アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 言葉について 10553へのコメント
No.10558  Mon, 21 Jan 2002 12:50:33 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

名加野さん wrote:
>Mariaさん wrote:
>
>> 国語辞典は、日本語がわかっている人が使うものなので、記述も「説明」ではなく「単なる言換え」でしかないことがあり、その結果、記述がすぐに循環論法に陥ってしまいます。
>
> ちょっと話は戻りますが、「ばか」と「あほ」の関係ですね……。辞書で、
>
>#あほ・・・馬鹿なこと。
>
>#馬鹿・・・あほなこと。
>
> これを見たとき、なんじゃこりゃー! と思いました(爆。

  ↑わはははは!確かにその通りだわ。
 名加野さん、あまり職場でカキコしない方がいいんじゃ…?(失礼ですが、カキコの時間を見るたび、「?!」と思っていた身としては…[と言ってる私も、職場で書いてんのよね、これ(−−;)。]。人のことは言えません。ごめんなさい。私も気をつけよ。そう言えば、これまた失礼ですが、みどりさんも職場でカキコしてることがおありなんだろうか…と、カキコの時間からつい気になるグルンサです。いらぬ世話かとは思いますが…。)


Re: 睡眠のこと他 10549へのコメント
No.10557  Mon, 21 Jan 2002 12:39:07 +0900  みどり [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
> 夕暮れの町角に、わたしの名を呼ぶ家族の声がこだまする(笑)……なんてことをしょっちゅうやっていたもんね♪ 学校は行ったけど、すぐ頭痛を訴えて、あげくに早退するというのもしょっちゅうだったようです。うちに帰ると見違えるように元気になって飛び回っていたから……母に何を言われたかはご想像におまかせします。

そういえば私もいつも「たまにはまっすぐ帰ってこい」って言われてました。
放課後はいつも、何の用事があるでもなく、そこらを散策してました。
幸い、帰ろうと思えば帰る能力はあったので迷子ではなかったんですけど。
大学生まではそうだったなあ。卒業後は、「放課後」に相当する時間が相当遅くなってしまって、散策時間が消えてしまいましたけど。

>> ASの兄は肉ばかり食べてました。あと、ケーキも。兄とは食べ物の好き嫌いがかみあわなくて、母はいつも食事メニューには困っていました。
> 食べ物の好みはASだとはっきりしているみたいですね。娘はきっぱり偏食!決まったものしか食べないし、こだわると同じ物ばかり食べ続けるから。おなかがすいていても、気に入ったものがないと食べません。学校給食なんてほとんど食べないから、迎えにいくと先生が「今日は給食を食べましたよ」と報告してくれるのが習慣になってしまいました(苦笑)

私もすごい偏食だった!! 「定食」というものはナゾの副菜が多いのでまず食べられませんでした。
「カレー」とか「牛丼」とか、余計なものが入ってないことがわかりきったメニューじゃないと食べられませんでした。
学校の食堂なんかでも、いつも同じメニュー。

ただ大人になって三食中2食を外食頼みの生活になったら、選ぶのも面倒になってなんでも食べるようになりましたけど。
そしたらそしたで、世界中のいろいろなものを食べつくさないといけないような気分になって、これはこれで問題だったりする。


ちょっとした決意表明 10552へのコメント
No.10556  Mon, 21 Jan 2002 12:22:45 +0900  Maria [この発言にコメントする]

名加野さん wrote:
>  そろそろ、僕も家でないと書きこみが難しくなってきました。余り書いてると、首になりそうです。業務に関係無い事だから……。

>  ども、こんにちは。名加野です。書くつもりは無かったのですが……ああ、首が……(苦笑。

 えー、気づいてみれば累積書込み数は一万件を突破していたりします。うーむ。

 本当は累積書込み数一万件突破を期してあたしたち大森総合研究所のメンバーは『アスペルガーの館の掲示板』を撤退しようと思っていました。まあ、あたしとMotoちゃんはそれなりの役割があるから片足だけは残すような形でちょこちょこ顔を出すつもりではいるのだけどさ、『アスペルガーの館の掲示板』の基本的性格からしてジャンクネタばっかりというのも気がひけるのね。で、JoshyaさんとKILROYさんは日本語処理やら障礙者向けのシステム開発(視聴覚障礙者向けユーティリティ、たとえば自動点訳システムの開発や、発達障礙児向けの教育ソフトウェアとかの開発)、それに個人を対象とした出版の支援業務やマニュアル執筆(←日銭が入る)、および障礙者の自立支援(←自分も入ってる)のための組織づくりのための動き出そうとしています。で、そっちのほうの活動の場が欲しい、ということだったりします。

 ついでながら、ジャンクネタ専門ボードとか、文藝ネタ専門ボードとかを作れるといいな、と思います。

 さて、本題。(↑じつはこれが前フリだった)

 「ネットにハマってさあ大変」みたいな話は多いんだけどさ、それのどこが悪いのか、という話だったりします。
 ネットサーフィンにハマるというのはかなり不毛です。まあ、おおむねアダルトサイトだったりするわけで、社会生活の役に立たないから。出会い系サイトというのも実益がない(ある人もいるかもしれないけど)からこれも却下。人生相談みたいな部分でストレスが解消できる掲示板もあるんだけれど、ほとんどはグチの垂れ流しで終わっていたりします。

 とはいえ、有益かつ有意義なサイトというのはあるものなのですね。で、『アスペルガーの館の掲示板』というのはそういう観点からいうと水準高いんでないかい?ということだったりします。
 その理由は二つ。「『文章を書く』という行為に対して前向きな人が多い」ことと、「情報交換・情報提供の書込みが多い」こと。
 単に「文章がうまい」人というのはいるんですよ。だけど、はっきり伝える相手を意識して、「これを伝えたい」というものをいかに伝えるか、みたいな目的意識を持って書いている人というのは意外に少ない。その点、この『アスペルガーの館の掲示板』の常連書込みメンバーというのは、「伝えるえるべきこと」と「伝える相手」がはっきりしていて、それがここのところのアクセス数上昇に貢献してると思うのね。
 でまあ、もう一つは疑問・質問についてのレスがきっちり付くというのもあります。「レス禁止」とかいう掲示板もあるんだけどさ、それでは双方向メディアである価値と必然性がないというものです。

 そんなわけで、「日本語」とか「書く技術」とか「システム全般」とか「障礙者の自立」とか「ザコネタ」とかいったテーマ別掲示板というのが欲しいし、そうなると仕事にも活用できたりもするわけです。
 かつてあたしが出入りしていた掲示板には、プログラミングやシステム開発の話題に社会批判みたいなものを絡めて、ソフトウェア開発会社の新人教育のテキストに使えそうでなおかつエッセイとしても面白く読める、みたいな文書を書いちゃう人がいました。あたしは最近書きとばしているのでちょっと文章が雑になって誤字脱字多いんだけどさ、それなりに「読める」文章を心がけてはいるわけです。
 やっぱり「文章力」って仕事に必要なんですよね。特にSOHO(サテライト・オフィス/ホーム・オフィス)だとかいうことになると、文章によるコミュニケーションというのはとても大事。あるいは派遣業務が多くて従業員があっちこっちの職場に散っていたり、別々の場所でシステムの各部分がそれぞれ開発されていたり(オンライン系のシステムでは珍しくありません)した場合もそうです。そんなわけで、文章力は会社の実力でもあるわけで、「我が社の威信にかけて書け」とか上司に言われて掲示板に書込みしてる人までいたもんな。

 そんなわけで、「自閉症方面」「個人の気持・感情」という部分をちょっと離れて、お仕事っぽいというかオフィシャルというか、そうした「書けるひと/書けるようになりたいひと」「できるひと/できるようになりたいひと」のためのサイト、というのを立ち上げることをちょっと本気になって考えています。まあ、CGIとかTCP/IPとかの勉強でけっこう頭一杯だし、作らなきゃいけない資料とかも多くて手一杯、四面八臂といわれた大森総研スタッフもけっこうメゲてたりするんだけど、まあ、やれるんじゃないか、と思ってます。

 チーム名は、“Crippled Company”。日本語に訳せば、『癈兵部隊』。コンセプトは、「我々はまだ戦える」。

 (Maria)


Re: 英語のこと 10530へのコメント
No.10554  Mon, 21 Jan 2002 11:40:22 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 ぶちさん、こんにちは。

ぶちさん wrote:
> ハリー・ポッターお好きなら、英語版に挑戦してみて下さい。あれは英語がわりと簡単ですよ。

 え、そうなの?(←すぐ、その気になるワタシ) ところがぁっ!ないんだ、英和辞典が。ない、ないない……おかしい、あそこかな、いやここだったかな?(←延々と家捜しが続く)どうにも始末が悪くて、頭をかかえてます。
 英和辞典はきっと、次元の壁を越えて「人外魔境・あなたの知らない世界」(単にうちの二階の部屋のことだけど)に行ってしまったに違いない、きっとそうだ、いつかは出てくるだろうけど。それがいつかは、誰にもわからない……。←と、いうことになってます。

 中学時代から愛用していた地図帳もなくなった。全天恒星図も消えてしまった。使おうと思ったときには、まず出てこない。英和辞典も同じ運命をたどるのだわ、きっと。新しいものを買うべきか、否か。悩んでます。

> どこまで行っても知らない事にぶつかるし、面白いですよねー。だから私はいつも走り回っているんだろうか?

 面白いです。生きているかぎり面白いことに出あえるでしょう。それをを子どもに伝えたいです。親が走り回っていると、置いてきぼりをくった娘に叱られるんですけどね(苦笑) いいじゃ〜ん。どうせ追い越されるって知ってるんだから、今のうちに少しでも差をつけておくんだー!(←オトナの悪知恵ね)


Re: 言葉について 10538へのコメント
No.10553  Mon, 21 Jan 2002 11:34:16 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 こんにちは。名加野です。

> 国語辞典は、日本語がわかっている人が使うものなので、記述も「説明」ではなく「単なる言換え」でしかないことがあり、その結果、記述がすぐに循環論法に陥ってしまいます。

 ちょっと話は戻りますが、「ばか」と「あほ」の関係ですね……。辞書で、

#あほ・・・馬鹿なこと。

#馬鹿・・・あほなこと。

 これを見たとき、なんじゃこりゃー! と思いました(爆。


Re: あれこれそれ、う〜ん、わけわからへん! 10493へのコメント
No.10552  Mon, 21 Jan 2002 11:12:18 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 ども、こんにちは。名加野です。書くつもりは無かったのですが……ああ、首が……(苦笑。

 それはともかく、人に「表題の様な事」を言われたときは、「あれって何ですか?」と必ず言い返します。そう、1から10まで言われないと判らないので、何度も聞き返します。その内相手の表情もかったるくなって行くのがわかるんですが……。

 また、それだよと、指をさされてもそれがどこにあるか判りません。目が悪いのと、見てる方向が違うからです。ので、色々悶着起こします。

 要は、僕に行ってやらすより、自分でやったほうが早いので、判っている人は先にやってしまうのです(汗。

 理解させる方が手間暇がかかる。まあ、それは誰にでも同じですけどね(屁理屈だな……。自己弁護か。)、僕の方が人一倍かかってしまうのでしょう。

 だから聞く。判るまで。理解するまで。

 とか言いながら、自分は「あれ、これ、それ。」多量に使います。

 その物を示す言葉が急に出てこない。困ったものです(爆。


あうち、またか。僕は徹底的に動きがのろいなあ・・・ 10461へのコメント
No.10551  Mon, 21 Jan 2002 10:35:38 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 えーと、もう見られないようですね白さん。それにも気がつかずレスを返してしまい、ちょっと申し訳ないです……。(誰に言っているのだろう……。)

 ふう、何もしないでネットにつなぎっぱなしと言うのは、やはり病的なのでしょうね。僕なんかは、例えばゲームを捨てるとか言われた瞬間に大パニックでしょう……。家の事なーもしてないし……。

 興味無い事はしないと言うスタイルがいけないのでしょう……多分。興味があってもすぐ飽きるし。思い通りにならないと、落ち込むし(すぐ回復するんですけどね……(汗)。

 やりがいのある事っていったいなんだろう? 見つかれば突っ走るのかなあ? ちょっと疑問。

 スキルを持たないと生きていけない時代だと、人は言います。無ければレイオフされても仕方がないのだと。

 海外に仕事を求めて行く日本人(特に高齢者)も多くなりました。しかし、海外だとなめられたらお終い(って日本でも同じか……)で、帰ってこなくてはいけなくなる様です。移住するのも色々面倒ですし。

 って、レスなのにぜんぜん関係無い事を書いてしまいましたね。

 そろそろ、僕も家で無いと書きこみが難しくなってきました。余り書いてると、首になりそうです。業務に関係無い事だから……。

 ま、家で気が向いたらまた書きます。でも家ではゲームしかしないんだろうなあ……(ダメダメ君ですね。

 26日のオフ会については、また連絡します。


漢文のすすめ 10548へのコメント
No.10550  Mon, 21 Jan 2002 10:35:09 +0900  Maria [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
> しかし、『かへりみはせじ』に、「顧」の字が入る(ぴったりこない表現だけど)のは初めて知りました。(わたしの手持ちの本が、みんなひらがなでしか記入してないものばかりだったのかしら?)

 それは漢文・漢語の素養のない著者の本(あるいは読者に漢文・漢語の素養を想定していない著書)を主に読んでいたということなのだな、たぶん。

 「後顧(こうこ)の憂い」なんていう言葉があるので、「顧」の字に「かえりみる」の訓を当てるのはごく普通に行なわれます。あるいは「遠慮」の「慮」は「おもんぱかる」。「恣意的」の「恣」や「独擅場(どくせんじょう)」の「擅」(←手へんです)は「ほしいまま」。「頑固」の「頑」は「かたくな」。

 「全体の意味は知っているのだけれど、一個一個の漢字の意味は解らない」という語はけっこうあるので、かな書きにしたり似たような字で置換えてしまえ、とかいった乱暴なことを学校教育ではしてきました。あれはいけません。「日食」では「日本食堂」かなんかの略になってしまいます。正しくは「日蝕」で、「日を蝕(むしば)む」「腐蝕」も「腐り、蝕まれる」だから「腐食」ではいけません。
 「冤罪」を「えん罪」とかしてしまうのも感心しません。「冤」の字は「免許」の「免」の字の上にワかんむりみたいに見えますが、本当は「兎(うさぎ)」の字にワかんむりがかぶさっている字で、「身動きが取れないようす」を表わし、転じて「無実の罪」「濡衣(ぬれぎぬ)」の意味になりました。かわいいでしょ。

 「無実」で思い出したけど、ドラマなどで「彼は無実だ」とかいう表現を耳にします。つまりこれは「かれは(『ラジオライフ』や『電子技術』ではなく)『無線と実験』の愛読者だ」という意味……ではなく、「無実の罪を着せられている」ということなのでしょう。けれど、「無実」というのは文字通り「実(じつ)がない」、つまり「実体がない」ことなので、「彼は無実だ」というと「彼には実体がない」ということになってしまいます。「彼は不実だ」とかいうと、「彼には誠意がない」という意味になるのと同じ。「不実の罪」とかいうのもありそうだな。

 これと逆の例もあります。「後遺症」は「遺」が「のこる」(あるいは「のこす」)だから、「後遺症が残った」というのは「頭痛が痛い」「馬から落馬した」みたいな畳語です。

 「吐瀉物」というのは「吐」が口から出す、「瀉」が肛門から出すことだから、「(消化管の)上と下から出た物」という意味。「制吐剤」は「吐気止め」で、「止瀉薬」は「下痢止め」。間違えて飲まないように。推理ドラマで「吐物」というべきところを「吐瀉物」といっている例もあるので要注意。

 韓国では、漢字の使用を制限してハングルで表記するように指導を続けてきた結果、漢語の意味がわからなくなって大混乱しています。それでまた漢字を教えるようになったのだけど、ダメージは大きいぞ。

 そんなわけで、漢文を学び、故事成句を覚え、正しい漢字表記を心掛けると国語力が上がります。お試しあれ。

 (Maria)


Re: 睡眠のこと他 10519へのコメント
No.10549  Mon, 21 Jan 2002 08:16:24 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 こんにちは、るうさん。レスありがとうございました。

るうさん wrote:
> 「集団登校」とか「集団下校」はあってよかったと思います。あれがなかったら、それこそ学校や家にたどり着けなかったから。

 う〜む……。それもアリか。わたしの子ども時代より、はるかに規制の強い時代を送っていらっしゃるんですものね。「たどり着く」のが正しいなんて、小学校高学年になるまで感じたことがなかったわ、わたし。
 夕暮れの町角に、わたしの名を呼ぶ家族の声がこだまする(笑)……なんてことをしょっちゅうやっていたもんね♪ 学校は行ったけど、すぐ頭痛を訴えて、あげくに早退するというのもしょっちゅうだったようです。うちに帰ると見違えるように元気になって飛び回っていたから……母に何を言われたかはご想像におまかせします。

> ASの兄は肉ばかり食べてました。あと、ケーキも。兄とは食べ物の好き嫌いがかみあわなくて、母はいつも食事メニューには困っていました。

 食べ物の好みはASだとはっきりしているみたいですね。娘はきっぱり偏食!決まったものしか食べないし、こだわると同じ物ばかり食べ続けるから。おなかがすいていても、気に入ったものがないと食べません。学校給食なんてほとんど食べないから、迎えにいくと先生が「今日は給食を食べましたよ」と報告してくれるのが習慣になってしまいました(苦笑)

 話かわりますが、わたしは犬語も猫語もできないけど、イヌネコに声をかけるのは今でもやりますよ。一応周りに人がいないかどうか確かめてから、ですが。うちの近所は猫が多いので、けっこう声かけるんだけど無視されるの(笑) おかしいなぁ、高校生の頃は15分くらいは猫と鳴きかわしていたことがあったんだけどなー。きっと「普通方面」に近くなった分だけ、能力を失ったのね……しくしく。

 るうさん、イヌネコ・コミュニケーションは大切にしてくださいね。大事なことだと思うから。犬マッサージなんか覚えて、犬のヒーラーになっちゃうなんて手もありそう。需要はありそうですよ。
 『フォックス先生の犬マッサージ』(新潮OH!文庫)の訳者、山田雅久さんは散歩中の犬にテレパシーを送って、コミュニケーションを交わす方法を開発中とか……。


Re: 好きな博物館など 10539へのコメント
No.10548  Mon, 21 Jan 2002 02:57:55 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> 正しくは、『大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ』。
 …そうでした。一体何回間違えてるんだ、わたしは。(--;)

>(中略) つまり、「(父母に孝養を尽し、家を繁栄させ、親を看取り、子孫を残し、妻子を養い、子孫に看取られて畳の上で死ぬような普通の死に方が理想であると思われているが、)大君(が遂行されようとしている事業)のために死ぬのが当然のことである。後ろを振り返るようなことはしないぞ。」ということ。
 …とりあえず、これだけはヤケクソではなさそうで…。しかし、『かへりみはせじ』に、「顧」の字が入る(ぴったりこない表現だけど)のは初めて知りました。(わたしの手持ちの本が、みんなひらがなでしか記入してないものばかりだったのかしら?)

>>  『アウトレンジ戦術』の言葉の意味を、これで初めて知りました。
>
> この言葉は、もともとは「大鑑巨砲主義」と対になって語られる言葉ですた。つまり、「レンジ」というのは「射程」です。「相手より射程の勝る砲を用いて、相手の砲の射程の外から攻撃する戦術」が、アウトレンジ戦術。
>
> このアウトレンジ戦術を意識して作られた巨大戦艦の代表が、(中略)『ドレッドノート』です。(中略)過去に例のない巨大戦艦で、日・米・仏はこれに対抗するために建造した、『ドレッドノート』と同級の戦艦が「弩級」戦艦です。で、これを超えるのが「超弩級」戦艦。
 『ド級』と『超ド級』の違いがこれでわかりました。(西洋史の時間で、名前だけは知っていたのですが…。しかし、いくら漢字が変換できないからといって、「ド」の字だけカタカナというのも、なんかおマヌケ。)

> だけど、飛行機による対艦攻撃が一般化して、大鑑巨砲主義は過去のものになったのだな。だけど、マレー沖海戦で『レパルス』『プリンス・オブ・ウェールズ』を轟沈させて世界で最初に航空対艦攻撃を成功させた日本が、『大和』や『武蔵』といった巨大戦艦を作り続けたというのもお馬鹿な話。脚の長い(航続距離の長い)航空機を使ってのアウトレンジ作戦は日本のお家芸だったんだから、そんなもん作る余裕があったらもっと航空母艦(空母)を作ればよかったのに、という意見もあったりします。確かに戦艦はカッコいいんだけどね。戦争で見栄を張ってはいけません。
 同感。戦争で見栄をはったって、すぐにボロは出るもんです。

P.S. No.10538へのレスは日を改めて。では、おやすみなさい。


Re: 常識人の皆様へ 10544へのコメント
No.10547  Mon, 21 Jan 2002 01:11:52 +0900  Maria [この発言にコメントする]

pocksさん wrote:
> 常識ってものは、皆様が思っているほど簡単なものではありません。それどころか、どちらかというとおそろしく複雑なしろものです。こう言うと非自閉な方々は、それは自閉者という特殊な存在から見ればそう見えるだけのことで、実際はえらく簡単なのだ、と感じられることでしょう。

 異文化コミュニケーションというものを経験すると、いかに「常識」というものが複雑怪奇なものであるかというのがよく解ります。あたしは「嘘を教えようものなら訴えられる」(たとえば外資系企業に勤務していて、上司に日本語を仕事の一部として教えるとか、海外からやってきた言語学者に業務の一部として日本語の基礎を教えるとか)みたいな切迫した状況で、「外国人に日本語を教える」という経験を、一度くらいしてみてほしいと思うな。

 以下はうち(大森総研)で作った日本語処理システム開発者向けの日本語の文法書の一部です。コンピュータ相手に日本語を教えようと思うとどういうことになるか、という苦労の一端をお察しください。

---
●冠詞「御」(「お」「み」「ご」 )

 日本語には、「丁寧な言い方」を示す冠詞、「御」(「お」「み」「ご」「ぎょ」)があります。

 これらはヨーロッパの諸言語における名詞の性のように、おのおのの名詞について、何がつくかが決まっています。大体において、「漢語系の名詞」には「ご」がつき、やまとことばには「お」がつくのだけれど、抽象語にはどれもつかない、という傾向がみられますが、例外も多くあります。

 漢語なのに「お」がつく
  「お勉強」「お葬式」「お仏壇」「お説教」「お線香」「お茶」「お膳」「お椀」「お茶碗」「お正月」「お盆」
 「御(ぎょ)」がつく
  「御慶(ぎょけい)」
 外来語なのに「お」がつく
  「おビール」
 「御」がつかない
  「コンピュータ」「三角形」「整数」「屍体」「駅」
 「御」を取ってはいけない
  「おでん」「おこた」「おかんむり」「ごはん」「お絞り」「お湿り」
 複数の「御」がつく
  「おみおつけ」「おみ足」

 困ったことに、こうした冠詞についての情報が、国語辞典には載っていません。「お湯」や「お水」は正しくて「お氷」は正しくないとか、「お豆」や「お豆腐」や「お味噌」は普通だけど「お納豆」は変だとか、「お布団」とは言うけど「お枕」とは言わないとか、そういったことを外国人に説明するのはなかなかに心苦しいものがあります。「そういうのは、何を調べたら分かるのか?」という質問に、答えられないからです。もちろんコンピュータも適当に判断はしてくれませんから、データとして用意しておく必要があります。
---

 そういえば、「お醤油」(漢語なのに「お」がつく)と「おソース」(外来語なのに「お」がつく)って書くの忘れてたな。「お煎餅」(漢語なのに「お」がつく)と「おかき」(「御」を取ってはいけない)っていうのもあるし……

 国際化を意識して、こうした「日本人以外の利用者向けの国語辞典」っていうのも(できれば国費で)ちゃんと作ってほしいと思うな。

 (Maria)


「どっちでもいいこと」が決められない。(ちょっと休憩) 10397へのコメント
No.10546  Mon, 21 Jan 2002 00:07:46 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 『「どっちでもいいこと」が決められない。』の、つづきです。今日はちょっと雑談風に。

 自閉症方面の子供を育てるにあたって、いちばん悩むのが、「療育か養育か」ということだと思う。

 「療育」というのは、「個別に、段階を踏んで、発達段階を細かくチェックし、適切な課題を与えて育ててゆくにがいい」ということ。これに対して「養育」というのは、「基本的に他の子供と同じように育てていったほうがいい」ということ。

 えー、こういうことがなんで問題になるかというと、あえて言っちゃうと「親の見栄」みたいなものがあるのですね。「療育」派は「養育」派に対して「子供にちゃんとした教育を与えてあげていない」という印象を持つし、「養育」派は「療育」派に対して「子供に不自然な押しつけをしている」と感じる。そんなわけで、「療育」派と「養育」派の間には対立があったりするわけです。(←本当はよく知らない。聞いた話だから)

 あたしは自閉症方面の子供を育てたこともないし、「自閉症方面の子供」として育てられたわけでもない(「ちょっと変わった、独りで遊ぶのが好きな、手のかからない」だったそうである)ので、「自閉症方面の子供をどう育てるか」については発言権がない。だけど、ちょっと言いたいことはあったりする。

 まず、「療育」だけ、「養育」だけ、というのは無理があると思う。現在の学校教育制度というのは、そこから外れてしまうと、元に戻るのがとても難しい。だから、そうした現行の学校教育制度にうまく乗せるために、個別あるいは少人数のカリキュラムを組み、対応するということは必要だと思う。もっとも、二三歳年上の子供(女の子がいいと思う)と遊ばせる、ということでなんとかなっちゃいそうな気がするんだけどさ。

 でまあ、あたしは世にあまたある「なんとか教育」の類はあんまり信用していなくて、むしろそうした教育は「ひとりひとりの子供に対して目が行きとどいている」ということから効果を上げているのだと思っていたりする。で、そうした教育の欠点もまた、「ひとりひとりの子供に対して目が行きとどいている」ことだったりすると思うのね。

 「自閉症方面の子供は、指差しをしない」という話があります。で、あたしはこれを、ひょっとしたら、「普通の子供が何かに手を伸ばしたときに、親は子供が手を伸ばしたものに意識を向けるのに対し、いわゆる『障害』をもった子供が何かに手を伸ばしたときに、親は子供に意識を向けてしまう」からではないか、と思ったのですね。
 親が小さな子供に接するときに、あんまり親であってはいけないと思うんですよ。子供の目線、子供の発想、そういうところに身を置かないと、子供はうまく育たないように思うんです。まるっきりコドモな親は困りものだけど、自閉症方面の子供に限らず、いわゆる『障害』を持った子供の教育を苦にしていないお母さんというのは、いい意味で「子供らしさ」というものを持ち合わせているお母さんのような気がします。

 子供を面白がれるお母さん、というのは、たぶんいいお母さんだと思います。

 で、無事に就学したとしましょう。同じように、通常の学校教育から完全に外れてしまうまえに、一時的に避難して起動修正する手段として、たとえば特種学級のような場所で、個別あるいは少人数のカリキュラムを利用するというのは、必要なことだと思います。

 でまあ、その理由としては、自閉症方面の子供に限らず、発達障害のある子供が「他の子供に合わせなければならない」という苦労を背負ってまでつきあうほど学校教育というのはご大層なものではないけれど、とりあえず専門教育を受けるための下地だけは(資格という意味でも、学力という意味でも)作っておいたほうがいい、ということだったりするのね。

 ただし、現在の教育の質というものを信用してはいけません。まあ、遠山啓先生の「水道方式」はとりあえず別としても、素人が見ても欠陥だらけで、結果として自閉症方面の子供にとっては非常になじみにくいものである、ということだけは言えます。

 たとえばの話、りんご“だけ”が描いてある絵を見せて、「これは全部でいくつありますか」とか訊く問題があります。そういうのは、ちゃんと箱を描いて、その中にリンゴを描いて、「箱の中にりんごはいくつありますか」と訊かなければいけません。なぜかといえば、そういう発想からは、「ゼロ」という概念が出てこないからです。でなかったら、せめて、「この絵の中に」という枠組を示す必要があります。

 あるいは、「りんご五個とみかん三個を足すと、全部で何個ですか?」みたいな問題が平気で出たりします。これは「次元(ディメンジョン)」というものをまったく理解していない設問なのね。違うものは足せません。「五メートルと三リットルを足すと、全部で何キログラムですか」みたいなものです。

 国語にしてもそうです。「わかりやすい言葉」ということで、「ふだん使っている言葉」を教材に使ってしまうのですね。これが、いけません。
 日常で使う言葉は、省略に満ちあふれています。その点、文語や敬語は原則的に省略がありません。「日常で使う言葉」と「ちゃんとした言葉」ははっきり分けて、学校では「ちゃんとした言葉」だけを教えてほしいと思います。
 『子供に「ちゃんとした言葉」を理解させることは無理だ』というのは、大人の思い上がりです。三歳とか四歳の子供でも、おままごとをするときは、方言ではなく標準語を使うのね。
 だから、「ありがとうございます」「おはようございます」みたいなちゃんとした形だけを、学校で教えればいい。「ありがとう」「おはよう」が「ありがとうございます」「おはようございます」の省略表現だというのは、放っといても気がつきます。だから、初等教育において「さようなら」という挨拶はあまり感心しないのね。「それではみなさんお別れいたしましょう」とやっていて、おもむろに「じゃーねー、さようならー」とかいうのなら、「それでは」「じゃあ」「さようなら(左様なら)」という共通した語句があるので、いいんです。教室で授業を始める前は、「おはよー」でいいし、授業が終わったら「またねー」でもいいんです。だけど、「起立」「礼」「着席」とかいった「始まりの儀式」の中では、そうじゃないほうがいい。で、授業中は生徒に対して敬語を使い、生徒も教師に対して敬語を使う。べつに廊下で立ち話するんなら生徒となあなあで話してもいいんだけどさ、授業の間は別、というのは徹底してほしい。
 それに、日常の言葉はどうせ家庭の中で習得できるんだもの。親が学校に期待するのは、「しつけ」ではなく「勉強」です。だから、学校では『学校の外で「勉強」すること』の基礎を教えてほしい。そうすれば学校と塾、学校と家庭の役割分担だってはっきりするしさ。

 ……さて。ここまでは、まああたしも順調に書いてきたんだけどさ、ここで一つ大きな問題に突き当たってしまうのね。 

 たとえばの話、英語圏の人間が生まれ育った環境の中で、母語として英語を身につけるのと、日本人が英語を身につけるのとは、はたして同じなのか違うのかという疑問があります。次に、「その二つに違いがあるのなら、言語を身につけることなくある程度成長した人間が言語を身につけるのは、どっちに当たるのか? それともさらに別の身につけかたがあるのか?」という疑問があります。

 そう。勘のいい人はすでにお気付きのように、あたしたちの「言語の習得」および「対人関係の認知のしかた」というものが、「普通の人間」と果たして同じものなのか違うものなのか、違うとしても、本質的な部分で違うのか、どこかに明確な分岐点があって、そこから先が違うのか、あるいは単に程度の差なのか、といった疑問があるのですね。

 まあ、あたし個人としては、本質的な部分では違いはないように思います。ただ、どこかに明確な分岐点があることは間違いないようにも思うのね。「自閉症方面の人間には、赤ちゃん言葉がない」と言われるのもなんとなく気になるし、あたし自身の言語感覚が普通の人とはどこか違う、というのもまた確かなのですね。

 じゃあ、その「分岐点」にあたるものがどこにあって、最終的に「普通の人」と同じところに到達するのに何が必要かということに対しては、決定的なことが言えません。だいいち、自閉症方面の人といっても人それぞれ。程度も違えばやりかたも違う。「こうすればいい」なんていうわかりやすい方法は、ない。

 ただ、ここのところはたぶん、自閉症方面のひとには同意してもらえると思うのだけど、「意識化のプロセス」というものがどこかに必要な気はするのですね。「雰囲気でわかる」ということができない。ここが自閉症方面の人間の弱点でもあり強みでもあります。だから、「きちんと勉強できる」ことに関しては、けっこうイケるわけです。だから、「勉強」のレベルではけっこうなんとかなったりするんですけど、その前段階、発達の段階でつまづきそうな気がします。それも、「一般的な教育システムに乗らない」という理由で。

 たとえば、「つまづく」というのは、「つまずく」と書くのが正しい、と学校では教えられます。だけど、「爪先(つまさき)」という言葉があって、「突く」という言葉がある。だったら「爪+突く」じゃないの?と思うんだけど、「つまずく」でなきゃ駄目、というのが学校教育だったりするのだな。「力づく」だって、「力ずく」が正しいとされるんだけど、語源的には「力尽く」です。

 まあ、これは現場の教師の力不足、というのがあるのですね。それに、教師としての面子みたいなものにこだわって、「正しいものは、正しいんだ」とか突っ張っちゃうこともある。そういうとき、経験豊富な教師に助けを求める、というのができにくい体制というのが、日教組がどうとかこうとかという親や生徒になぁーんにも関係のない理由であったりします。こういうときに、ちゃんと分っているひとが、「これこれこういうことなんだよ」と解るように説明してくれるか、「これこれこういうところまでは解っているんだけど、本当のところは解らないんだよ」と説明してくれれば、こうした問題は解決できるんですよ。

 だから、あたしにもそれなりの存在価値が認められていたりするのだな。

 あたしは、「あなたは普通の人なのに、どうしてそんな変なことばかり考えているの?」みたいな言われかたをします。だけど、つらつら考えてみると、「変なこと」について徹底的に考えて、それなりの答えを出してきたからこそ「普通の人」でいられるところがあるのですね。ですから、あたしは自閉症方面の人間にとってのFQA(しばしばなされる質問とその解答)集として機能している、ということだったりもします。

 そんなわけで、いよいよ「心の理論」について語ろうと思っています。うーん、どうなることやら。

 (Maria)


Re: イヌネコのこと・つづき 10532へのコメント
No.10545  Sun, 20 Jan 2002 23:46:07 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

I wrote:
>るうさん wrote:
>>や、やばい…
>>いまだに近所のイヌに勝手に名前までつけてイヌ語で話しかけ、職場の敷地内を歩いてる野良猫にアイコンタクトをとってからじわじわ近づいてネコ語で話しかけるなんてこと、やってます。(多分これからも。)
>>この間はカラスをいかに効率良く飛び立たせるか(集団として)を検討してみたくて、グランドにいたカラスにカラス語で話しました。
> このカキコ読んでて、なんだかおもしろそうだなあ…と思ってしまいました。(できれば1度見てみたいです。)そういえば、かつて庄司薫さんが「ぼくが猫語をはなせるわけ」って本を出してたけど、これってどんな本なんでしょ?
> ところで、最近「地域猫」という言葉が出てきていますが(これを作ったのは、「ねこだすけ」の代表の方でしたっけ?)、イヌはさすがに「地域犬」とはならないのだろうか…?地域猫のように、こういうことで人間の勝手で殺されるイヌが[ネコもだけど]1匹でも減らせれば…と思います。

 今日(1/20)のこと。忘れ物を取りに行こうとして、自宅を出るときに遠くにいたネコと目が合い、「にゃ」と声をかけてしまいました。(うーん、ひさびさでしたね〜。)ネコにしてみれば、わたしの声が聞こえる距離ではなかったのですが、それでもしばらく目があっていました。それを見ていた(であろう)どこぞのおじさん、「何だこいつら?」みたいに思っていたのではないでしょうか?また、帰宅時にもネコと合い、そのコにも声をかけてしまいました。(残念ながら、わたしは犬語も猫語もできませんが…。)そういえば、数年前に自宅近辺で見かけていた赤トラ(ネコ)はどうしちゃったんだろ?(去年から、姿を見ていないけど…。)


常識人の皆様へ
No.10544  Sun, 20 Jan 2002 23:16:49 +0900  pocks [この発言にコメントする]

「常識がない」「こんな簡単なことがわからないのか」と非難されることの多い自閉者から、常識人である非自閉者の皆様へのメッセージ。

常識ってものは、皆様が思っているほど簡単なものではありません。それどころか、どちらかというとおそろしく複雑なしろものです。こう言うと非自閉な方々は、それは自閉者という特殊な存在から見ればそう見えるだけのことで、実際はえらく簡単なのだ、と感じられることでしょう。

もし常識解析エンジンのようなものができれば、我々自閉者は眼鏡や補聴器でも使うようにその機械を用い、苦もなく社会生活を送れるようになるでしょう。人工知能がしばしば話題に上る現代の発達した情報化技術を用いれば、そんなことがすぐにでもできそうです。

しかしながら実は、我々自閉者が苦労している社会的常識以前の「常識」ですら理論化されていないのが実状なのです。

(そんな馬鹿な、と感じられる方は、以下の文をお読み下さい。『「人々が漠然と、常識と読んでいるものは、実はわれわれが崇拝する高度技術のほとんどよりも複雑なのだ」。そして物理世界にとりくむには、常識が必要だ――だからこそ 21 世紀末の現在でも、ロボット水道修理工はいないんだ。』(http://www.post1.com/home/hiyori13/krugman/lookbackj.html)注1:物理世界=この世。注2:これは、21世紀末の時点から過去100年を振り返るという設定で書かれた文章。)

一方、自閉者の生きている論理の世界は、常識に反することが多いかも知れないかわり、おおむね単純な作りをしています。我々が「常識」に100%歩み寄るには超人的な努力でもまだ足りないのですが、皆様が自閉者を理解するのに必要な努力はほんのわずかで済むはずです。「常識」に反する言動をするからといって、頭から気味悪がったり疎んじたりするのは、どうかやめて下さい。そのようにする代わりに少しだけ我々の側に歩み寄ってみて下さい。そうすれば、あなたがたの世界がちょっぴり広がるだろうことを請け合います


Re: 睡眠のこと 10527へのコメント
No.10543  Sun, 20 Jan 2002 14:42:19 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

グルンサ wrote:
>るうさん wrote:
> るうさんのカキコで思い出したこと。私、外出中にイヌ、ネコを見るとほっとするんですね。…で、それはいいのですが、私が中学か高校生だったころ(道からすると中学か?)、イヌを見て「わんっ」と鳴きまねをしたことがあるのですが、それを見た友人、「そんなことする?」といぶかしげに一言。私は逆に「へ?」としか思わなかったのですが、やっぱ私の方が変わってんのかしら?
>さすがに今はやりませんが、それでも通勤中(正確にはその際の歩行中)にネコたちを見ると声をかけたく(?!)なります。(さすがに、[配属先の]場所が場所なので、実際にはやりませんが…。)

自分も調子がいいときには、わりと動物とかかわってみたいと思って、猫と猫語で話したり、鳥と口笛で話したりします。
 
 逆に悪いときには金魚やありを何匹も殺したり、もっと悪いときには、3年ぐらい前ですが、生まれて一ヶ月も生きていない子猫を壁に何回もボールのように投げつけて、殺してしまったこともあります。「何か自分がそれまで受けたトラウマを・・何かに転化させたい」という、不順な衝動によるものでしょうが、本当に自分がしたことを後悔しています。

 10歳前後の男の子がこのような行動を示すときは、言葉では言い表せない強いストレスが引き金になっている可能性があると思います。できるだけ早いうちに専門の医療機関を受診させたほうがいいでしょう・・・


Re: 博物館って 10523へのコメント
No.10542  Sun, 20 Jan 2002 13:22:52 +0900  Maria [この発言にコメントする]

るうさん wrote:
>  知識をもってしまったがために最近は現実世界の輪郭がはっきり感じられ過ぎるようになってしまいました。社会のしくみのことも自分自身のADDのことも。感受性がつよいから、クタクタになることが多いです。

 あたしは、その場合の“知識”というものを表現するのに、「知識」という言葉を使うのはどんなものだろうか、と思います。

 あたしたちはすでにハイビジョン放送を見ても「ふぅーん」と思うだけですが、テレビが一般家庭に普及するかしないかの時は、プロレスの生中継(たしか、“白髪鬼”フレッド・ブラッシーが力道山に噛みついて流血させたとき)を見てショック死したお年寄りがいたりしました。

 たとえば、「錦絵」が登場したときに、江戸時代の人たちはどんな感動を覚えたのか、ということを知るためには、やっぱり「知識」が必要だと思います。ところが印刷や画面で見たイメージが、“美”を感じることを邪魔してしまうんですね。「錦絵」というのは、「単なる技法のひとつ」ではなく、「表現したいもの」をどうやって表現するかという執念がたどりついた、当時のハイテク表現だったんです。「どうやったら、こんなことができるのか」「できるのは分ったが、ここまでやるのか」という“美への執念”みたいなものが、立ちのぼってくるのものなのですよ、本来は。だけど、「あ、前に見たのと同じだ」ということになってしまう。海外旅行へ行って、「あ、雑誌で見たのと同じだ」というのと一緒。すでにあるイメージを確認するだけに、なってしまう。目の前にある「もの」が見えなくなっている。

 刺激、あるいは「刺激としての情報」を浴びせられつづけた結果、あたしたちのものの見方というのは、「常識」と呼ばれるものに固定させられちゃってる気がします。で、そこから外れようとすると、頭をぶつけたり足を引っ掛けたりして痛い目にあうような仕掛になっているのですね。

 「戦争は悪だ」「人命は地球より重い」「みんな仲良く」「人間はみな平等」「宇宙船地球号」「世界は一家、人類はみな兄弟」。そういうのって、うっとうしいんだよね。言いたいことは分るし、スローガンとして理解はするけれど、地に足がついていない気がする。「うざい」「むかつく」「やってらんねーよ」といった、若いひとたちの気持はよくわかる。

 あたしにとっての「知識」は、「ものをまっすぐに見る」ことを邪魔するいろんな障碍物を剥ぎとるために必要なものだったりします。アメリカ・インディアンは野蛮人ではありませんでしたし、南北戦争はべつに黒人奴隷を解放するための戦いではありませんでした。

 あたしにとっての福音書は、ナザレのイエスというひとりの男の記録です。そこに、いろんな「キリスト教徒の見方」というものが重なって、現在の福音書ができました。あたしはその中から、「(後世のキリスト教徒によってなされた)キリスト教的な解釈」を剥ぎ取って、「ナザレのイエス」という人物を見、以来彼を「イエス先生」と呼ぶようになりました。

 「解釈の押しつけ」を「知識」とか「常識」とか呼ぶのは、「普通の人」の悪い癖ではないかと思います。あたしたちは真似をしないほうがいいと思うな。

 (Maria)


Re: 睡眠のこと 10530へのコメント
No.10541  Sun, 20 Jan 2002 12:54:10 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

ぶち wrote:
> ハリー・ポッターお好きなら、英語版に挑戦してみて下さい。あれは英語がわりと簡単ですよ。ハリー・ポッターで気を良くした私は、「指輪物語」も買いましたが、こりゃー難しい!!(実はナルニア国物語も勢いで全巻買ってしまった・・・)
> 全部読み終わるのは、いつになるやら・・・私も英語苦手・・・
>
>> まだまだ知りたいことやわからないことがいっぱいあるなー、生きてるうちに何をどれだけ知ることができるかなーと思いながら、コドモ母は今日を生きていくのでした。
>
ぶちさん、こんにちはっす。ここでナルニア国物語のファンの方にお会いできるとは・・・。うれしいっす。私もナルニア国物語大好きで小学校の頃から何度も何度も読み返しています。私の心はナルニア国に住んでいるのです。指輪物語も中学校の頃初めて読んでそれから何度も読みましたが私はやっぱりナルニアが好き。あの絵も好きだし。

ハリポッターは作者の人生こそがファンタジー。離婚して、生活保護を受けながら3人の子供を抱えてせっぱ詰まって本を書いてベストセラーに。ああ、うらやましい。ナルニア国物語の作者、C.S.ルイスは自分が読みたかった本を誰も書いてくれなかったから自分で書いたとあとがきに書いています。それを読んで小学生だった私は自分もいつか自分が読みたい本を書くぞと心に決めたのですがそれから幾年月。いつのまにか中年のおばはんになってしまいました。

英語の勉強はシャーロックホームズものを購入してみましたがあえなく挫折。か、悲しい。私もコドモ母。今度中学になる息子の教科書で英語を勉強しようかとまた夢見ています。でももう英語をやろうなんて人生に負担をかけない方がいいかなとも思うのですが。挫折したときのがっかり感が怖いので。はい、コドモ母は「月刊公募ガイド」を購入しました。何か私に応募できるものはないかと。相変わらず夢見がちな私です。全然地に足がついてない・・・。


ソネット3
No.10540  Sun, 20 Jan 2002 12:07:35 +0900  吟遊詩人 [この発言にコメントする]

独りじゃないことは
幸福なのか?
恵まれていれば
幸福なのか?

幸福な者も、不幸な者も
歌え、騒げ、叫べ、踊れ
外に向かって、内に向かって
どうせ誰にも気付かれない

知識と財産
平安と健康
信念と人間

誰もが独りかも知れない
誰もが独りじゃないかも知れない
その誰もが不幸かも知れない

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