アスペルガーの館の掲示板(旧)

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個性?適性? 8697へのコメント
No.8699  Sun, 11 Nov 2001 17:11:43 +0900  Maria [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>それはさておき、障害という言葉の持つイメージが強すぎるのかもしれません
>ね。なにか一つ適当な言葉を見つける、もしくは作り出すだけでもこうもりさ
>んの「説明問題」は解決するかもしれません。
>……と思ったけど、でも「個性」も、その解決策の一つだったんだろうな。
>ってことは、よっぽどうまい言葉を持ってこないと、結局同じことの繰り返し
>になりかねないか。むむ。
>まあ、探してみる価値はあるかも。

Mr.Moto wrote:
> 「障害は個性だ」というフレーズは、いかにも嘘臭い。むしろ「障害は適性
>だ」と言ったほうが実感に合ってんじゃないのか?
 『Re: お母さんの一言』(No.7212、5 Sep 2001)

 「個性」というのは哲学でいう「単子」という概念にしっかり結びついています。集団の中の一個人を指したときの「個人」ではなく、「自分自身にとって、根源所与的な存在としての<私>」、つまり、あらゆるものの基本となる、本人にとってかけがえのない<私>を規定するものが「個性」です。ですから、本人が「障害は“私の”個性だ」と宣言すること、つまり、「世間が私の『障害』とみなしているものは、私にとって“私自身”の存在を規定する、“私自身”と不即不離のものであるという意味で、私の『個性』である」と宣言することは、べつにおかしいことではありません。あたしにとって、自閉症傾向のないあたしというのは、ほとんど想像不能であると同時に、そんなあたしは今のあたしにとってあたしではありません。それを「治療」されるとしたら、それは『カッコーの巣の上を』に出てくるロボトミー手術みたいなもので、いっそ誰かに殺してもらいたいと思うようなものだったりします。

 そんなわけで、「アイデンティティの一部としての障害」というものを受容した人間が「障害は個性だ」というスローガンを掲げることは、かつてアメリカ・インディアンが“Dead better than Red!”(共産化より死んだほうがまし)という反共スローガンをもじって“Red better than Dead!”(殺されたとしてもインディアンであるほうがまし=インディアンとしてのアイデンティティを失って生きるより、インディアンとして死ぬことを選んだほうがまし)というスローガンを唱えたのと同じような意味を持ちます。
 そんなわけで、「『障害は個性だ』という言葉を健常者の口から聞きたくない」という気分はあるのね。

 「私たちには(そして、誰にでも)、できることと、できないことがある」という意味で、「障害は適性である」というのなら、単なる一般論です。「片手で錐は揉まれない」ですから。

 ただ、「自らの障害をアイデンティティの一部として取込むこと」を、「逃げ」や「甘え」だとして排除する人々がいます。「障害は個性だ」というスローガンも、そういう人たちの主張に対するアンチテーゼという意味がありそうに思います。「個性なんだから、曲げることはできない」という主張として。ただ、そういう態度に対して、「障害と正面から向かい合い、それを克服する努力」を放棄しようとしている、と非難したがる『いわゆる「健常者」』が、とても多いということは、ひとつの事実として認めてもらえると思います。

Mr.Moto wrote:
---
 わしらは根底のところで『いわゆる「健常者」』とは感性がズレている。それを「治そう」とする親(というか、教師や医師などを含む保護的立場の人間)と、『しょせん親なんつーのは「自分をなるべく曲げず世間にもそれほど迷惑をかけず、なるべく適当なポジションを見つけて世間と折合う」ことの手伝いしかできん』と悟った親がいる(中略)。
 とはいえ、人間っつーのは誰だって自分の思う通りには生きられないのだ。どこかで挫折しながら他のどこかで自己実現し、それで世の中と折合ってゆくしかないのである。その意味ではわしらはわしら以外の人間と変わりはない。
 ただし、わしらの場合は「ASとして世の中と折合ってゆく」という方策を、親が認めない、ということはある。性同一障害の息子にあえて男として生きることを要求する親がいるように、だ。で、この「要求」は、この日本という国においてはほとんどの場合に「強制」として働くのである。

 親としては「非・AS」として生きることを当然と思い(当然じゃないのだが)、その結果として「立派な社会人」になることを期待し(期待されても困るのだが)、さらには幸せになれると信じているのだろうけれど(必ずしもそうならないことはうちのJoshya氏を始めとして多くの人によって証明されているのだが)、かといってその結果についてはまったく責任は取れないのである。
 「ダメだったらどうすんだよ」みたいな理屈は通じない。『「非・AS」として生きなければ必ず不幸になるのだから、「非・AS」として生きる以外に選択肢はない』と思っているとすれば、「非・AS」として生きた結果がダメだったら、それは「本人のがんばりが足りなかった」とか「運が悪かった」とか、「本人に才能がなかった」とか、そういった原因に帰せられてしまうのである。
---

 「障害を個性として生きる」という生き方を不快に思い、迷惑だと感じ、我侭であると考え、障害者を敵視して社会から排除しようとする『いわゆる「健常者」』、つまり、そういう感性が「健常者」全般の感性であり、それ以外の態度(つまりは障害者の社会進出を歓迎する態度)というのは見せ掛けであり偽善でしかないのだと主張する人がいます。バリアフリーだとかユニバーサルデザインだとかは単なるごまかしかおためごかしでしかなく、「障害者にとって使いやすいものは健常者にとっても使いやすい」というのは嘘だと主張し、バリアフリーやユニバーサルデザインの製品を「醜い」と非難する人が、実際にいます。
 障害者であり政治評論家である櫻田淳さんは、「私は養護学校で、世間というものは障害者にとって温かいものではなく、生きるという行為は悪意との戦いであるということを学んだ」と言っています。あたしも残念ながら、この意見に注釈つきで半分以上賛成です。「悪意との戦い」ではなく、「『ある種の善意』と『善意を装った悪意』と若干の『わかりやすい悪意』との戦い」であり、「わかりやすい悪意」というのはむしろ敵として怖るるに足りない、と思っていますが。

 まあ、障害者を嫌悪する気持はわかんないでもないんですがね。障害者にとって茶道だとか作法・礼法なんていうものはいかなる位置にあるものであるか、みたいなことを考えると、あたしたちの存在自体が「美しい日本の文化の破壊者」みたいに思えてくる人だっていそうに思います。正座ができない人や、長時間じっと坐っていることにはなはだしい苦痛を感じる人だって、世の中にはおるわけだから(もっとも「健常者」にとっても事情は似たり寄ったりなんですけどね)。だけど、茶道だとか作法・礼法だとかいったものの「本質」というものを考えると、問題の本質はそういう点にはない。けれど、「伝統」「型」「様式」といったものにすがる以外に自我の支えを持たない『いわゆる「健常者」』、つまり「障害者」に対する「健常者」という優越意識にしかアイデンティティを見出せない人々というのは、その防壁である「障害者」と「健常者」の境界を侵そうとする者は敵でしかないわけです。

 独裁者が国境を閉ざし、自由主義世界の「穢れた文化」が入ってこないようにするのと、理由は同じ。

 健常者のすべてがそうした観念(あるいは妄想)に取り憑かれているとはあたしも思ってはいません。だけど、自分が「まとも」であり「ちゃんとしている」ことに執着し、「まったく××連中はなっとらん」とかいって、いつでも怒っているような人というのはいるものです。あたしは「近頃の若い連中」だって総じて好きだし総じて認めてますけどね。あくまで「総じて」ですが。

 「被害者ヅラ」「弱者ヅラ」の件のときと同じことを繰返すことになっちゃいますが、「健常者の代表ヅラ」をした『いわゆる「健常者」』を、「健常者の一部」ではなく「本来の『健常者』とは別の存在」として扱うことが、用語やスローガンの問題に先行しそうに思います。

 だけど、そういう連中を「人格障害者」とかいって差別しちゃったりしたら……うーむ。これはこれで、深い。

 今回は黒Maria……かな?

 (Maria)


Re: 神を認めるのですか? 8672へのコメント
No.8698  Sun, 11 Nov 2001 15:47:11 +0900  里辺華 [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>I wrote:
>
> ただし、あたしは「神に選ばれた存在」としての「キリスト」を信じない(ナザレのイエスが尊敬に値する人物であり、そういう人物が歴史の上に現われたことが「奇跡的」であるというんを認めるのに吝(やぶさ)かではありませんが)という意味で「クリスチャン」ではありませんし、人格神としてのヤハウェの存在を主張する気はまったくありません。
わたしは、神ヤハウェを信じます.キリストは神の子供であり、天に於いてみ使いだったが、ヨセフ、マリアという夫婦のもとに人間として生まれ、奇跡と宣教を行った後で、全人類の罪の為に犠牲として死なれたということを信じています。


Re: 障害についての沈黙の是非 8688へのコメント
No.8697  Sun, 11 Nov 2001 15:01:04 +0900  みどり [この発言にコメントする]

蝙蝠(狂人型 ) wrote:
>子供の頃から「あなたのは個性なのよ」と教えてこられて、

これは、暗に「あなたのは障害ではなく個性だ」という意味でしょうから、「障害はよくないもの、あなたは違う」と教えてきてしまっているわけで、そうやって育ってきたのにいきなり「障害です」と言われたら嫌がるのは無理もないでしょう。
この教え方にはすでに「障害と個性は排他的なもの」とか「障害はないほうがいいもの」という考えがベースにあるわけです。
実際に障害を持っている、もしくは持っている可能性がある子供に対して、そういう「障害イメージ」を作っちゃうのは、それだけでも問題だと思うなあ。

それはさておき、障害という言葉の持つイメージが強すぎるのかもしれませんね。なにか一つ適当な言葉を見つける、もしくは作り出すだけでもこうもりさんの「説明問題」は解決するかもしれません。
……と思ったけど、でも「個性」も、その解決策の一つだったんだろうな。ってことは、よっぽどうまい言葉を持ってこないと、結局同じことの繰り返しになりかねないか。むむ。
まあ、探してみる価値はあるかも。


さらに別方面から。
保護と言えば、日本では専業主婦 (正確に言えばちょっと違うけど) も社会的保護を受けています。別に働く能力がないわけでも仕事が見つからないわけでもなんでもなくても、税や年金において優遇措置が受けられます。
(年金の優遇措置についてはこちら: http://www82.tcup.com/8243/c3.html )

つまり、保護にはあんまり合理的な理由はいらないのです。政治的な理由でもなんでも、成立しちゃえばいいのです。だから、「個性を基準にした保護」があったっていいんじゃない、という考え方もありかもしれません。


Re: >>8330 8331へのコメント
No.8696  Sun, 11 Nov 2001 14:45:25 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]
( ´∀`)さん wrote:
>   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>  ( ´∀`)<  オマエモナー
>  (    ) \_____
>   | |  |
>  (__)_)

     ↑某掲示板のマスコット
         __________
   へ_へ  /
   ( ~w~)<  こっちも負けないにゃ〜
   (   ) \__________
   | ||
   (__)_)

     ↑僕が考えたキャラクター

Re: 人格の分裂 8692へのコメント
No.8695  Sun, 11 Nov 2001 11:16:25 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
> 久々にこうもりに戻りました。
>

> 自分のコメントを他人の視点で読んでみると、意外な発見があるので
>ちょっと面白いです。


ぅふふ、ちょっとだけ、分かる気がします。
頑張ってくださいね、静かに学習しています。

   (タレイヌ)


Re: 障害についての沈黙の是非 8687へのコメント
No.8694  Sun, 11 Nov 2001 10:34:26 +0900  蝙蝠(内省型) [この発言にコメントする]

 Lingkoさん,みどりさん,慎言居士さんのレスをまとめておく…

(障害と個性の関係について)

(1)Lingkoさん→障害と個性は排他的な概念ではない
(2)みどりさん→行政的な障害の評価と個人の自己評価は別物

 こうもりは基本的にご両人の意見に同意した模様である…。後は、慎言
居士さんがレスしたように、具体的にそれをどう説明していくかという問
題である…。その際に説明の対象となるグループは

(1)医学的評価,自己評価が共に健常者である人
(2)医学的評価は障害者であるが、障害を認めたがらない人

ということになる…。いずれの場合も、軽度発達障害に関する予備知識を
持たない可能性があるという前提で話を進めなければならない…。

 こうもりはこの点について考え込んでいる様子である…。


続・聴覚認知障害
No.8693  Sun, 11 Nov 2001 10:15:54 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

 私は今鬱病と言うことで精神科にかかっています。最近になって自分はナルコレプシーではないかという新たな疑問が生じてきて医師にそのことを言いました。「あのう、わたし、ナレコプシーではないかと思うのですが・・・・」「ナルコレプシー」医師は私の顔を見つめて言い直しました。「ナレコプシー?」「ナルコレプシー」「ナレコプシー?」「ナルコレプシー」「・・・ナレコプシー・・・」最後に医師は「ナルコレプシー」と紙に書いてくれました。そして私はやっとナルコレプシーということばを会得したのです。

 そして改めて自分が聴覚認知障害の可能性のあることを理解しました。Toxさんと同じように私もレジで正しく金額を聞き取れた試しがありません。

 口頭での議論は自分が正しいと思っていても最初から負けることにしています。相手の言うことを理解するのが難しいのです。

 このごろ、学生時代の友人と会う機会がありました。でも時間が長くなるにつれ、どうして私は数少ない友人と話すのにこんなに苦痛を感じるのだろうと思っていました。

 自分に障害があることはうれしいことではないけれど障害があったのだと自分への理解が深まることはうれしいことです。

 p.s名加野君へ
 掲示板が治ったことの連絡ありがとう。私はパソコンの操作にまだ慣れていなくて名加野君の言うとおりにできなくてゴメンね。


Re: 人格の分裂 8690へのコメント
No.8692  Sun, 11 Nov 2001 10:10:05 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 久々にこうもりに戻りました。

タレイヌさん wrote:

>こうもりさんは、合計6人格!?
>>(1)蝙蝠(悪魔型)→悪を主題としたテーマを扱う
>>(2)蝙蝠(狂人型)→狂気や正常と異常を主題としたテーマを扱う
>>(3)蝙蝠(混乱型)→こうもりが精神的に不安定になった時に出現
>>(4)蝙蝠(激怒型)→頭に来るコメントを見た時に登場する
>>(5)蝙蝠(内省型)→こうもりの発言を自己点検する時に登場する

ひとまず、わたしがシビリアンコントロールしていますので、ご心配
なく。蝙蝠のうちの狂人型は元々自分を励ますためのキャラクター(く
ると)が原型なのでそれほど怖くはありません。混乱型も不安定な人格
ですけど、基本的には人畜無害です。内省型も自己点検のためのキャラ
クターなので他人に危害を加えることはあまりないでしょう。

 残る悪魔型と激怒型ですけど、悪魔型は元々扱いにくいテーマを扱う
ために発生したので、見る人によってはちょっと怖いかもしれません。
ただし、悪魔型はわたしに病識(障害の自覚)が発現した頃の心情を反
映しているので、全くわたしと無関係な存在ではありません。

 激怒型は基本的に他人に対する中傷コメントを見た時だけに出現する
予定で、私的な目的で出現することはまずありません。

 自分のコメントを他人の視点で読んでみると、意外な発見があるので
ちょっと面白いです。


Re: 神を認めるのですか? 8672へのコメント
No.8691  Sun, 11 Nov 2001 10:03:04 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

Maria さんwrote:

> 「尽天地は一軸の経巻」。世界から、自然から、学ぶことは多いと思います(ルソーみたいですが)。イエスもまた、そうした自然主義者、自然哲学者だったとあたしは思っています。

アア、そう考えると、わかります。
ところで、もう、お疲れはとれました?

タレイヌも「神」について、考えた事がありました。
やはり、Mariaさん的地球物理方面(っていう言い方があれば?ですが)からの詰めより方で・・・・。
そいでもって、でも自分で、実際に目で見れない範囲のことになったら、Syakuさんがお書きになっている「限られた意識」の範囲で、暮らして来ています。

「自分が、好き!」って、思う事が、意識には上ったことは、ほとんど無いに等しいです。「この人が、好き!」っていうのは、結構あるけど。自分の嫌いなところって、結構自分で知ってるし、やばいよなぁ・・って、よく思ってるから。だから、子供(に限らず他者)に対しては、いいなあ、とか、すごいなあ、とか、結構思うかも?タレイヌには絶対出来ないことやれている人たちって、世の中にはもうもう、たくさんいる気がしてる。

  (「あんた馬鹿じゃない?」とよくいわれてたタレイヌ)


Re: 人格の分裂 8663へのコメント
No.8690  Sun, 11 Nov 2001 09:33:56 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

蝙蝠さん wrote:

はじめまして、だよね?
ちっと、こわい。

こうもりさんは、合計6人格!?
>(1)蝙蝠(悪魔型)→悪を主題としたテーマを扱う
>(2)蝙蝠(狂人型)→狂気や正常と異常を主題としたテーマを扱う
>(3)蝙蝠(混乱型)→こうもりが精神的に不安定になった時に出現
>(4)蝙蝠(激怒型)→頭に来るコメントを見た時に登場する
>(5)蝙蝠(内省型)→こうもりの発言を自己点検する時に登場する

気持ちは、わかるけど・・・もうお一方、確か、4人格は、お持ちで・・・これで、意味ないけど合計10人だっ!!
タレイヌ、読みこなすのに、大変そうだ。が、がんばりまっす。

「障害認定」境界の辺とは、無縁で来てしまっていたので、よくわかりません。年齢的にも、偏り度合いも、引っかかれる領域でなかったことが、大きな理由ですが、単純に、金銭的にやはり、大変です。(ま、子育てというのには、お金はかかるものなんですけど、これは、障害の有る無しの問題を抜きにしてもですけど、当然)区分としては、医療費と言う事になるかもね…つまるところ(ごめん、親の愚痴書いちゃった、ついついこうもりさんには、甘えてしまう・・・)

 こうもりさんに学ばせて、いただきます。
     (タレイヌ)
 


Re: 障害についての沈黙の是非 8685へのコメント
No.8689  Sun, 11 Nov 2001 08:06:42 +0900  蝙蝠(狂人型 ) [この発言にコメントする]

 おはよう。慎言居士さん。蝙蝠ヴァージョンでお会いするのははじめて
だったっけ。

Makichan改め『慎言居士』 wrote:

>すこし意味が解かり辛いのですが、『他の軽度発達障害者(らしき人)が自ら
>を障害者と認めたがらない気持ちを尊重して、彼に何も言わないでおいた方が
>いいのか、あるいは正直に彼に障害者(らしき人)であることを告げ、支援を
>仰ぐことを勧めたほうがいいのか迷っている』というような意味でしょうか?

これには2つの問題が含まれているんだ。1つは、医学的な意味での非障害
者にどう説明するかという問題で、もう1つは保護や支援を必要としている障
害者にどう説明するかという問題。

 で、慎言居士さんのコメントは後者に対するものだと理解しているよ。こう
もりくんはいちおう下っ端ボランティアをやっているし、比較的表現力が高め
な自閉人ということで、そういう問題に関わっていくことも希にはあるかもし
れない。

>そういう意味でしたら、障害者という言葉をなるだけ使わないで、「勉強す
>る上で、なにか困難感じるようなら、支援する団体があるけど参加してみた
>ら?オレも居たんだよ。」ぐらいに軽くやんわりと勧めるというのはどうで
>すか?

こうもりくんは支援団体に所属したことはなかったんだ。第1、ASが正式な
診断基準に採用されたのは1992年、こうもりくんが18才の時だった。また
、診断基準に採用されたからと言って、すぐに支援態勢が整う訳ではないしね。
大人になってから教育学的LDであり、ASである事が明らかになったこうもり
くんには支援は間に合わなかった。全く関係のない医療機関には出入りしていた
ことがあったけど。

 でも、こうもりくんが「教育学的LD」や「AS」の立場からそのように発言
することには、それなりに意味はあると思う。いちおう、適応状態の良好な軽度
発達障害者ということになっているから、障害者として支援を受けることへの抵
抗感を減らせるかもしれないね。

>このレス自体がいらぬお節介かしらん。

 いやいや、こうもりくんはすごく助かっていると思うよ。


Re: 障害についての沈黙の是非 8683へのコメント
No.8688  Sun, 11 Nov 2001 07:34:17 +0900  蝙蝠(狂人型 ) [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>本題についての私の意見は、「生活保護を受けられること」と「貧乏」は同一
>の概念じゃないように、行政の区分と個々人の認識区分をごっちゃにする必要
>はないんじゃない? といういつものものになります。

 アドバイスありがとう。これで残された問題は1つだ。こうもりくんが苦戦
しているのは、この区分をどうやって説明するかという点に集中している。「
障害における「行政の区分」と「個々人の認識区分」を混同するなという考え
方はこうもりくん自体は理解できると思う。

 でも、読む人によってはこれが政治家のあいまい答弁のように聞こえてしま
うかもしれない。「わたしの障害は個人的見解としては個性ですが、公の見解
としてはやはり障害ということになるんじゃないかと…」みたいな。

 さらにこの説明はASの中でも言葉を字義通りに捉えてしまいがちな人には
ちょっとややこしい。よく問題になるのは、明らかに保護就労が必要と判断さ
れる成人ASが、子供の頃から「あなたのは個性なのよ」と教えてこられて、
就労の段階になって「僕のは個性なのになんで保護が必要なんだ」と反発して
しまう場合だ。本人が「自分はASだ」という自己認識を持っている場合は説
明しやすいけど、そうでない場合はややこしい。「あなたの特徴は行政的には
障害だけど、個人的には個性なのよ」という説明が通じるかどうか…

 まあ、基本的な線はLingkoさんとみどりさんの考え方で問題ないと思
う。後はこうもりくんの表現力にかかっているという感じかな。

>この話が本当ならば、
>>「どんな人も障害者の特徴を持っていて、君のもその1つに過ぎない」
>これもかなり信憑性のあるものかもと思いました。

 ある統計によれば、全人口の3分の1は軽度発達障害の傾向を持っていると
言われている。そのなかの一部に保護や支援を受けている人がいるのはどうい
う根拠からなのか?「どんな人も障害者の特徴を持っている」という説明には
、どうしてもこのような誤解がつきまとってしまうんだ。

 医学的にも障害者の立場になったこうもりくんにとっては1つの試練なんだ
ろうね。


Re: 障害についての沈黙の是非 8682へのコメント
No.8687  Sun, 11 Nov 2001 07:02:32 +0900  蝙蝠(狂人型 ) [この発言にコメントする]

ごめん。こうもりくんのコメントの主旨をちゃんと説明できていなかった。
こうもりくん自体は「障害」と「個性」を排他的な概念とは見なしていない。
でも、そういう誤解をしてしまう人が多いって話なんだ。これは非自閉人だけ
でなく、自閉人のなかにもけっこう多い。

Lingkoさん wrote:
>「障害」と「個性」とが、互いに排他的な概念であるという前提をはずして
>みたらいかがでしょう?

つまり、この部分をうまく他人に説明できれば問題は解決する訳だよね。僕
がこうもりくんにこの事を伝言してやらないと。この部分の説明にひどく苦し
んでいたから。どちらかと言うと、分かりやすく説明できないという悩みだっ
たけど。

>まあ、「田の字型」という言い方もかなりおおざっぱにすぎますが、「障害か
>個性か」という二者択一から離れるためのツールという用途に限って言えば有
>用だと思います。

 どうも、アドバイスありがとう。


Re: ドラマの有効利用 8629へのコメント
No.8686  Sun, 11 Nov 2001 06:55:49 +0900  クウ [この発言にコメントする]

Mariaさん、レスありがとうございます。

Maria wrote:
>クウさん wrote:
>> ドラマは ステレオの放送はやめて副音声で解説をつけて欲しいですね。
>> ≪野球中継のように≫
>
> えー、これは、「質問(次の自閉症題材のTVドラマのストーリーはどんな感じがいい?)」に対するコメントですね?

 はい。横レスになるので別枠にしました。

> あたしとしては、むしろ原作本(あるいはノベライゼーション)・解説本(できればコミックス)を別に出して、ドラマはドラマとして、ストーリーの中で解説したほうがいいように思います。
>
> 『よくある「ドラマ」の中での「解説者」』というのは、昔から「狂言回し」と呼ばれていて、あれはあれでひとつのスタイルとして定着しています。だから、そっちのほうが分りやすいという視聴者もいるんじゃないかな?
>
> 昔話になっちゃいますが、『風の忍者フジ丸』(「♪時は戦国 嵐の時代 でっかい心で生きようぜ 風吹きまくれ 吹き荒れろ 微塵隠れだ 火焔の術だ 悪い奴らをやっつけろ」って、なんつー古い話だ)だと番組の最後に戸隠流忍術の宗家である初見さんが登場して解説をしてたり、たしか『未来警察ウラシマン』だと思ったけど、場面の途中で「説明しよう」とかいって解説が入ったり(あさかぜさん、知ってたらフォローお願いします)、『新・八犬伝』では坂本九ちゃんの解説がそれ自体楽しみだったりしたので、そのあたりはドラマの構成によりそうな気がします。
>
> 柄本明あたりが「自分も自閉症(だけどぜんぜん悩んでない)の精神分析医」かなんかの役で登場したりしたらけっこうウケるかも。
>

 「説明しよう」というセリフは私 好きです。
 
 ドラマの構成は 民放テレビの「特命リサーチ200X」のドラマ構成が
よいのではないかと思います。それか 裁判ものにして「医者」が「証人」として
「自閉症あるいはアスペルガー症候群」を説明していくストーリー構成もいいのかも。〔ドラマ「君が教えてくれたこと」は 裁判をメインにして欲しかったです〕
 

 クウでした。


Re: 障害についての沈黙の是非 8681へのコメント
No.8685  Sun, 11 Nov 2001 04:45:14 +0900  Makichan改め『慎言居士』 [この発言にコメントする]


 こうもりさんの障害者支援に対する真摯な態度には、いつも頭の下がる思い
がしています。

蝙蝠(狂人型 )さん wrote:

> 他の軽度発達障害者への配慮を優先させるべきか、意見や気持ちを正確に語
>ることを優先させるべきか、こうもりくんは迷いの渦中にある。こういう場合
>に、みんなだったらどんな態度で臨むだろうか?
>
> こうもりくんに教えてやってくれるとありがたいんだけど。

すこし意味が解かり辛いのですが、『他の軽度発達障害者(らしき人)が自らを障害者と認めたがらない気持ちを尊重して、彼に何も言わないでおいた方がいいのか、あるいは正直に彼に障害者(らしき人)であることを告げ、支援を仰ぐことを勧めたほうがいいのか迷っている』というような意味でしょうか?
そういう意味でしたら、障害者という言葉をなるだけ使わないで、「勉強する上で、なにか困難感じるようなら、支援する団体があるけど参加してみたら?オレも居たんだよ。」ぐらいに軽くやんわりと勧めるというのはどうですか?

私は社会にはある程度のお節介あっても良いと思うんです。私なんか40歳も過ぎるのに未だ独身なので、よくお見合いを勧められたりします。今とても結婚できる心境じゃないのでお断りしてますが、勧められて悪い気はしません。どころか気にかけてもらって嬉しいですね。お節介焼くことは技術がいるでしょうが、それ自体は決して悪い事じゃ無いと思いますね。

このレス自体がいらぬお節介かしらん。


改名します。
No.8684  Sun, 11 Nov 2001 02:32:00 +0900  Makichan改め『慎言居士』 [この発言にコメントする]


 皆様方ご無沙汰しております。久しぶりに投稿させていただきます。
過去において、私の度重なる放言暴言癖でもって多くの人にご迷惑をおかけ
したことを今改めてお詫びします。反省と自戒の意味を込めましてハンドル
ネームをMakichanから『慎言居士』に改名します。

それとこれはMariaさんにですが、私は決してあなたと議論するのを避けてい
るのではないのですが、余りに思考回路が違うためにレスを付けにくいのと、
ここのところ毎日ネットを見られる状況にないのでどうしてもタイミングレス
になってしまうのです。決してあなたに悪意を持っているわけではないし、避
けているわけでもないのです。ともかく非礼は私の方にある。改めて謝し奉る。

今後もマイペースで投稿していきたいと思っています。ただ私にレスしていた
だいてもそれにレスできるかどうかわかりません。勝手ではありますが。(理
由は上記のとおり)そんな人間だと思ってお付き合い願えたら有難いです。

ここまで書けるようになるまでー月近くかかりました。(ニガ笑い。)


Re: 障害についての沈黙の是非 8681へのコメント
No.8683  Sun, 11 Nov 2001 00:06:55 +0900  みどり [この発言にコメントする]

本題についての私の意見は、「生活保護を受けられること」と「貧乏」は同一の概念じゃないように、行政の区分と個々人の認識区分をごっちゃにする必要はないんじゃない? といういつものものになります。

しかし、返答を書いているのは別の話題。
最近、小人症 (成人しても子供くらいの身長にしかならないというあれです) について調べていたら、こういう記述に出会いました。(文章は記憶から再構築しているので正確ではありません)
「小人症のうちのある種のものは遺伝子の一部突然変異による。この発生確率から、同程度の、なんらかの遺伝子異常が起こる確率を計算すると、なんと80%にもなる」

小人症のように、明白な変化をもたらすものはまれでも、この世の大半の人はなにかしらの遺伝子異常を抱えている、というわけです。

この話が本当ならば、
>「どんな人も障害者の特徴を持っていて、君のもその1つに過ぎない」
これもかなり信憑性のあるものかもと思いました。


Re: 障害についての沈黙の是非 8681へのコメント
No.8682  Sat, 10 Nov 2001 23:17:32 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

「障害」と「個性」とが、互いに排他的な概念であるという前提をはずしてみたらいかがでしょう?

「障害/障害ではない」「個性/個性ではない」は、それぞれ別々の切り方で、重ね合わせれば田の字型のグラフになると私は考えてるんですけど。

まあ、「田の字型」という言い方もかなりおおざっぱにすぎますが、「障害か個性か」という二者択一から離れるためのツールという用途に限って言えば有用だと思います。


障害についての沈黙の是非
No.8681  Sat, 10 Nov 2001 22:56:44 +0900  蝙蝠(狂人型 ) [この発言にコメントする]

 僕は蝙蝠(狂人型)。こうもりくんが自分の障害について妙な所に引っかか
っているので、僕がかわりにコメントすることになったんだ。

 こうもりくんの悩みというのはこうだ。こうもりくんが障害者としての自分
の立場を説明しようとすると、次のような2つの反応が返ってくることがある
そうなんだ。

 1つは「君の障害は既に個性の範疇に入っていて、なぜ障害にこだわるのか
分からない」というもので、もう1つは「どんな人も障害者の特徴を持ってい
て、君のもその1つに過ぎない」というものだ。前者についてはこれまでこう
もりくんが説明してきた通りだ。こうもりくんにとって障害の認定とは個性で
ある以前に所属であり、出発点であり、今まで曲がりなりにも困難と付き合っ
てきたことに対する勲章なんだ。それを否定されれば面白くはないだろう。だ
からと言って「健常者には苦労がない」なんて夢にも思ってないだろうけど。
杉山登志郎先生が言われるように、健常者であるということは別に本人の幸福
を保証する訳ではないからね。

 でも後者の方はちょっと微妙だ。こうもりくんは公式見解としては表明して
いないけど、同じ疑問を持っているみたいなんだ。例えば、医学的LD(読み
書き計算の障害)は無文字社会や識字率の低い社会ではそれほど問題になると
は思えない。医学的LDが問題になるのは教育が普及していて識字率の高い社
会だけの話なんだ。つまり、どんな人でもある種の障害者的な特徴があるんだ
けど、それは社会の基準によっては全く問題にされず、個性として扱われるこ
ともある。しかし、たまたま社会の要請する基準と合わない特徴を持っていた
場合に医学的な意味で障害と評価されるんじゃないか、という考え方だ。医学
的LD・教育学的LDを含めて日本で読み書き計算の障害が問題になったのは
ほとんどの子供が受験を経験するようになってからだったという事実にも注目
しておく必要があるだろう。ASやADHDも同じだ。障害の有無に関係なく
、学級崩壊とかしつけの問題が話題になっている時期にこの2つの障害が注目
されるようになったことは単なる偶然とは思えない。どちらの障害を抱えてい
る子供も先生の言うことを聞かず、授業中に立ち歩く可能性があるからね。

 そんな訳でこうもりくんは軽度発達障害を「社会の尺度に適合しない個性だ
」と考えることには必ずしも反対はしていない。誰でも障害者的名特徴を持っ
ているという考え方にも同意している。しかし、それを表明することにはひど
い抵抗感を感じるそうだ。軽度発達障害児のボランティアにも参加し、他の成
人の軽度発達障害者とも交流のあるこうもりくんは、多くの軽度発達障害者が
医学的に「障害者」と評価されることによって支援を受けられる状態であるこ
とを知っている。また、支援を必要としている軽度発達障害者がたくさんいる
ことも事実だ。こうもりくんは恐れている。軽度発達障害が「個性」とか「誰
でも持っている」と評価されることによって、軽度発達障害者たちが支援や保
護を受ける根拠を失ってしまうことを。軽度発達障害が「個性」や「誰でも持
っている」ものならば、社会が軽度発達障害者を支援していく理由はなくなっ
てしまうからね。

 このためこうもりくんはこれらの問題については沈黙せざるを得なくなって
しまう。自分が支援を必要としているかどうかという問題と他人が必要として
いるかどうかという問題は全く別問題だからだ。しかし、こうもりくんはその
沈黙することについてもひどい罪悪感を感じているのだ。普通、議論と言うの
は、議論を行なう当事者同士が可能な限り自分の考えや気持ちを正確に誠実に
表明することによってしか成り立たない。語るべきことについて沈黙したり虚
偽を述べてしまえば、その時点で議論は死んでしまうからだ。

 他の軽度発達障害者への配慮を優先させるべきか、意見や気持ちを正確に語
ることを優先させるべきか、こうもりくんは迷いの渦中にある。こういう場合
に、みんなだったらどんな態度で臨むだろうか?

 こうもりくんに教えてやってくれるとありがたいんだけど。


雑誌で・・
No.8680  Sat, 10 Nov 2001 19:10:21 +0900  まろんす [この発言にコメントする]

 今日、本屋で「ESSE」という主婦向けの雑誌をぱらぱら見ていたら
少しだけですが「ADHD」に関する記事が載ってました。ついでにADHDを診てくれる病院リストも載ってました。

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