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[#32755] ASの男性の方、見解を教えて下さい memento 10/1/16(土) 16:49 [未読]

[#33068] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/2/22(月) 2:05 [未読]
[#33082] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/2/23(火) 12:42 [未読]
[#33084] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/2/24(水) 1:49 [未読]
[#33127] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/2/28(日) 20:59 [未読]
[#33144] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/3/3(水) 6:48 [未読]
[#33221] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/3/16(火) 0:52 [未読]
[#33242] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/3/18(木) 22:39 [未読]

[#33068] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/2/22(月) 2:05 -

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   ▼ことりさん:

こんにちは。

早速の返信を有難う御座います。大変役に立ちます。また後日、返信をさせて頂きたいと思っていますが、その前に、ことりさんに2点教えて頂きたい事があります。

1.記憶についてです。

記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?

2.個性と障害についてです。

ことりさんは「個性とは?」「障害とは?」と聞かれればどのようにお答えになりますか?

教えて頂けると大変ありがたいです。

[#33082] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/2/23(火) 12:42 -

引用なし
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   ▼タイムさん:

こんにちは。
お返事ありがとうございます。

>早速の返信を有難う御座います。大変役に立ちます。また後日、返信をさせて頂きたいと思っていますが、その前に、ことりさんに2点教えて頂きたい事があります。
>
>1.記憶についてです。
>
>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?

今、頭の中に浮かんだ概念としては
「パソコン(私はWindowsユーザーです)のアイコンに、画像がついているかついてないかの違い」でしょうか。

私は、PC用語に不案内なので、説明が不正確なら申し訳ないのですが・・・

私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。

そして、jpgファイルやエクスプローラの「お気に入りファイル」には、その内容に関する画像がアイコンとして表示される事がありますよね。 「自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」というのは、アイコンのところに中身の画像がついている状態なのかなと想像しました。


>2.個性と障害についてです。
>
>ことりさんは「個性とは?」「障害とは?」と聞かれればどのようにお答えになりますか?

「個性と障害は紙一重」だと思います。
あまり大きな違いはないのではないかと。

実は、私、職場のパワハラ・セクハラで体調を崩し、その後の回復がはかばかしくないので医療費低減目的で「障害者自立支援手帳」を申請し、受理されました。ですから、私自身も障害者なのです。

自分が「障害者」と呼ばれる立場になるとは想像もしていませんでしたが、実際になってみましたら、たいして何も変わりません(医療費の負担は軽くなりましたが)。 仕事にも行くし。ご飯も食べるし。遊びにも行くし、喜怒哀楽もあるし・・・周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。
「こいつが、変わっているのは障害者なんだから」「こいつが、こういう事ができないのは障害者なんだから仕方ない」ってな感じで。手帳の申請を出す前と後で、私は何も変わっていないのですが、周囲の目や行政的なくくりで考えると違うのでしょうね。 これが「個性と障害は紙一重」と私が思う一つの根拠です。

おっと、話がずれてしまいましたが、私にとって「障害と個性」とは、同じ状況でも本人や周囲がそれで苦労したり、辛い思いをするのなら「障害」で、前向きに捕らえられるなら「個性」でしょうか。

完璧な人間など居ないわけですから、一つの才能を得るためには、他の何かをあきらめなくてはならない事もあると思います(例:世界中を飛び回って公演活動を行うピアニストであるためには、夜勤の多いハードな外科医であることはあきらめなくてはならない。)。

そして、どちらかを選ばなくてはならないという点において、(上の1の質問とかぶりますが)「言葉による分類と画像による分類の両方の分類法を持つ事は、人の脳のキャパシティーから考えて無理」と仮定すると、「言葉による分類」を持つ人と「画像による分類」を持つ人の2種類の人がいるのではないかと思います。

「言葉による分類」を得た人は「画像による分類」を手放し、「画像による分類」を得た人は「言葉による分類」を手放した。
その時に、「画像による分類」を得て、それを活かせるなら個性。 「言葉による分類」を得られなかった事をなげくなら障害になると言った印象です。


とりとめのない内容となりましたが、いかがでしょう? 多少なりとも何かのご参考になりますでしょうか?

[#33084] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/2/24(水) 1:49 -

引用なし
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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>1.記憶についてです。
>>
>>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?

>私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
>私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
>これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。

この場合に、その「タイトル」自体も「映像として」頭の中で浮かび上がると言う事ではないのでしょうか?それとも・・「タイトルで内容を識別・分類」されていると言う事は・・例えば、エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?⇒「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています」 だとすると・・・「私たちの記憶は普通〜」の「記憶」ではなくて、分類方法の一つとしてのお話と解釈できないですかね?・・・・難しいですね。

>そして、jpgファイルやエクスプローラの「お気に入りファイル」には、その内容に関する画像がアイコンとして表示される事がありますよね。 「自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」というのは、アイコンのところに中身の画像がついている状態なのかなと想像しました。

なるほど。こちらは納得できますね。

>>2.個性と障害についてです。

>自分が「障害者」と呼ばれる立場になるとは想像もしていませんでしたが、実際になってみましたら、たいして何も変わりません(医療費の負担は軽くなりましたが)。 仕事にも行くし。ご飯も食べるし。遊びにも行くし、喜怒哀楽もあるし・・・周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
>でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。

この斜め目線も、大きな問題ですよね。

>「こいつが、変わっているのは障害者なんだから」「こいつが、こういう事ができないのは障害者なんだから仕方ない」ってな感じで。手帳の申請を出す前と後で、私は何も変わっていないのですが、周囲の目や行政的なくくりで考えると違うのでしょうね。 これが「個性と障害は紙一重」と私が思う一つの根拠です。

はい。理解できます。

>おっと、話がずれてしまいましたが、私にとって「障害と個性」とは、同じ状況でも本人や周囲がそれで苦労したり、辛い思いをするのなら「障害」で、前向きに捕らえられるなら「個性」でしょうか。

なるほどですね。おっしゃる事はよく理解できます。
私の場合は、全てのベースが「その個の特性」=「個性」と、私の中ではこのような認識ですので、全ての人の基本が「個性」で、ASもその個性の中の一つと解釈しています。そして「障害」なのですが、これが私の中でまだ定義?として固まっていません。強いて表現するのであれば「その個の精神状態により、社会参加に支障をきたす事」あたりでしょうか(これは精神的なものになるのかな?)ASの定義も三つ組みとか言われているようですが、はっきりとした識別方法は無いのではないでしょうかね?よく分かりませんが。。そしてこの「障害」も私の場合は「個性」の中に入ります。個性と障害を同じ次元に置くのではなくて「障害も個性に含まれる」と言う認識でいます。

例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
「果物=個性」「りんご=障害」

>完璧な人間など居ないわけですから、一つの才能を得るためには、他の何かをあきらめなくてはならない事もあると思います(例:世界中を飛び回って公演活動を行うピアニストであるためには、夜勤の多いハードな外科医であることはあきらめなくてはならない。)。
>
>そして、どちらかを選ばなくてはならないという点において、(上の1の質問とかぶりますが)「言葉による分類と画像による分類の両方の分類法を持つ事は、人の脳のキャパシティーから考えて無理」と仮定すると、「言葉による分類」を持つ人と「画像による分類」を持つ人の2種類の人がいるのではないかと思います。

なるほどです。
そしてその仮定を少し崩して考えてみると、実際には、境目の無い状態で存在しているのかも知れませんね。それが自閉症スペクトラムと表現されているものなのですかね。。

>「言葉による分類」を得た人は「画像による分類」を手放し、「画像による分類」を得た人は「言葉による分類」を手放した。
>その時に、「画像による分類」を得て、それを活かせるなら個性。 「言葉による分類」を得られなかった事をなげくなら障害になると言った印象です。

太古の人類は全て「画像による分類」であり、文明の進化と共に「文字」が生み出され、やがてそれがパピルスに記録されだした。そのあたりから人類が「記憶」と言う意味での「画像記憶型」から「言語(文字)記憶型」が生まれだし、やがて言語(文字)記憶型が主流になってきた。。。それが現代。なんて妄想を楽しんだりしています。

>とりとめのない内容となりましたが、いかがでしょう? 多少なりとも何かのご参考になりますでしょうか?

まとめる能力が無く、いつも長文ですみません。大変参考になりました。有難う御座います。

[#33127] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/2/28(日) 20:59 -

引用なし
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   ▼タイムさん:
お返事遅くなってすみません。

>>>1.記憶についてです。
>>>
>>>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?
>
>>私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
>>私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
>>これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。
>
>この場合に、その「タイトル」自体も「映像として」頭の中で浮かび上がると言う事ではないのでしょうか?それとも・・「タイトルで内容を識別・分類」されていると言う事は・・例えば、エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?⇒「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています」 だとすると・・・「私たちの記憶は普通〜」の「記憶」ではなくて、分類方法の一つとしてのお話と解釈できないですかね?・・・・難しいですね。

もう一つのResにも書きましたが、タイトルは「文字映像」として浮かび上がってくるわけではありません。音声として聞こえるのでもないので、「言葉を感じる」とでも・・言えば良いのでしょうか。判り辛い説明ですみません。


また、私にとって記憶とは「覚えた事そのもの」よりも、「どうやって記憶を呼び出すか」が重要です。そうでないと、何も思い出せなくて、全く役に立たないのです。
私が記憶=情報を呼び出す際には、記憶した時の情報をどう分類しているかという事が重要になってきます。こう考えますと、タイムさんの仰る「分類方法の一つとしてのお話」と繋がってきます。


私が、ある情報を呼び出す際のキーワードとなる言葉は、一つの事象に対して複数(沢山)あるようです。

例えば、同じ「りんご狩りに行った記憶」であっても、「去年りんご狩りに行った記憶」と「10年前りんご狩りに行った記憶」のような、類似の複数の記憶がある場合は、キーワードが「岩手県に行ったりんご狩り」「青森県に行ったりんご狩り」 「楽しかったりんご狩り」「喧嘩したりんご狩り」 「一人で行ったリンゴ狩り」「沢山人が居たリンゴ狩り」 「車で行ったリンゴ狩り」「バスで行ったリンゴ狩り」・・・とあれこれ出てくるわけです。

ちなみに、私の場合は「岩手に行ったりんご狩り。」なら「あ、○○ちゃんも居たね。 ちょっと寒かったよね。△ちゃんが転んでさ」と記憶が出てくるのですが、「1998年のりんご狩り」と、数字で表されても全く対応できません。似たような時期に何度かリンゴ狩りに行っていたら、「1998年」と「起こった事象」を結び付けられず、「え? どのりんご狩り?」となってしまいます。


と、考えていきますと、タイムさんの仰る
>エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?
というご質問に対しては、「はい。タイトルを見ないと内容は分りません」という事になりますね。

私とは逆に、私が心引かれている彼は、「○○年に・・・をした」「それは***年のことだ」と自分の記憶と数字を結びつけるのが上手ですが、「何でそんな事ができるのか?」と、私にとっては非常に不思議です。

どうも、私の頭の中の分類は 「言語>映像>数字」という具合になっているようですが、タイムさんの記憶の分類で、数字は有効ですか?


>>>2.個性と障害についてです。
>
>>周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
>>でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。
>
>この斜め目線も、大きな問題ですよね。

確かにそうですよね。
そして、世の中には、職業・年齢・性別・学歴・国籍・・・本当に、斜め目線でみられる要素が沢山ありますよね。やれやれ


>私の場合は、全てのベースが「その個の特性」=「個性」と、私の中ではこのような認識ですので、全ての人の基本が「個性」で、ASもその個性の中の一つと解釈しています。
そしてこの「障害」も私の場合は「個性」の中に入ります。個性と障害を同じ次元に置くのではなくて「障害も個性に含まれる」と言う認識でいます。

>例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
>「果物=個性」「りんご=障害」

非常に判りやすいご説明で「なるほどー!!」と思いました。
もし何か、こういう事象を説明する必要に迫られる事がありましたら、私も、この説明方法をお借りしてもよろしいでしょうか?


>そしてその仮定を少し崩して考えてみると、実際には、境目の無い状態で存在しているのかも知れませんね。それが自閉症スペクトラムと表現されているものなのですかね。。

基本的に境界はないと思います。

私は、「自閉症スペクトラム」については何の知識もありません。
それでも、その人の持つ能力によって人を分類する時、器質的な能力(100mを10秒で走れる。4回転ジャンプを飛べる等)でない限り、明確な境界は無いと思います。これは、はっきりいえます。

もちろん各種検査で、その人の現在の状態を点数化し、境界線を引いて分類する事もできるのでしょうが、それは母集団の中における相対的な位置であって、絶対的なものではありません。
検査を受ける人の、精神状態や生理状態によっても、結果は変わってきますしね。(最近、ある種のカウンセリング関連の資格を取るために「アセスメント」と呼ばれる性格・適正関連の検査についても、必要に迫られて勉強したばかりなのです。)


>太古の人類は全て「画像による分類」であり、文明の進化と共に「文字」が生み出され、やがてそれがパピルスに記録されだした。そのあたりから人類が「記憶」と言う意味での「画像記憶型」から「言語(文字)記憶型」が生まれだし、やがて言語(文字)記憶型が主流になってきた。。。それが現代。なんて妄想を楽しんだりしています。

そうですね。

文字や言語が現代ほど発達してない時は、いかにその場面を正確かつ精密に記憶するか・・・例えば、古代の狩猟採取の場においては、「適切な狩場を覚えておく」「木の実が落ちている場所への行き方を記憶する」「食べられない植物を覚える」と言った、画像で記憶した方が正確な情報が、生死に関わる重要な内容だった事でしょう。
こういう時代に生まれていたら、私は、生存競争に生き残れなかった事でしょう。。。なんて、考えるのも楽しいですね。

>まとめる能力が無く、いつも長文ですみません。大変参考になりました。有難う御座います。

こちらこそ、上手く表現できなくてすみません。

でも、こうやって、「自分が当たり前だと思っている事は、決して当たり前ではない」と分っていくのって、面白いですよね。

[#33144] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/3/3(水) 6:48 -

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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>>>1.記憶についてです。

>もう一つのResにも書きましたが、タイトルは「文字映像」として浮かび上がってくるわけではありません。音声として聞こえるのでもないので、「言葉を感じる」とでも・・言えば良いのでしょうか。判り辛い説明ですみません。

いえいえ、大丈夫ですよ。ことりさんからそう表現して頂くと・・・タイトルまでは「映像」ではないような気がしてきました。。アイコンのタイトル・・アイコンが画面に沢山ある。。確かに、タイトルまでは分からないですね。でもその目的のアイコンの位置は微妙に知っているように感じますね。これがことりさんが表現されている「言葉を感じる」と言う事なのでしょうかね。。でも私がはっきりと分かっているアイコン(特に興味があるような内容の入っているフォルダ)のタイトルと位置は、頭の中で「画像」で描けるようですが。(そのままの姿形でタイトルも画像として見えているように思いますね。。)

>また、私にとって記憶とは「覚えた事そのもの」よりも、「どうやって記憶を呼び出すか」が重要です。そうでないと、何も思い出せなくて、全く役に立たないのです。
>私が記憶=情報を呼び出す際には、記憶した時の情報をどう分類しているかという事が重要になってきます。こう考えますと、タイムさんの仰る「分類方法の一つとしてのお話」と繋がってきます。

きっと、そうですよね。分類方法も記憶していると思いますので、正確には分ける事ができないのかも知れませんね。

>私が、ある情報を呼び出す際のキーワードとなる言葉は、一つの事象に対して複数(沢山)あるようです。

>と、考えていきますと、タイムさんの仰る
>>エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?
>というご質問に対しては、「はい。タイトルを見ないと内容は分りません」という事になりますね。

なるほどです。私の場合は同じフォルダがいくつもあって、そのそれぞれに「りんご・みかん・ばなな・なし・いちご」等と分類していたとしたら、先程のお話のように、その位置やタイトルが画像として浮かぶ場合(特に興味があるような内容の入っているフォルダ)がありますので、その場合にはタイトルを見なくても、ここには「いちご」そこには「りんご」があるはず。となるようですが・・・それ以外は、フォルダの位置もその個数も曖昧であり、そのタイトルまでは映像で再現されないようです。そして実際にフォルダを探す場合には、目で見てタイトルを確認して「開く」と言う行動になりますものね。

>私とは逆に、私が心引かれている彼は、「○○年に・・・をした」「それは***年のことだ」と自分の記憶と数字を結びつけるのが上手ですが、「何でそんな事ができるのか?」と、私にとっては非常に不思議です。

一度、彼に聞いてみられても面白いかも知れませんね。

>どうも、私の頭の中の分類は 「言語>映像>数字」という具合になっているようですが、タイムさんの記憶の分類で、数字は有効ですか?

どうでしょうか。。考えた事も無いのですが・・多分「数字」は「言葉」と同列だと思いますね。それで考えると「映像>数字・言語」となるような気がしますね。

>>>>2.個性と障害についてです。

>>例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
>>「果物=個性」「りんご=障害」
>
>非常に判りやすいご説明で「なるほどー!!」と思いました。
>もし何か、こういう事象を説明する必要に迫られる事がありましたら、私も、この説明方法をお借りしてもよろしいでしょうか?

どうぞどうぞ、御自由に(笑)
ことりさんには、分かり易かったでしょうか?でも「個性と障害を同列」で考えてしまうと、もしも現在の定型と非定型の人数割が逆転した場合に、困るはずですものね。その個人の特徴が変わっていない場合にも、ころころと個性が生まれたりなくなったりと。私が知っている範囲でのお話ですが、個性的だと自称される一般(定型?)の方で「個性とは、その社会性を満たした上での秀でた部分の事」と表現されるがおられたのです。しかし、現在の定型と非定型の人数比率がもしも逆転した場合には、今の定型の方が数少ない側となってしまい、今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)でも人としてのベースに「個性」を位置付けておくと、その定型の方の「その個性」は失われずにすみますよね・・ですから「ASは、個性か?障害か?」を考えた時「りんごは、くだものか?みかんか?」・・のように私には見えたのですね。

>それでも、その人の持つ能力によって人を分類する時、器質的な能力(100mを10秒で走れる。4回転ジャンプを飛べる等)でない限り、明確な境界は無いと思います。これは、はっきりいえます。

これが「客観的な判断基準」と言う事ですよね?
話は違いますが、前から感じていたんですよ。例えば「客観的な意見」・・・「客観的な意見」と言うのは、その人の「主観的な見解」の事でしょ?と。。

>もちろん各種検査で、その人の現在の状態を点数化し、境界線を引いて分類する事もできるのでしょうが、それは母集団の中における相対的な位置であって、絶対的なものではありません。

考えてみるとこの世界、ほとんどが相対的な価値観ですよね。〜より〜が出来るとか出来ないとか。その価値観で見ている方が多くおられるように感じますね。私の場合はそう言う価値観は少ないのかな。。私は、私がそれで良いと思えれば、又、楽しければ、それで私は満足なんですよね。

>検査を受ける人の、精神状態や生理状態によっても、結果は変わってきますしね。(最近、ある種のカウンセリング関連の資格を取るために「アセスメント」と呼ばれる性格・適正関連の検査についても、必要に迫られて勉強したばかりなのです。)

ことりさんは、カウンセラーを目指されているのですか?

>こういう時代に生まれていたら、私は、生存競争に生き残れなかった事でしょう。。。なんて、考えるのも楽しいですね。

あまり一般には理解されないようですが、本当に楽しいと感じる事がありますね。

>でも、こうやって、「自分が当たり前だと思っている事は、決して当たり前ではない」と分っていくのって、面白いですよね。

自分とは違った価値観を認知する事が、自分以外の人への尊重と自身の自尊心維持に繋がるのでしょうね。固定観念に縛られず、いつも自由でいたいものです。

[#33221] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/3/16(火) 0:52 -

引用なし
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   ▼タイムさん:

こんばんは。お返事遅くなってすみません。

>>>>>1.記憶についてです。

>いえいえ、大丈夫ですよ。ことりさんからそう表現して頂くと・・・タイトルまでは「映像」ではないような気がしてきました。。アイコンのタイトル・・アイコンが画面に沢山ある。。確かに、タイトルまでは分からないですね。でもその目的のアイコンの位置は微妙に知っているように感じますね。これがことりさんが表現されている「言葉を感じる」と言う事なのでしょうかね。。

別なところでお返事差し上げましたとおり、今の私には「言葉を感じる」という表現しか見つからないのですが・・・「思い出そう」としたら、もしくは、ごくたまに偶然画像が出てくることもありますが、それは決してデフォルトではありません。しかも画像での記憶は忘れてしまうのも早いです。


>>>>>2.個性と障害についてです。
>
>>>例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
>>>「果物=個性」「りんご=障害」
>>非常に判りやすいご説明で「なるほどー!!」と思いました。
>>もし何か、こういう事象を説明する必要に迫られる事がありましたら、私も、この説明方法をお借りしてもよろしいでしょうか?
>
>どうぞどうぞ、御自由に(笑)
>ことりさんには、分かり易かったでしょうか?でも「個性と障害を同列」で考えてしまうと、もしも現在の定型と非定型の人数割が逆転した場合に、困るはずですものね。その個人の特徴が変わっていない場合にも、ころころと個性が生まれたりなくなったりと。私が知っている範囲でのお話ですが、個性的だと自称される一般(定型?)の方で「個性とは、その社会性を満たした上での秀でた部分の事」と表現されるがおられたのです。しかし、現在の定型と非定型の人数比率がもしも逆転した場合には、今の定型の方が数少ない側となってしまい、今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)でも人としてのベースに「個性」を位置付けておくと、その定型の方の「その個性」は失われずにすみますよね・・ですから「ASは、個性か?障害か?」を考えた時「りんごは、くだものか?みかんか?」・・のように私には見えたのですね。

「説明文」の利用をご快諾頂き、誠にありがとうございます。

ところで、ふと疑問に思ったのですが、もし人数割りが逆転したら、困る人の数が増えるかしら?
今も定型・非定型に関わらず、定型同士・非定型同士だって、分かり合えない事の方が多いわけですから、その比率が逆転しても、人数が少ない方が「マイノリティー」として扱われて、肩身の狭い思いをしやすいという現実は同じだと思うのです。そうすると、「困る人の数」と言うのは、結局はあまり変わらないのではないかしら?

行政が法的整備をし直さねばならず困るとか、医者があれこれ基準をこねくり回さねばならず困るとか、そういう事しか思いつかないのです。
あ、あとタイムさんの仰るように、今まで「数が多い方に属していた人」が、数を頼みに持っていた妙なプライド(?)が無くなってしまって困るかもしれませんね(笑

>>それでも、その人の持つ能力によって人を分類する時、器質的な能力(100mを10秒で走れる。4回転ジャンプを飛べる等)でない限り、明確な境界は無いと思います。これは、はっきりいえます。

>これが「客観的な判断基準」と言う事ですよね?
>話は違いますが、前から感じていたんですよ。例えば「客観的な意見」・・・「客観的な意見」と言うのは、その人の「主観的な見解」の事でしょ?と。。

ある一定条件下での走る速さは、「客観的な判断基準」というよりは、「絶対的な判断基準」と言った方が正確でしょうか。

「客観的な意見」と「主観的な見解」・・・うーん・・・非常に微妙なのですが、確かに仰るとおりですよね

>ことりさんは、カウンセラーを目指されているのですか?

いいえ、違います。
ただ「臨床心理士」と呼ばれて心療内科等で働いておられる方のように、病理的な症例も扱えるカウンセラーではありませんが、仕事の関係で「キャリア・カウンセラー」という資格を取る事になったのです。
元々、再評価カウンセリングというカウンセリングの手法を、日常生活に取り入れている事もあり、カウンセリング自体は割合に身近なのですが、まさか、ここまで本格的に勉強をすることになろうとは・・・
本業は、非臨床系の獣医師で、カウンセリングとはあまり関係ない分野です。

ちなみに、お返事を差し上げる事ができない間に合格発表があり、お陰さまで一次試験には合格しました。4月末に二次試験があるので、今日から本格的にその準備に取りかかりましたが、かなり難航しています。
でも、がんばります。

>自分とは違った価値観を認知する事が、自分以外の人への尊重と自身の自尊心維持に繋がるのでしょうね。固定観念に縛られず、いつも自由でいたいものです。

私は、周囲の人から、「あなたは自己評価が低い」「自尊心が低い」といわれるのです。これを改善するためには、もっと他人の事を認知できるようになる必要があるのでしょうか。
人生、学ばねばならない事は、山のようにあります。
頑張らないとねぇ。。。

[#33242] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/3/18(木) 22:39 -

引用なし
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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>>>>>2.個性と障害についてです。

>>ことりさんには、分かり易かったでしょうか?でも「個性と障害を同列」で考えてしまうと、もしも現在の定型と非定型の人数割が逆転した場合に、困るはずですものね。その個人の特徴が変わっていない場合にも、ころころと個性が生まれたりなくなったりと。私が知っている範囲でのお話ですが、個性的だと自称される一般(定型?)の方で「個性とは、その社会性を満たした上での秀でた部分の事」と表現されるがおられたのです。しかし、現在の定型と非定型の人数比率がもしも逆転した場合には、今の定型の方が数少ない側となってしまい、今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)でも人としてのベースに「個性」を位置付けておくと、その定型の方の「その個性」は失われずにすみますよね・・ですから「ASは、個性か?障害か?」を考えた時「りんごは、くだものか?みかんか?」・・のように私には見えたのですね。

>ところで、ふと疑問に思ったのですが、もし人数割りが逆転したら、困る人の数が増えるかしら?
>今も定型・非定型に関わらず、定型同士・非定型同士だって、分かり合えない事の方が多いわけですから、その比率が逆転しても、人数が少ない方が「マイノリティー」として扱われて、肩身の狭い思いをしやすいという現実は同じだと思うのです。そうすると、「困る人の数」と言うのは、結局はあまり変わらないのではないかしら?

その通りと思います。逆転した場合にも「人数比率自体」は変わらないでしょうね。

>行政が法的整備をし直さねばならず困るとか、医者があれこれ基準をこねくり回さねばならず困るとか、そういう事しか思いつかないのです。
>あ、あとタイムさんの仰るように、今まで「数が多い方に属していた人」が、数を頼みに持っていた妙なプライド(?)が無くなってしまって困るかもしれませんね(笑

今まで多数派として「普通」や「一般」と漠然と?確実に?思い込まれていたものが、人数比率の逆転によって、それが消滅してしまうと考えての事です⇒「今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)」の事ですね。つまりは、今まで「私は個性的だ!」と表現していた方が、逆転後には、逆転後の社会(非定型が多数)から「障害だ!」と言われる事になるのではないかなと言う事です。(個性と障害を同列で捉えた場合にです)

>>これが「客観的な判断基準」と言う事ですよね?
>>話は違いますが、前から感じていたんですよ。例えば「客観的な意見」・・・「客観的な意見」と言うのは、その人の「主観的な見解」の事でしょ?と。。
>
>ある一定条件下での走る速さは、「客観的な判断基準」というよりは、「絶対的な判断基準」と言った方が正確でしょうか。

なるほどです。

>「客観的な意見」と「主観的な見解」・・・うーん・・・非常に微妙なのですが、確かに仰るとおりですよね

「客観的な意見」って、存在するのでしょうかね?(笑)正確にはこのような表現は、間違いなのではないかな?と思いますね。雰囲気的に、物事を冷静に広い視野で公平に見た場合の「意見」・・のようなニアンスを持つのですが・・意見は意見である以上、その人個人の主観なのではないのかなと思ってしまうのですね。

>>ことりさんは、カウンセラーを目指されているのですか?
>
>いいえ、違います。
>ただ「臨床心理士」と呼ばれて心療内科等で働いておられる方のように、病理的な症例も扱えるカウンセラーではありませんが、仕事の関係で「キャリア・カウンセラー」という資格を取る事になったのです。

キャリア・カウンセラー・・知りませんでしたので、少し調べてみましたが、本格的にしようとすると簡単ではないお仕事のようですね。私には無理そうです(笑)

>元々、再評価カウンセリングというカウンセリングの手法を、日常生活に取り入れている事もあり、カウンセリング自体は割合に身近なのですが、まさか、ここまで本格的に勉強をすることになろうとは・・・

再評価カウンセリング(これも少しですが調べました)を日常生活に取り入れられているのであれば・・その話をされるお相手次第の所はあるとは思いますが、自己評価は下がり難いように思うのですが・・

>ちなみに、お返事を差し上げる事ができない間に合格発表があり、お陰さまで一次試験には合格しました。4月末に二次試験があるので、今日から本格的にその準備に取りかかりましたが、かなり難航しています。
>でも、がんばります。

おー、合格、おめでとうございます!後は、二次試験ですね。落ち着いて行きましょうね!

>>自分とは違った価値観を認知する事が、自分以外の人への尊重と自身の自尊心維持に繋がるのでしょうね。固定観念に縛られず、いつも自由でいたいものです。
>
>私は、周囲の人から、「あなたは自己評価が低い」「自尊心が低い」といわれるのです。これを改善するためには、もっと他人の事を認知できるようになる必要があるのでしょうか。

どうなのでしょうね。。私の場合は、人と「あまり」比べる事をしませんね。私が満足であればそれでOKと言う感じでしょうか。性格的なものもあるとは思いますが、ある程度満足しきるまで好きな事をし続けると、それだけでも満足感を得られますので、自己評価は低くはなり難いと思いますね。他人の事(価値観)を認知すると言うのは、相対的なものなので「あなたは、あなた。私は私」の感覚を多く持つ為でしょうか。もしもですが、世の中に私一人しか存在していないのであれば、比べるものが無いので(相対的に認知できないはずですので)、今ある満足感はなくなるように思います。

>人生、学ばねばならない事は、山のようにあります。
>頑張らないとねぇ。。。

私は、今はあまり頑張らないかな?頑張ると疲れますよ・・と言うような、いい加減な人間です。

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