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初めまして。
妻を失ってから自分の歪みに気付いた、未診断の中年男です。
皆さんの書き込みを読んで、
妻はこういうふうに感じていたのだろう、
私も妻にこういう態度をとっていたと、
今更ながら、気付かされています。
そんな私から付け加えられるような事は無いのですが、
一つ気になることがあります。
それは、パートナーからASだと通告される側の気持ちです。
これまでの書き込みから、やこさんの愛情は痛いほど感じ取れます。
ASと告げたのも、愛情ゆえだと思います。
また、ASについて話し合わないのは不自然だと、私も思っていました。
ただ、彼の側から考えると、ASだと告げられることは、
やこさんが彼をASだと診ている、
ということを告げられたのであって、診断ではありませんよね。
その分析を受け入れる条件が彼の側に整っている場合は、
そういう事だったのかと、自己了解に至るかもしれません。
しかし、そうでない場合、ASであるかどうかを論点にされ続けると、
問題の根源は貴方の障害にある事を認めるのかどうか、
と受け取られるのではないでしょうか。
愛情にあふれる言葉で説明されても、
悪いのは自分だと、なんで分からないの、と言われているように。
大変な苦労をしてASについて話されたのですから、
ASであるかどうかを論点にするのは、しばらく間を置いた方が良いのではと思いました。
彼がどういう方なのか想像できないまま書くのは失礼かもしれませんが、
彼自身は、やこさんに優しくしていると思っているのですよね。
むしろ、いろいろと我慢もしているのだと。
でしたら、その点を話題の焦点にするのは、どうでしょうか。
こんなにも優しくしようとしてくれているのに、
私の気持ちに気付かなかったり、勘違いされるのは残念だと。
しかも、それは稀にではなく、頻発しているのだと。
指摘する時に、「普通」と比較するのは、受け入れにくいと思います。
常識や権威との照合も。
精神医学は私も嫌いでしたし、世間と価値観が違うことは、むしろ誇りにしていました。
普通との比較は本人に任せて、これまでの数多くの事例を示すことで、
気持ちに気付かないことが頻発しているという事態に気付かせてくれた方が、
少なくとも私自身は受け入れやすいです。
その時、パートナーの気持ちだけでなく、
他の人が関わった事例も示された方が自覚しやすいかもしれません。
人並み外れて病的に鈍感だと指摘するのではなくて、
折角の好意・親切心が勿体無い、という方向で。
もう一つ、「感情的」の話。
#17524で、ゆっきーさんが書かれた「質問攻め」は効果的だと思いました。
私自身も含めて、自分の方が論理的で、論理的に納得できれば変更すると、自分では思っている男は多いですね。
#17553で、れいさんが書かれている「枝分かれ」にも覚えがあります。
枝葉末節だからと切り捨てられると、非論理的だと感じたりしました。
言葉の論理整合性に拘る事を論理的だと思ったり、
枝葉末節に拘ることを、微細な局面まで考えていると自認したりします。
それが思い込みで、自分の論拠も不確かであると気付かされるのには、
問われる場面は良い機会だと思います。
長文なばかりで、参考になりそうもなくて済みません。
AS男性にも様々な人がいると思うので、
私が代弁できるわけではありませんが。
書き込みから教えてもらい続けていることへ、
お礼を書きたいと思いました。
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