アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Joshyaさん:
> ですから、ぴよさんにとっては
>>ちなみに、私にとっては、「殺したいと思った」時点で、
>>すでに、「殺したこと」と同じ重みを持ちます。
>であるのに対し、私にとっては「愛する」も「憎む」も「殺す」ことの一部だったりします。
そういえば、食欲と性欲って、似たものがあるらしいですね。
私は、どちらも
「自分(=相手)をよろこばせたい気持ち」
と解釈しています。
うめ wrote:
>むすこが・・ちゃんはなんであんなことする?ってきかれたのですが、
>私自身こたえられませんでした。
>私自身勉強不足、理解不足です。これからこういうことがたびたびあると
>思います。むすこたちには正しことを教えていきたいのですが、
>なにかよい本などありませんか。
結論から言って、2歳や4歳のお子さんがたに、先天性障害について「わかるように」説明するのは不可能です。であるからして、まずは親御さんご自身の「再教育」ならぬ「再学習」が必要でしょうね。なに、ちょびっと考えてみればいいのです。うめさんご自身が、子供だった頃、自分の周りに、「この子ちょっとちがう」とか「あの子なんでああなんだろう」と思うような子が、ひとりやふたりいたはず。その時どうされてましたか?無視してなるべく関わらないようにしていた?あれこれと世話をやいていた?みんなと協力していじめていた?いずれだったにしても、最終的には「あの子はああいう子なんだな」と、子供なら子供なりに思うところあったはず。そう、時が教師の役目を果たしてくれることもあるのです。子供相手にシャカリキになって理を説いてやる必要はない。ただ、子供たち同士の違和感が、悪質な関係、つまりいじめに発展することもあり得るので、注意が必要ですが、4歳ぐらいだったら、まあそういうこともないでしょう。
肝心なのは、Asやら精神疾患がどうのいう知識より、世の中器用に順応している人間ばっかりじゃないという了解じゃないでしょうか。たとえ生まれた時は何らの障害もなかったとしたって、将来そうならないという保証はない。障害に限らず、まさに「人間万事塞翁が馬」ってやつで、いろんな危機がやってくる。大人になってから、そんなときグレたりしないようにするには、子供の頃、なにかあったとき「きみはできない子じゃないんだから」という、本人の自尊心を引き出してあげた人の存在の記憶じゃないでしょうかね。あとはご自分で考えてみてください。
お子さんの無事な成長を祈ります。
>Motoさん wrote:
>>exp(5*ln(Re)): なぜ人を…(補)
> ちなみに所長は「Re**5」(-_^)b~*。(←古くて悪かったな by 所長)
がはははは。
>>#ちなみに、私にとっては、セックスは「情報交換」ぐらいの意味をもちます。
> それで済んじゃいますか(^_^;)。
まぁ、私のつきあう相手とは、プラトニックラブの段階で、
「相手と自分の境界がほとんどない」状態でしょうから、
すでに、とんでもなく深い関係です。
なにしろ、「以心伝心」ともいえる状態なんです。
そういう意味で、お互いにとって、
セックスは、「情報交換」ぐらい、軽いわけです。
でも、楽しいし、心が癒されるし、やっぱし、大好きです。
ちなみに、私は、いちおう男性です。
つきあう相手は、「情報量が大きい」という理由で、女性のほうが好きです。
るおうさん
Mebiusさん
レス有難うございます。何とか準備も終わり、後は行く荷物を詰めるだけってとこです。
毎日、息子の部屋に行っては喋ったり、ゲームしたりしてます。
昨日はなぜか掲示板アクセス出来なくて、何でだったんだろ〜?
プラウザがなんとか・・・??っと表示されてた。
どんなに疲れてても、夜中に帰って来ても、見てから寝てるだけに昨日は残念でした。
(以下、Mr.Motoによる)
ぴよさんwrote:
>Re^4: なぜ人を…(補)
するとあなたはBASICプログラマ(^_^;)。
Moto wrote:
>exp(5*ln(Re)): なぜ人を…(補)
ちなみに所長は「Re**5」(-_^)b~*。(←古くて悪かったな by 所長)
私にとって「Xを殺す」というのは、「Xの未来における可能性を(全部にせよ部分的にせよ)奪う」の同義語です。で、私は極力他人の人生に介入したくはないし、私の人生をオモチャにされたくもありません。
私の「ぶち殺してやりたい」という感情の根っこには、「私の未来における可能性を侵害する対象に対する防禦反応」というものがあって、それがあるレベルを超えると「相手に対する攻撃性」というものに変化します。
(以下、Joshyaによる)
「Xを殺す」が「Xの未来における可能性を奪う」の同義語と考えると、「女性に対する独占欲」というのも「殺したい」という願望とイコールだということになります。「死蔵」とか「飼い殺し」という言葉もありますし、その意味で他人の人生を邪魔したくない反面、そのひとの人生に(そのひとの「才能を生かす」ことによって)積極的に関わりたい、という気持もあります。そこまで考えると、「生きる」(未来における可能性を選び取ってゆく)ことと「殺す」(お互いの可能性が干渉する)ことはイコールであるように思います。
ですから、ぴよさんにとっては
>ちなみに、私にとっては、「殺したいと思った」時点で、
>すでに、「殺したこと」と同じ重みを持ちます。
であるのに対し、私にとっては「愛する」も「憎む」も「殺す」ことの一部だったりします。
>#ちなみに、私にとっては、セックスは「情報交換」ぐらいの意味をもちます。
それで済んじゃいますか(^_^;)。
「セックスは嫌いじゃないけど(っていうか、好きなんだけど)、自分がなくなっちゃいそうで怖い」という女性が多いものですから、こちらとしても責任重大なんですよね。
「女としての自分」というものを抜きで(つまりセックスの対象でない相手として)つき合ってる期間が長いと、「男と女」の関係になったときにパニックを起こしちゃうということがあります。セックスという行為の間は逆らいがたく「女」であるわけで、セックスの時の「男と女」の関係とそれ以外の「ひと対ひと」の関係が競合しちゃって訳がわかんなくなっちゃうんですね。キレイに使い分けようとするんだけど、保たなくなっちゃう。べったり「男と女」の関係になっちゃうというのは、自分が「ただの女になり下がっちゃう」みたいでいやだ、と。そんでもってぐちゃぐちゃに混乱したあげく逃げ出しちゃう、みたいな女性は多いようです。
「気持ちいいセックスより、ぜんぜん気持よくない、ただのセックスの道具みたいに扱われる乱暴なセックスのほうが気が楽」とか、「相手のことが好きになると、気持ちいいセックスがしんどくなる」という女性がいたりするんですよ、じつは。
「相手と自分の境界がなくなっちゃうくらい、どっぷり深い関係がいい」という女性って、いないもんですかねぇ……
春風の中で昼寝のぬいぐるみ
夕焼けや 新緑の向こうに 蒼き峰
涙目か 桜の上の おぼろ月
菜を取りし 畑つぶされ 駐車場
>> Re^4: なぜ人を…(補)
これって、(〜について)^4 ですね。私は、この書き方(Re^N)を認めています。
> 「Moto氏」あるいは「Mr.Moto」とお呼びいただければ嬉しゅうございます。べつに「Moto」でもよろしいんですが……
了解です。
> 「『殺してはいけないもの』でないものは『殺していいもの』」
ここなんですけど、
私の場合は、「殺したい」という感情を持つことが困難なんです。
だから、何かの理由がないと、殺すことができません。
ちなみに、私にとっては、「殺したいと思った」時点で、
すでに、「殺したこと」と同じ重みを持ちます。
#「あなたは姦淫してはならない」についても、同じような解釈をしてしまいます。
#ちなみに、私にとっては、セックスは「情報交換」ぐらいの意味をもちます。
> 私の場合、「殺したものは食え」「食えないものは(できうる限りにおいて)殺すな」というのが大原則なんですが、時に食えないものまで殺さざるをえない場合があるので、その場合は個別に対応する、という方法を取っています。したがって、「ヤッちゃったらプロポーズする」「人妻には手を出さない」「結婚したら女房一筋」が原則です。
私の場合は、仮定と結論が逆になります。
「食べさせてほしい」という気持ちが先にきます。
結婚についてなのですが、私には博愛主義みたいなところがあるので、
何者も愛してしまいます。
まあ、「結婚」というのはルールですから、それには従ってやりますが。
結婚しても、他の人と友達でいることはできますから。
>>私は、アニマティズム的な感性を持っているので、
>>すべてのものに人格を認めます。
> つまらない事ですが、「アニマティズム」ではなくて「アニミズム」ではないでしょうか。
すみません。訂正します。
まあ、私にとっては、自他の区別が曖昧で、
「みんながひとつ、ひとつがみんな」という感覚だったりします。
>>ですから、私にとってのデフォルト値は
>>「何者も殺して/壊してはいけない」
>>だったりします。
> 「蛇の生殺し」っていう言葉もありますので、「引導を渡してやる」というのが親切、というケースもあると思いますよ。
> 私は釣り上げた魚は鮮度を維持するためにその場で締めます。
> 「本当にこのひとと結婚してもいいのだろうか?」みたいに悩んでる女は強引に犯っちゃうと安心する、みたいな話もありますし。ただ、「なまじ逃げ道があると腰が引ける」と思って退路を断っちゃう女性というのはあまり存在しないらしく、こっちが退路を断ったとたんに怖くなって他の男に走って一方的に関係を断ってしまう、という「ナチュラル・ボーン・結婚詐欺」みたいな女性が多いのは困ったもんだと思います。
私は、どんな人も許してしまうので困ったものです。
他人を裁くことができないんですね。
まあ、私の場合は、波長のぴったり合ったひとと結婚するつもりなので、
(これって、共鳴すると、とても危険なんですが)
お互いにとって、即断即決です。たぶん。
ぴよさんwrote:
>Mr.Moto氏の見解を拝見しました。
>#たしかに、"Mr."と、"氏"が重複しているなぁ……
「Moto氏」あるいは「Mr.Moto」とお呼びいただければ嬉しゅうございます。べつに「Moto」でもよろしいんですが……
>Mr.Moto氏と私では、
>「殺していいかどうか」のデフォルト値が正反対なのかもしれません。
というより、採用している論理自体の差だと思います。
ぴよさんがDN(Low of Double Negation:二重否定の法則)を採用しているのに対し、私は「直感主義の論理」を採用しています。
ぴよさんの場合、
¬(¬A)=A
ですから、
「『殺してはいけないもの』でないものは『殺していいもの』」
と考えて、
「Mr.Motoのデフォルトは、『殺してはいけないもの』以外は『殺していいもの』である」
と解釈されたのだと思います。けれど、直感論理では
¬(¬A)≠A
です。ゲーデルの不完全性定理によれば、「証明可能ではない」にもかかわらず「正しい」命題が存在する可能性を否定できないわけですから、「証明できないからといって、誤っているわけではない」ということが言えます。たとえば連続体仮説や選択公理なんかがこの「証明不能であるが正しい」公理であると考えられています。
したがって、
「『殺してはいけないとはっきり分かっているもの』でないものだからといって、『殺していいもの』であるとは限らない」
ということになります。
私の場合、「殺したものは食え」「食えないものは(できうる限りにおいて)殺すな」というのが大原則なんですが、時に食えないものまで殺さざるをえない場合があるので、その場合は個別に対応する、という方法を取っています。したがって、「ヤッちゃったらプロポーズする」「人妻には手を出さない」「結婚したら女房一筋」が原則です。
>私は、アニマティズム的な感性を持っているので、
>すべてのものに人格を認めます。
つまらない事ですが、「アニマティズム」ではなくて「アニミズム」ではないでしょうか。
>ですから、私にとってのデフォルト値は
>「何者も殺して/壊してはいけない」
>だったりします。
「蛇の生殺し」っていう言葉もありますので、「引導を渡してやる」というのが親切、というケースもあると思いますよ。
私は釣り上げた魚は鮮度を維持するためにその場で締めます。
「本当にこのひとと結婚してもいいのだろうか?」みたいに悩んでる女は強引に犯っちゃうと安心する、みたいな話もありますし。ただ、「なまじ逃げ道があると腰が引ける」と思って退路を断っちゃう女性というのはあまり存在しないらしく、こっちが退路を断ったとたんに怖くなって他の男に走って一方的に関係を断ってしまう、という「ナチュラル・ボーン・結婚詐欺」みたいな女性が多いのは困ったもんだと思います。
(Mr.Moto)
またまたつけたしです。
あの、一日の中で様子に変動があるとかいうことも、薬を飲ませる際に気になることであれば、そういうことも伝えて聞いたら、そういうことにも対応したアドバイスとかもらえるんじゃないかということも思いました。
やっぱり考えがうまく整理できてないです。
何度もすみません。
すみません。
違うふうに読める気がするので、改めて少しつけたしです。
処方する医師を信頼できたりコミュニケーションがとれたりするなら、
薬の名前を知っているのは悪いことはないと思います。
知っていた方がいいこともあると思っています。
これだけです。
はじめまして。
以前から拝見していました。
PHOO さんの書き込みに対する直接のレスにはなっていないのですが、
ななはさんやJETさんのレスなども見て、思ったことがあったので
書いてみようと思います。
処方された薬の名前がわからないなどのことですが、
そのような情報は医師とのコミュニケーションが十二分にとられていれば、
要らないということもあるのではないかと思いました。
逆に医師を十分に信頼できない状況でそのような情報を得ることは、
必要以上の(?)不安や不信を感じることにもつながりかねないと思います。
そういった情報を得るのが良くないと思うというわけではなく、
自分から関わっていくために大切だということもあると思うのですが、
それで処方する医師との関係が気分的にでも損なわれてしまうことがあっては、
それは良くないのではないかと思いました。
薬の名前やどういう薬なのか、どのような飲ませ方が良いのかというようなことは、
まずは処方する医師に尋ねてみるのが良いのではないでしょうか。
あと、とりあえず大切なのは薬の名前よりも
どういう薬でどのような飲ませ方が良いのか、ということの方だと思うので、
そういうことは医師にも、
薬の名前そのものより聞き易いのではないかと思うのですが、
そういうことをまず医師によく聞いてみるということもできるのではないかと思いました。
これを機会に、ときどき書き込んだりできたらいいと思っています。
考えが整理できないのでなかなかむずかしかったんですが。
Mr.Moto氏の見解を拝見しました。
#たしかに、"Mr."と、"氏"が重複しているなぁ。。。
Mr.Moto氏と私では、
「殺していいかどうか」のデフォルト値が正反対なのかもしれません。
私は、アニマティズム的な感性を持っているので、
すべてのものに人格を認めます。
ですから、私にとってのデフォルト値は
「何者も殺して/壊してはいけない」
だったりします。
で、それから「殺すことが許されるもの」を特別視していく。
「成仏してもらいます。」といって、ものを食べるわけです。
JET さん
なにはともあれ
退院おめでとう。
うめ さんへ
こんにちは。
ASについて書かれている本は少ないけど
「この星のぬくもり」というコミック本はわかりやすいと思うよ。
あっ! それからね、・・・るおうさん。
人も羨むような家庭だった私の実家も長い年月をかけて崩壊してゆきました。
私の父はアスペでした。私が生まれる以前から既に家庭などというものは形骸化していました。でも、それは父がアスペだったせいではありません。
周囲の人間達が勝手に自分の都合の良いように理想を描きエゴを剥き出しにした結果です。父が死んで実家は完璧に崩壊し、私はようやく自由になりました。
幸せの形に理想形なんてありません。幸せだと思ったら、それが幸せ。
時には崩壊した方が幸せな事だってあるのかも知れない。
<猫は初めて自分の猫になりました。
猫は自分が大好きでした。>
―「100万回生きた猫」より―
私は初めて“自分の私”になりました。
私は自分が好きになりました。
―Mebius―
るおうさんへ
ずーーとずーーと前、るおうさんが教えてくれたおむにさんのチャット、
ようやく昨日行って来ました。
緊張しちゃいました。失敗しちゃいました。逃げ帰ってきました。
慣れるまでちょっと大変。
ケンシローさ〜ん。ご挨拶も出来なくてごめんなさ〜い。
おむにさ〜ん。私、北海道にいま〜す。おむにさんといつかお会いしたいです。
るおうさ〜ん。お誘いありがとう。また行ってみるつもりです。
リアルタイムのコミュニケーションと新しい環境が苦手なMebiusでした。
訂正です。
Moto wrote:
> ご拝察感謝申し上げます。
正しくは、
> ご賢察感謝申し上げます。
でございます。失礼申し上げました。
ついでながら、「なぜ人を殺してはいけないか」、あるいは「ぶち殺されても当然と思われる奴であっても、いざ殺すとなると逡巡してしまうのはなぜか」については、「それが境界(リーメン)を犯す行為だから」という説があります。これは『タブーの謎を解く 食と性の文化学』(ちくま新書)の中に紹介されている人類学者のターナーの説を敷衍したものなのですが、世の中には「殺していいもの」と「殺してはいけないもの」が存在し、人間は「殺してはいけないもの」に属するがゆえに、「殺人」は「日常」から隔離されなければならない、ということだったりします。
鮒と金魚は生物学的にいえば同一種であり、鯉と錦鯉も同一種です。一方、「ペット」は「食べはいけないもの」であり、「サカナ」は「食べていいもの」です。したがって金魚や錦鯉を食べることは「ペット」と「サカナ」、「食べてはいけないもの」と「食べていいもの」の境界を侵すがゆえに食べてはならない、ということになります。
とはいえ、この「境界を侵す」行為は非日常的であるがゆえに人をしてドキドキさせるものなわけですから、殺人だの不倫だの幼児性愛嗜好だのといった行為に魅せられる人というのが存在するわけですが。
で、こうした「境界を侵す行為」は人をして不安にならしめる行為であるがゆえに、それを「タブー」として禁止することで安心する、というのがタブーの起源である、と人類学者は説いています。
古代の日本では、戦って死んだ人間やニワトリを食う(あるいは戦えなくなった人間やニワトリを殺して食う)のはタブーではないのに、食べるために人間やニワトリを殺すのはタブーであったらしい、というのが分かっています(これは「禁止されている」というより、飢饉になっても人間やニワトリを食う奴がいなかった、あるいは食った奴は「罪人」ではなく「狂人」とみなされた、といったレベルの話です)。そして江戸時代に食用とされたニワトリはすべて軍鶏であったとか。つまり、「相手の生命あるいは精力を継承する」という意味でのカニバリズム(人肉食)、というのは認められており、「ニワトリを食う」というのはカニバリズムの代償行為だったと思われます。
なお、カニバリズムの場合、「食べる」側ではなくて「食べられる」側のカニバリズムというのがあって、ボクシングを題材にした劇画の「選手生命に限界を感じたチャンピオンが、リングの上で戦って死ぬためにふさわしい相手を選ぶ」というパターンはこの「食べられる側のカニバリズム」の一形態と見なすことができると思います(代表例:松本大洋『ZERO』、小学館、ビッグコミックス、全2巻、本体485円)。
なお、『赤ずきん』も古典的解釈によればこのカニバリズムにおける「食べる」側と「食べられる」側の「結婚」の物語だったのですが、フランスのロマン派を代表する作家であるシャルル・ペローの馬鹿野郎とドイツの後期ロマン派を代表するグリム兄弟の糞ったれがロマン主義的な立場からその解釈をぶち壊した、と所長は考えています。
ついでながら、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教では兄妹相姦あるいは姉弟相姦は「罪」である以前に「狂気」ですが、日本では単なる「罪」でしかありません(なにしろ「妹」という字には「妻」という意味があります)。その意味で、「タブーは狂気と犯罪を分かつものである」と言うこともできると思います。
(Mr.Moto)
私は、人は「殺さないほうがいい」と思っています。
ちょうど、ものを「壊さないほうがいい」のと同じです。
自分が、「ものを捨てられない」性格だからかもしれません。
なんだか、もったいない気がするんです。
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami