味はなぜか謎めいていて難解である。高卓の規範が評定した魂のみが許されて出て行く扉なのか、それとも入るそれなのか。またの扉は絶対の使者である高潔の女神が愛と眞の時空から、さらなる高次元へと魂を招撫させるためのそれなのか。そして最後の扉は愛と眞の時空世界を超越するような高次元の世界、恐らく塙はこんな世界を天国と意味づけて深層時空に描いたものと考えられるが、そんな世界への飛翔を約束するそれなのか。いずれの扉も塙の豊かな感性の創造であることに間違いはないが、それが極度に深層の世界に抽象化して具現されているがゆえに深い謎となって問いかけてくるのである。しかしこの謎も、いずれの扉をも鮮烈に透過してゆく光束にある、とすれば解けなくもない。
  塙は光束を描くことで絶対時空の存在を主張し顕現している、とこの謎を解くのである。愛と眞の時空は光束を媒介して彼方の絶対時空と融合する、その融合の時こそ真理の存在を証明することができる、と。この真理こそ絶対時空そのものであり、そんな時空は現実の光の存在すらも感得不能な清澄無為の光なき光の世界、まさに無光門の向うの世界なのである。こうした塙の深層世界のドラマは永遠に演じられて終ることがないだろう。