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Chiquititaさん
「自分で蒔いた種は自分で刈り取れ」ですか。重たい言葉ですね。フローム渡哲也さんでしたか。うーむ。僕も若い頃、「他人は自分の鏡」という言葉を聞いて愕然としたことがありますね。「過去と他人は変えられない。でも、自分は変えられる」
うーむ。今でも「鏡の法則」って、野口さんのサイト(本?)が爆発的な支持を受けてるようですね。これっつっこんで考えると、何でもかんでも罪という罪が黄色いボンドみたいに僕たちの全身にへり付いてきて、何を考えるのもおおっくになっちゃう、そうか、みんな、俺が悪いんか? 俺の蒔いた種か? と自己否定の恐怖の絶壁に追いつめられる危険がある要注意言語なんですよね。人の世と生を植物に例えるのって、いわゆる阿羅耶識って仏教の思想から来てるんでしょうね。ただし、僕は仏教抜きで考えたいですね。
『罪なき人々(確か別名、夢遊病者たち)』を描いたヘルマン・ブロッホは「ナチ専横下の数々のヒューマニズムの逸脱行為に対して、全てのドイツ市民は意識下に世界ではその罪から無実だが、無意識下の世界では全てギルティである」と言ったそうです。ボードレールの万物照応で五感が共感し合うように、人の罪と人の罪が交感しあって、全ての人が全ての人に対し全ての罪に責任を持つ──そういう時代くれば、いくらか僕たちも救われるのじゃないかな。なんて考えたりします。
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