アスペルガーの館の掲示板

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[#32755] ASの男性の方、見解を教えて下さい memento 10/1/16(土) 16:49 [未読]

[#33064] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/2/21(日) 22:40 [未読]
[#33068] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/2/22(月) 2:05 [未読]
[#33082] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/2/23(火) 12:42 [未読]
[#33084] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/2/24(水) 1:49 [未読]
[#33127] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/2/28(日) 20:59 [未読]
[#33144] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/3/3(水) 6:48 [未読]
[#33221] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/3/16(火) 0:52 [未読]
[#33242] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/3/18(木) 22:39 [未読]
[#33085] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/2/24(水) 2:38 [未読]
[#33123] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/2/28(日) 15:08 [未読]
[#33143] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/3/3(水) 6:33 [未読]
[#33217] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/3/15(月) 21:03 [未読]
[#33228] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい High 10/3/17(水) 0:01 [未読]
[#33240] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい ことり 10/3/18(木) 21:38 [未読]
[#33241] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい タイム 10/3/18(木) 22:37 [未読]

[#33064] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/2/21(日) 22:40 -

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   ▼タイムさん:
お返事、ありがとうございます。
タイムさんからは、本当に貴重なお話を伺う事ができたので、もし私が、わずかでもお役に立てるなら、とても嬉しいです。

>1 例えばmementoさんが社外に出かけている時、会社内にいる同僚の方に、mementoさんの机の中にあるノートの中に書かれているメモの内容を電話で聞く場合には、mementoさんの頭の中では「その机と同僚の姿やメモ」等は映像で映し出されて、メモが見つかるまでの間、頭の中でその映像は続きますか?

私の机の上の惨状は、ちらりと一枚の画像として浮かぶと思いますが、メモを探す同僚の姿は、ほとんど思い浮かばないと思います。

思い出すのは「今、どうやって同僚が探しているか」よりも、「私が最後にそのメモを使ったのはいつか」がメインになると思います。 そして、情報は、文章が主です。

「○○さんから電話を受けて取ったメモだから(電話を取った時の印象に残った映像(例:コーヒーが机の上にあった)を一枚思い出す)、△日頃で(この日は、午前中会議があったな。会議の光景が一枚の画像として浮かぶ)、そしたら、ノートの真ん中あたりにあるはずだ(ノートの表紙を思い出す)」と、情報は主に文章としてでてきます。そして、時々「○○さんから電話を受けたとき」の、印象の強い状況を、一枚の写真のように思い出すと思います。


>2 例えばmementoさんが社内にいて、仕事慣れしていない同僚の方に、書類を3階から2階に持っていって貰い、そこにいる部長にハンコを押して貰ってから1階でその書類のコピーを100枚して貰ってから階段を使って戻って来るように依頼した場合、その指示をmementoさんがその同僚の方に説明する時には、mementoさんの頭の中では、同僚の方の動きや部長の姿、コピー機や階段等、それら全てが一連の動きのある映像の中のものとして頭に描きながら説明されますか?

私の場合、一連の画像にはなりません。
せいぜい、「部長の顔」「コピー機」「100枚コピーされた紙の束」「移動に通る階段」が、断続的に脳裏に浮かぶくらいでしょうか。 また、「階段を通って、部長のところに行き、ハンコを貰って・・・」という時系列とは全く関係ない順番で、自分にとってインパクトのあるもの(例:部長の顔。 暗い階段。 分厚い紙の束。)が浮かぶだけです。

ただ、「部長室はどこですか?」と聞かれたら、今居る場所から、部長室までの道順を説明しますが、その際は通る道順を順々に頭の中で追っていくと思います。でも、それも「右に行くか、左に行くか、判断しなくてはならない曲がり角」「部長室のドア」等の画像が、一枚一枚スライドショーのように出てくるだけです。 動きは付きません。


>3 同じく、mementoさんが上司から上記(2)と同じ内容の指示をされた場合には、指示を聞いている間は、mementoさんの頭の中では一連の動きのある映像として頭に描きながらその道順や依頼内容等を理解されますか?

この場合も「動きのある画像」は浮かびません。

現時点で働いている職場なら、職場内の見取り図(実際に職場に貼ってある見取り図)が頭に浮かび、部長の居るところや、コピー機の所在を考えます。

また、仕事の指示でしたら(特に不慣れな場所では)メモを取ると思いますが、「2階部長室・印鑑依頼(階段下りて左に曲がり、3つ目のドアの○○部長室)。 コピー機1階、階段右。100部」と書くと思います。

普段から行った事のない場所に行く時に画像が浮かぶ事はありません。事前に地図を見て、市を確認するにしても、「○○という交差点を右」と言った認識のしかたで、その場合は、「○○」という地名が頭に浮かびます。

こうして考えてみると、私の記憶は、連続した画像ではなく、アルバムに貼ってある写真か、絵本を見るような状況です。

いかがでしょう? このような回答で、よろしいでしょうか?

[#33068] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/2/22(月) 2:05 -

引用なし
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   ▼ことりさん:

こんにちは。

早速の返信を有難う御座います。大変役に立ちます。また後日、返信をさせて頂きたいと思っていますが、その前に、ことりさんに2点教えて頂きたい事があります。

1.記憶についてです。

記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?

2.個性と障害についてです。

ことりさんは「個性とは?」「障害とは?」と聞かれればどのようにお答えになりますか?

教えて頂けると大変ありがたいです。

[#33082] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/2/23(火) 12:42 -

引用なし
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   ▼タイムさん:

こんにちは。
お返事ありがとうございます。

>早速の返信を有難う御座います。大変役に立ちます。また後日、返信をさせて頂きたいと思っていますが、その前に、ことりさんに2点教えて頂きたい事があります。
>
>1.記憶についてです。
>
>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?

今、頭の中に浮かんだ概念としては
「パソコン(私はWindowsユーザーです)のアイコンに、画像がついているかついてないかの違い」でしょうか。

私は、PC用語に不案内なので、説明が不正確なら申し訳ないのですが・・・

私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。

そして、jpgファイルやエクスプローラの「お気に入りファイル」には、その内容に関する画像がアイコンとして表示される事がありますよね。 「自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」というのは、アイコンのところに中身の画像がついている状態なのかなと想像しました。


>2.個性と障害についてです。
>
>ことりさんは「個性とは?」「障害とは?」と聞かれればどのようにお答えになりますか?

「個性と障害は紙一重」だと思います。
あまり大きな違いはないのではないかと。

実は、私、職場のパワハラ・セクハラで体調を崩し、その後の回復がはかばかしくないので医療費低減目的で「障害者自立支援手帳」を申請し、受理されました。ですから、私自身も障害者なのです。

自分が「障害者」と呼ばれる立場になるとは想像もしていませんでしたが、実際になってみましたら、たいして何も変わりません(医療費の負担は軽くなりましたが)。 仕事にも行くし。ご飯も食べるし。遊びにも行くし、喜怒哀楽もあるし・・・周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。
「こいつが、変わっているのは障害者なんだから」「こいつが、こういう事ができないのは障害者なんだから仕方ない」ってな感じで。手帳の申請を出す前と後で、私は何も変わっていないのですが、周囲の目や行政的なくくりで考えると違うのでしょうね。 これが「個性と障害は紙一重」と私が思う一つの根拠です。

おっと、話がずれてしまいましたが、私にとって「障害と個性」とは、同じ状況でも本人や周囲がそれで苦労したり、辛い思いをするのなら「障害」で、前向きに捕らえられるなら「個性」でしょうか。

完璧な人間など居ないわけですから、一つの才能を得るためには、他の何かをあきらめなくてはならない事もあると思います(例:世界中を飛び回って公演活動を行うピアニストであるためには、夜勤の多いハードな外科医であることはあきらめなくてはならない。)。

そして、どちらかを選ばなくてはならないという点において、(上の1の質問とかぶりますが)「言葉による分類と画像による分類の両方の分類法を持つ事は、人の脳のキャパシティーから考えて無理」と仮定すると、「言葉による分類」を持つ人と「画像による分類」を持つ人の2種類の人がいるのではないかと思います。

「言葉による分類」を得た人は「画像による分類」を手放し、「画像による分類」を得た人は「言葉による分類」を手放した。
その時に、「画像による分類」を得て、それを活かせるなら個性。 「言葉による分類」を得られなかった事をなげくなら障害になると言った印象です。


とりとめのない内容となりましたが、いかがでしょう? 多少なりとも何かのご参考になりますでしょうか?

[#33084] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/2/24(水) 1:49 -

引用なし
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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>1.記憶についてです。
>>
>>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?

>私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
>私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
>これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。

この場合に、その「タイトル」自体も「映像として」頭の中で浮かび上がると言う事ではないのでしょうか?それとも・・「タイトルで内容を識別・分類」されていると言う事は・・例えば、エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?⇒「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています」 だとすると・・・「私たちの記憶は普通〜」の「記憶」ではなくて、分類方法の一つとしてのお話と解釈できないですかね?・・・・難しいですね。

>そして、jpgファイルやエクスプローラの「お気に入りファイル」には、その内容に関する画像がアイコンとして表示される事がありますよね。 「自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」というのは、アイコンのところに中身の画像がついている状態なのかなと想像しました。

なるほど。こちらは納得できますね。

>>2.個性と障害についてです。

>自分が「障害者」と呼ばれる立場になるとは想像もしていませんでしたが、実際になってみましたら、たいして何も変わりません(医療費の負担は軽くなりましたが)。 仕事にも行くし。ご飯も食べるし。遊びにも行くし、喜怒哀楽もあるし・・・周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
>でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。

この斜め目線も、大きな問題ですよね。

>「こいつが、変わっているのは障害者なんだから」「こいつが、こういう事ができないのは障害者なんだから仕方ない」ってな感じで。手帳の申請を出す前と後で、私は何も変わっていないのですが、周囲の目や行政的なくくりで考えると違うのでしょうね。 これが「個性と障害は紙一重」と私が思う一つの根拠です。

はい。理解できます。

>おっと、話がずれてしまいましたが、私にとって「障害と個性」とは、同じ状況でも本人や周囲がそれで苦労したり、辛い思いをするのなら「障害」で、前向きに捕らえられるなら「個性」でしょうか。

なるほどですね。おっしゃる事はよく理解できます。
私の場合は、全てのベースが「その個の特性」=「個性」と、私の中ではこのような認識ですので、全ての人の基本が「個性」で、ASもその個性の中の一つと解釈しています。そして「障害」なのですが、これが私の中でまだ定義?として固まっていません。強いて表現するのであれば「その個の精神状態により、社会参加に支障をきたす事」あたりでしょうか(これは精神的なものになるのかな?)ASの定義も三つ組みとか言われているようですが、はっきりとした識別方法は無いのではないでしょうかね?よく分かりませんが。。そしてこの「障害」も私の場合は「個性」の中に入ります。個性と障害を同じ次元に置くのではなくて「障害も個性に含まれる」と言う認識でいます。

例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
「果物=個性」「りんご=障害」

>完璧な人間など居ないわけですから、一つの才能を得るためには、他の何かをあきらめなくてはならない事もあると思います(例:世界中を飛び回って公演活動を行うピアニストであるためには、夜勤の多いハードな外科医であることはあきらめなくてはならない。)。
>
>そして、どちらかを選ばなくてはならないという点において、(上の1の質問とかぶりますが)「言葉による分類と画像による分類の両方の分類法を持つ事は、人の脳のキャパシティーから考えて無理」と仮定すると、「言葉による分類」を持つ人と「画像による分類」を持つ人の2種類の人がいるのではないかと思います。

なるほどです。
そしてその仮定を少し崩して考えてみると、実際には、境目の無い状態で存在しているのかも知れませんね。それが自閉症スペクトラムと表現されているものなのですかね。。

>「言葉による分類」を得た人は「画像による分類」を手放し、「画像による分類」を得た人は「言葉による分類」を手放した。
>その時に、「画像による分類」を得て、それを活かせるなら個性。 「言葉による分類」を得られなかった事をなげくなら障害になると言った印象です。

太古の人類は全て「画像による分類」であり、文明の進化と共に「文字」が生み出され、やがてそれがパピルスに記録されだした。そのあたりから人類が「記憶」と言う意味での「画像記憶型」から「言語(文字)記憶型」が生まれだし、やがて言語(文字)記憶型が主流になってきた。。。それが現代。なんて妄想を楽しんだりしています。

>とりとめのない内容となりましたが、いかがでしょう? 多少なりとも何かのご参考になりますでしょうか?

まとめる能力が無く、いつも長文ですみません。大変参考になりました。有難う御座います。

[#33085] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/2/24(水) 2:38 -

引用なし
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   ▼ことりさん:

こんにちは。毎回、御丁寧な返信を有難う御座います。

>>1 例えば、ことりさんが社外に出かけている時、会社内にいる同僚の方に、ことりさんの机の中にあるノートの中に書かれているメモの内容を電話で聞く場合には、ことりさんの頭の中では「その机と同僚の姿やメモ」等は映像で映し出されて、メモが見つかるまでの間、頭の中でその映像は続きますか?
>
>私の机の上の惨状は、ちらりと一枚の画像として浮かぶと思いますが、メモを探す同僚の姿は、ほとんど思い浮かばないと思います。
>
>思い出すのは「今、どうやって同僚が探しているか」よりも、「私が最後にそのメモを使ったのはいつか」がメインになると思います。 そして、情報は、文章が主です。
>
>「○○さんから電話を受けて取ったメモだから(電話を取った時の印象に残った映像(例:コーヒーが机の上にあった)を一枚思い出す)、△日頃で(この日は、午前中会議があったな。会議の光景が一枚の画像として浮かぶ)、そしたら、ノートの真ん中あたりにあるはずだ(ノートの表紙を思い出す)」と、情報は主に文章としてでてきます。そして、時々「○○さんから電話を受けたとき」の、印象の強い状況を、一枚の写真のように思い出すと思います。

私の場合は動くカラー映像で、探している同僚の姿勢から今何処の引き出しかを触っているのかまで、電話越しに聞こえるその音や息使い等から連想できるようです。目を閉じると、一層、よくその状況が見えたりします。

ことりさんのおっしゃる「情報は、文章が主」とは、例えると、主に映像としてではなくて(所々、印象の強いものは映像として出てくるが)、頭の中で言葉が聞こえる(誰かが喋っているような)と言う状態でしょうか?それとも、頭の中で文字が流れて行く(本を黙読しているような)と言う状態なのでしょうか?

自分で思い出しながら、自分でも聞こえない心の声で色々な情報を文章として読み上げていると言う感覚なのでしょうかね?本を黙読するような感覚で思い出そうとしているような。。

>>2 例えば、ことりさんが社内にいて、仕事慣れしていない同僚の方に、書類を3階から2階に持っていって貰い、そこにいる部長にハンコを押して貰ってから1階でその書類のコピーを100枚して貰ってから階段を使って戻って来るように依頼した場合、その指示をことりさんがその同僚の方に説明する時には、ことりさんの頭の中では、同僚の方の動きや部長の姿、コピー機や階段等、それら全てが一連の動きのある映像の中のものとして頭に描きながら説明されますか?

>私の場合、一連の画像にはなりません。
>せいぜい、「部長の顔」「コピー機」「100枚コピーされた紙の束」「移動に通る階段」が、断続的に脳裏に浮かぶくらいでしょうか。 また、「階段を通って、部長のところに行き、ハンコを貰って・・・」という時系列とは全く関係ない順番で、自分にとってインパクトのあるもの(例:部長の顔。 暗い階段。 分厚い紙の束。)が浮かぶだけです。
>
>ただ、「部長室はどこですか?」と聞かれたら、今居る場所から、部長室までの道順を説明しますが、その際は通る道順を順々に頭の中で追っていくと思います。でも、それも「右に行くか、左に行くか、判断しなくてはならない曲がり角」「部長室のドア」等の画像が、一枚一枚スライドショーのように出てくるだけです。 動きは付きません。

時系列とは関係なく・・・ですか。私には出来ません(笑)
この場合も私は相手に視線を送らずに、順番に頭の中で全て動く映像を流しながら、相手に言葉でそれを伝えます。より丁寧に相手に伝えようとしたのならば、その途中の通路は今掃除中だから通路が濡れているはずだとか、曲がった所の部屋のドアが開いているはずだとか・・・説明できるようです。もちろん、3階から2階、そこにいる部長の姿から、ハンコの位置。もしそこにいなければ、その時間帯に部長が行きそうな場所やその時の様子。さすがに100枚ぴったりのコピー用紙までは数えられませんが、これら全てが映像ですね。

>>3 同じく、ことりさんが上司から上記(2)と同じ内容の指示をされた場合には、指示を聞いている間は、ことりさんの頭の中では一連の動きのある映像として頭に描きながらその道順や依頼内容等を理解されますか?
>
>この場合も「動きのある画像」は浮かびません。
>
>現時点で働いている職場なら、職場内の見取り図(実際に職場に貼ってある見取り図)が頭に浮かび、部長の居るところや、コピー機の所在を考えます。
>
>また、仕事の指示でしたら(特に不慣れな場所では)メモを取ると思いますが、「2階部長室・印鑑依頼(階段下りて左に曲がり、3つ目のドアの○○部長室)。 コピー機1階、階段右。100部」と書くと思います。

私が指示された場合は、その相手が説明している言葉通りの順番で内容を頭の中で組み立てますので、矛盾や疑問等があると質問したりしますね。例えば「昨夜、私が残業していた段階でコピー用紙が足りないようでしたが・・・もしも無い場合は後日で宜しいでしょうか?」とかですね。(強引な例題ですが)それと私の場合は、基本的にメモは取りませんね。映像で一度頭の中に流れますので、それを思い出すだけですので、書くと言う事は滅多に無いようです。

>普段から行った事のない場所に行く時に画像が浮かぶ事はありません。事前に地図を見て、市を確認するにしても、「○○という交差点を右」と言った認識のしかたで、その場合は、「○○」という地名が頭に浮かびます。

実際に行った事が無いような所は、その情報(地図やガイドブック等)を見て、それを頭の中で映像化ます。極端に、小さなバクテリアの世界から宇宙まで、その視点を縦横無尽に変化させる事が出来ます。勿論想像なのですがね。楽しいですよ。この世界は。

>こうして考えてみると、私の記憶は、連続した画像ではなく、アルバムに貼ってある写真か、絵本を見るような状況です。

こうして考えてみると、私の記憶は、連続した画像のようで、安物のビデオカメラの再生を見ているような状況ですね。

>いかがでしょう? このような回答で、よろしいでしょうか?

はい。大変参考になりました。御丁寧に有難う御座います。

所で、20年ほど前に台湾に行った事があるのですが、中正記念堂や故宮博物館は素晴らしかった記憶があります。その時、あの故宮博物館の地下にはもう一つ同じ本物の故宮博物館があって、その中に本物の美術品が保管してあり、地上のものは精巧なレプリカ(盗すまれても良いように)であると言う噂を聞いた事があります。本当ですかね?(笑)

[#33123] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/2/28(日) 15:08 -

引用なし
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   タイムさん:

お返事遅くなってすみません。

>>>1 ことりさんの頭の中では「その机と同僚の姿やメモ」等は映像で映し出されて、メモが見つかるまでの間、頭の中でその映像は続きますか?

>ことりさんのおっしゃる「情報は、文章が主」とは、例えると、主に映像としてではなくて(所々、印象の強いものは映像として出てくるが)、頭の中で言葉が聞こえる(誰かが喋っているような)と言う状態でしょうか?それとも、頭の中で文字が流れて行く(本を黙読しているような)と言う状態なのでしょうか?

言葉が聞こえるという事はありませんが、文字は映像として出てきませんので・・・ そう考えると、一番近いのは、「聞こえてくる」かもしれません。
それでも、確かな音声が頭の中に聞こえてくるわけでもありません。

>自分で思い出しながら、自分でも聞こえない心の声で色々な情報を文章として読み上げていると言う感覚なのでしょうかね?本を黙読するような感覚で思い出そうとしているような。。

「言葉を感じる」というのが一番近い表現でしょうか?

ちなみに、頭の中に、時々、文字画像は出てきますが、必ず「黒字に白抜き」の文字です。カラーや、「白地に黒の文字」はありません。
何でだろう?(笑

>>>2 例えば、ことりさんが社内にいて、仕事慣れしていない同僚の方に、書類を3階から2階に持っていって貰い、そこにいる部長にハンコを押して貰ってから1階でその書類のコピーを100枚して貰ってから階段を使って戻って来るように依頼した場合、その指示をことりさんがその同僚の方に説明する時には、ことりさんの頭の中では、同僚の方の動きや部長の姿、コピー機や階段等、それら全てが一連の動きのある映像の中のものとして頭に描きながら説明されますか?

>時系列とは関係なく・・・ですか。私には出来ません(笑)

逆に、私には、タイムさんのおっしゃる「時系列に沿って」は出来ません(笑

また、鮮明な画像として、記憶を蘇らせる事も、子供の頃はある程度で来た気がするのですが、年を取るごとに苦手になってきました。


>>>3 同じく、ことりさんが上司から上記(2)と同じ内容の指示をされた場合には、指示を聞いている間は、ことりさんの頭の中では一連の動きのある映像として頭に描きながらその道順や依頼内容等を理解されますか?

>私が指示された場合は、その相手が説明している言葉通りの順番で内容を頭の中で組み立てますので、矛盾や疑問等があると質問したりしますね。例えば「昨夜、私が残業していた段階でコピー用紙が足りないようでしたが・・・もしも無い場合は後日で宜しいでしょうか?」とかですね。(強引な例題ですが)それと私の場合は、基本的にメモは取りませんね。映像で一度頭の中に流れますので、それを思い出すだけですので、書くと言う事は滅多に無いようです。

メモを取らなくても大丈夫!! 何て羨ましい話でしょう。
私なんか、さっき聞いた事も、もう忘れかけているのに・・・
しかも「映像」ですよね。
うーん・・・私の頭の中では、画像処理能力がないのか、そういうスタイルの記憶は、やりたくてもできないみたいです。


>実際に行った事が無いような所は、その情報(地図やガイドブック等)を見て、それを頭の中で映像化ます。極端に、小さなバクテリアの世界から宇宙まで、その視点を縦横無尽に変化させる事が出来ます。勿論想像なのですがね。楽しいですよ。この世界は。

この能力は、本当に素晴らしいですね。
私は、地図を読むのが本当に苦手なので、地図情報を画像に変換できる能力は本当に羨ましい限りです。

>こうして考えてみると、私の記憶は、連続した画像のようで、安物のビデオカメラの再生を見ているような状況ですね。

「安物のビデオカメラ」などと仰いますが、タイムさんの記憶画像は鮮明な高解像度で、ズームまで付いていそうですから、かなりの高級機種だと思いますよ(笑)


>あの故宮博物館の地下にはもう一つ同じ本物の故宮博物館があって、その中に本物の美術品が保管してあり、地上のものは精巧なレプリカ(盗すまれても良いように)であると言う噂を聞いた事があります。本当ですかね?(笑)

このお話は、私も聞いた事があります。(笑
地下の博物館は・・・都市伝説かしら? と思っていたのですが、展示品はレプリカってのは、本当にありそうな話ですよね。

展示に出してない収蔵品が、収納庫には、まだ沢山沢山あって、これを展示に出そうと思ったら、何十年だか何百年だかの物凄い時間がかかるとか。
中国大陸から、これだけの物(故宮博物館以外にも、台湾市内の歴史博物館などにも、物凄く沢山の展示品があります)を全部持ってきた執念は凄いと思います。

[#33127] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/2/28(日) 20:59 -

引用なし
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   ▼タイムさん:
お返事遅くなってすみません。

>>>1.記憶についてです。
>>>
>>>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?
>
>>私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
>>私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
>>これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。
>
>この場合に、その「タイトル」自体も「映像として」頭の中で浮かび上がると言う事ではないのでしょうか?それとも・・「タイトルで内容を識別・分類」されていると言う事は・・例えば、エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?⇒「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています」 だとすると・・・「私たちの記憶は普通〜」の「記憶」ではなくて、分類方法の一つとしてのお話と解釈できないですかね?・・・・難しいですね。

もう一つのResにも書きましたが、タイトルは「文字映像」として浮かび上がってくるわけではありません。音声として聞こえるのでもないので、「言葉を感じる」とでも・・言えば良いのでしょうか。判り辛い説明ですみません。


また、私にとって記憶とは「覚えた事そのもの」よりも、「どうやって記憶を呼び出すか」が重要です。そうでないと、何も思い出せなくて、全く役に立たないのです。
私が記憶=情報を呼び出す際には、記憶した時の情報をどう分類しているかという事が重要になってきます。こう考えますと、タイムさんの仰る「分類方法の一つとしてのお話」と繋がってきます。


私が、ある情報を呼び出す際のキーワードとなる言葉は、一つの事象に対して複数(沢山)あるようです。

例えば、同じ「りんご狩りに行った記憶」であっても、「去年りんご狩りに行った記憶」と「10年前りんご狩りに行った記憶」のような、類似の複数の記憶がある場合は、キーワードが「岩手県に行ったりんご狩り」「青森県に行ったりんご狩り」 「楽しかったりんご狩り」「喧嘩したりんご狩り」 「一人で行ったリンゴ狩り」「沢山人が居たリンゴ狩り」 「車で行ったリンゴ狩り」「バスで行ったリンゴ狩り」・・・とあれこれ出てくるわけです。

ちなみに、私の場合は「岩手に行ったりんご狩り。」なら「あ、○○ちゃんも居たね。 ちょっと寒かったよね。△ちゃんが転んでさ」と記憶が出てくるのですが、「1998年のりんご狩り」と、数字で表されても全く対応できません。似たような時期に何度かリンゴ狩りに行っていたら、「1998年」と「起こった事象」を結び付けられず、「え? どのりんご狩り?」となってしまいます。


と、考えていきますと、タイムさんの仰る
>エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?
というご質問に対しては、「はい。タイトルを見ないと内容は分りません」という事になりますね。

私とは逆に、私が心引かれている彼は、「○○年に・・・をした」「それは***年のことだ」と自分の記憶と数字を結びつけるのが上手ですが、「何でそんな事ができるのか?」と、私にとっては非常に不思議です。

どうも、私の頭の中の分類は 「言語>映像>数字」という具合になっているようですが、タイムさんの記憶の分類で、数字は有効ですか?


>>>2.個性と障害についてです。
>
>>周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
>>でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。
>
>この斜め目線も、大きな問題ですよね。

確かにそうですよね。
そして、世の中には、職業・年齢・性別・学歴・国籍・・・本当に、斜め目線でみられる要素が沢山ありますよね。やれやれ


>私の場合は、全てのベースが「その個の特性」=「個性」と、私の中ではこのような認識ですので、全ての人の基本が「個性」で、ASもその個性の中の一つと解釈しています。
そしてこの「障害」も私の場合は「個性」の中に入ります。個性と障害を同じ次元に置くのではなくて「障害も個性に含まれる」と言う認識でいます。

>例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
>「果物=個性」「りんご=障害」

非常に判りやすいご説明で「なるほどー!!」と思いました。
もし何か、こういう事象を説明する必要に迫られる事がありましたら、私も、この説明方法をお借りしてもよろしいでしょうか?


>そしてその仮定を少し崩して考えてみると、実際には、境目の無い状態で存在しているのかも知れませんね。それが自閉症スペクトラムと表現されているものなのですかね。。

基本的に境界はないと思います。

私は、「自閉症スペクトラム」については何の知識もありません。
それでも、その人の持つ能力によって人を分類する時、器質的な能力(100mを10秒で走れる。4回転ジャンプを飛べる等)でない限り、明確な境界は無いと思います。これは、はっきりいえます。

もちろん各種検査で、その人の現在の状態を点数化し、境界線を引いて分類する事もできるのでしょうが、それは母集団の中における相対的な位置であって、絶対的なものではありません。
検査を受ける人の、精神状態や生理状態によっても、結果は変わってきますしね。(最近、ある種のカウンセリング関連の資格を取るために「アセスメント」と呼ばれる性格・適正関連の検査についても、必要に迫られて勉強したばかりなのです。)


>太古の人類は全て「画像による分類」であり、文明の進化と共に「文字」が生み出され、やがてそれがパピルスに記録されだした。そのあたりから人類が「記憶」と言う意味での「画像記憶型」から「言語(文字)記憶型」が生まれだし、やがて言語(文字)記憶型が主流になってきた。。。それが現代。なんて妄想を楽しんだりしています。

そうですね。

文字や言語が現代ほど発達してない時は、いかにその場面を正確かつ精密に記憶するか・・・例えば、古代の狩猟採取の場においては、「適切な狩場を覚えておく」「木の実が落ちている場所への行き方を記憶する」「食べられない植物を覚える」と言った、画像で記憶した方が正確な情報が、生死に関わる重要な内容だった事でしょう。
こういう時代に生まれていたら、私は、生存競争に生き残れなかった事でしょう。。。なんて、考えるのも楽しいですね。

>まとめる能力が無く、いつも長文ですみません。大変参考になりました。有難う御座います。

こちらこそ、上手く表現できなくてすみません。

でも、こうやって、「自分が当たり前だと思っている事は、決して当たり前ではない」と分っていくのって、面白いですよね。

[#33143] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/3/3(水) 6:33 -

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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>>>1 ことりさんの頭の中では「その机と同僚の姿やメモ」等は映像で映し出されて、メモが見つかるまでの間、頭の中でその映像は続きますか?

>言葉が聞こえるという事はありませんが、文字は映像として出てきませんので・・・ そう考えると、一番近いのは、「聞こえてくる」かもしれません。それでも、確かな音声が頭の中に聞こえてくるわけでもありません。

聞こえてはいないけれど、聞こえているような感覚ですね。。

>自分で思い出しながら、自分でも聞こえない心の声で色々な情報を文章として読み上げていると言う感覚なのでしょうかね?本を黙読するような感覚で思い出そうとしているような。。
>
>「言葉を感じる」というのが一番近い表現でしょうか?
>
>ちなみに、頭の中に、時々、文字画像は出てきますが、必ず「黒字に白抜き」の文字です。カラーや、「白地に黒の文字」はありません。
>何でだろう?(笑

何ででしょう?(笑

「言葉を感じる」と言うのは美しい表現ですね。「文字を感じる」ではなくて「言葉を感じる」ですね。う〜ん・・感覚がつかめません。すいません。。私の場合だと、文字が映像として出てくる場合には「黒字の浮き上がり文字」ですかね。見ている画面に「黒字」で文字が浮き上がっている感じです。

>>>>2 例えば、ことりさんが社内にいて、仕事慣れしていない同僚の方に、書類を3階から2階に持っていって貰い、そこにいる部長にハンコを押して貰ってから1階でその書類のコピーを100枚して貰ってから階段を使って戻って来るように依頼した場合、その指示をことりさんがその同僚の方に説明する時には、ことりさんの頭の中では、同僚の方の動きや部長の姿、コピー機や階段等、それら全てが一連の動きのある映像の中のものとして頭に描きながら説明されますか?

>逆に、私には、タイムさんのおっしゃる「時系列に沿って」は出来ません(笑

そうなのですね。でも、時系列に沿って説明すると相手が誰であっても分かり易いように思うのですが・・

>また、鮮明な画像として、記憶を蘇らせる事も、子供の頃はある程度で来た気がするのですが、年を取るごとに苦手になってきました。

その部分では、私の脳は幼いままで進化していないのかもですね(笑)

>>>>3 同じく、ことりさんが上司から上記(2)と同じ内容の指示をされた場合には、指示を聞いている間は、ことりさんの頭の中では一連の動きのある映像として頭に描きながらその道順や依頼内容等を理解されますか?

>メモを取らなくても大丈夫!! 何て羨ましい話でしょう。
>私なんか、さっき聞いた事も、もう忘れかけているのに・・・
>しかも「映像」ですよね。
>うーん・・・私の頭の中では、画像処理能力がないのか、そういうスタイルの記憶は、やりたくてもできないみたいです。

改めて考えてみると・・便利ですね。でも実際には、過去に忘れてしまう事はあったのですよ。そしてもしも何か忘れてしまった事に気が付いた時には、何を差し置いても、すぐにその事(思い出した事)を終わらせるように若い頃はしていました。それで訓練されたのでしょうかね?今は、忘れる事がほとんど生活に支障ない範囲で収まっているのは。。

それと、例えば上司から時系列無視で説明されると、私の中で、順番に並び替えていますね。そしてその順番に並び替えた後でも、(又、時系列に沿って説明を聞いた後でも)その説明の道順よりも早く正確な道順を検索したりしています。・・勿論、無言でですが。だから、同僚達と同じ条件で説明を聞いた直後、同時でスタートした場合に私だけ人とは違った行動になったりするんでしょうね。

>>実際に行った事が無いような所は、その情報(地図やガイドブック等)を見て、それを頭の中で映像化ます。極端に、小さなバクテリアの世界から宇宙まで、その視点を縦横無尽に変化させる事が出来ます。勿論想像なのですがね。楽しいですよ。この世界は。
>
>この能力は、本当に素晴らしいですね。
>私は、地図を読むのが本当に苦手なので、地図情報を画像に変換できる能力は本当に羨ましい限りです。

丁度、グーグルアースのような感じで、時代も場所も超えて、もっとその視点が早く動く感じですかね。それと何故かは分かりませんが、女性は地図を読むのが苦手だとか、男性は読むのが得意だとかのお話を聞いたような気がしますが、男性脳と女性脳の違いかも知れませんね。

女性はその昔、その集落の周りで木の実等を取っていた為、活動する時の目標となるものを「木、岩、川」等の「もの」に置いていた。男性は遠く離れた場所まで狩りに出かけるため、帰り道の目標をその風景や日の落ちる方向や星を基準にしていた為、立体的な視点で捉えられるようになった。とかですかね。

>「安物のビデオカメラ」などと仰いますが、タイムさんの記憶画像は鮮明な高解像度で、ズームまで付いていそうですから、かなりの高級機種だと思いますよ(笑)

有難う御座います。
子供の頃、親から誕生日プレゼントで着けてもらいました(笑)

[#33144] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/3/3(水) 6:48 -

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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>>>1.記憶についてです。

>もう一つのResにも書きましたが、タイトルは「文字映像」として浮かび上がってくるわけではありません。音声として聞こえるのでもないので、「言葉を感じる」とでも・・言えば良いのでしょうか。判り辛い説明ですみません。

いえいえ、大丈夫ですよ。ことりさんからそう表現して頂くと・・・タイトルまでは「映像」ではないような気がしてきました。。アイコンのタイトル・・アイコンが画面に沢山ある。。確かに、タイトルまでは分からないですね。でもその目的のアイコンの位置は微妙に知っているように感じますね。これがことりさんが表現されている「言葉を感じる」と言う事なのでしょうかね。。でも私がはっきりと分かっているアイコン(特に興味があるような内容の入っているフォルダ)のタイトルと位置は、頭の中で「画像」で描けるようですが。(そのままの姿形でタイトルも画像として見えているように思いますね。。)

>また、私にとって記憶とは「覚えた事そのもの」よりも、「どうやって記憶を呼び出すか」が重要です。そうでないと、何も思い出せなくて、全く役に立たないのです。
>私が記憶=情報を呼び出す際には、記憶した時の情報をどう分類しているかという事が重要になってきます。こう考えますと、タイムさんの仰る「分類方法の一つとしてのお話」と繋がってきます。

きっと、そうですよね。分類方法も記憶していると思いますので、正確には分ける事ができないのかも知れませんね。

>私が、ある情報を呼び出す際のキーワードとなる言葉は、一つの事象に対して複数(沢山)あるようです。

>と、考えていきますと、タイムさんの仰る
>>エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?
>というご質問に対しては、「はい。タイトルを見ないと内容は分りません」という事になりますね。

なるほどです。私の場合は同じフォルダがいくつもあって、そのそれぞれに「りんご・みかん・ばなな・なし・いちご」等と分類していたとしたら、先程のお話のように、その位置やタイトルが画像として浮かぶ場合(特に興味があるような内容の入っているフォルダ)がありますので、その場合にはタイトルを見なくても、ここには「いちご」そこには「りんご」があるはず。となるようですが・・・それ以外は、フォルダの位置もその個数も曖昧であり、そのタイトルまでは映像で再現されないようです。そして実際にフォルダを探す場合には、目で見てタイトルを確認して「開く」と言う行動になりますものね。

>私とは逆に、私が心引かれている彼は、「○○年に・・・をした」「それは***年のことだ」と自分の記憶と数字を結びつけるのが上手ですが、「何でそんな事ができるのか?」と、私にとっては非常に不思議です。

一度、彼に聞いてみられても面白いかも知れませんね。

>どうも、私の頭の中の分類は 「言語>映像>数字」という具合になっているようですが、タイムさんの記憶の分類で、数字は有効ですか?

どうでしょうか。。考えた事も無いのですが・・多分「数字」は「言葉」と同列だと思いますね。それで考えると「映像>数字・言語」となるような気がしますね。

>>>>2.個性と障害についてです。

>>例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
>>「果物=個性」「りんご=障害」
>
>非常に判りやすいご説明で「なるほどー!!」と思いました。
>もし何か、こういう事象を説明する必要に迫られる事がありましたら、私も、この説明方法をお借りしてもよろしいでしょうか?

どうぞどうぞ、御自由に(笑)
ことりさんには、分かり易かったでしょうか?でも「個性と障害を同列」で考えてしまうと、もしも現在の定型と非定型の人数割が逆転した場合に、困るはずですものね。その個人の特徴が変わっていない場合にも、ころころと個性が生まれたりなくなったりと。私が知っている範囲でのお話ですが、個性的だと自称される一般(定型?)の方で「個性とは、その社会性を満たした上での秀でた部分の事」と表現されるがおられたのです。しかし、現在の定型と非定型の人数比率がもしも逆転した場合には、今の定型の方が数少ない側となってしまい、今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)でも人としてのベースに「個性」を位置付けておくと、その定型の方の「その個性」は失われずにすみますよね・・ですから「ASは、個性か?障害か?」を考えた時「りんごは、くだものか?みかんか?」・・のように私には見えたのですね。

>それでも、その人の持つ能力によって人を分類する時、器質的な能力(100mを10秒で走れる。4回転ジャンプを飛べる等)でない限り、明確な境界は無いと思います。これは、はっきりいえます。

これが「客観的な判断基準」と言う事ですよね?
話は違いますが、前から感じていたんですよ。例えば「客観的な意見」・・・「客観的な意見」と言うのは、その人の「主観的な見解」の事でしょ?と。。

>もちろん各種検査で、その人の現在の状態を点数化し、境界線を引いて分類する事もできるのでしょうが、それは母集団の中における相対的な位置であって、絶対的なものではありません。

考えてみるとこの世界、ほとんどが相対的な価値観ですよね。〜より〜が出来るとか出来ないとか。その価値観で見ている方が多くおられるように感じますね。私の場合はそう言う価値観は少ないのかな。。私は、私がそれで良いと思えれば、又、楽しければ、それで私は満足なんですよね。

>検査を受ける人の、精神状態や生理状態によっても、結果は変わってきますしね。(最近、ある種のカウンセリング関連の資格を取るために「アセスメント」と呼ばれる性格・適正関連の検査についても、必要に迫られて勉強したばかりなのです。)

ことりさんは、カウンセラーを目指されているのですか?

>こういう時代に生まれていたら、私は、生存競争に生き残れなかった事でしょう。。。なんて、考えるのも楽しいですね。

あまり一般には理解されないようですが、本当に楽しいと感じる事がありますね。

>でも、こうやって、「自分が当たり前だと思っている事は、決して当たり前ではない」と分っていくのって、面白いですよね。

自分とは違った価値観を認知する事が、自分以外の人への尊重と自身の自尊心維持に繋がるのでしょうね。固定観念に縛られず、いつも自由でいたいものです。

[#33217] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/3/15(月) 21:03 -

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   ▼タイムさん:

こんばんは。お返事すっかり遅くなってしまい、失礼しました。

>>>>>1 ことりさんの頭の中では「その机と同僚の姿やメモ」等は映像で映し出されて、メモが見つかるまでの間、頭の中でその映像は続きますか?
>
>>言葉が聞こえるという事はありませんが、文字は映像として出てきませんので・・・ そう考えると、一番近いのは、「聞こえてくる」かもしれません。それでも、確かな音声が頭の中に聞こえてくるわけでもありません。
>>「言葉を感じる」というのが一番近い表現でしょうか?

私も、自分で書いているくせに「言葉を感じる」って何て分りづらい説明だろうと思います。すみません。

あえて言うなら「小鳥」という言葉があったら、その小さな可愛い感じ。フワフワした羽根の手触り。鳴き声。匂い等々が、混然一体となって一つのイメージとして感じられると言う事でしょうか。私の中にある「小鳥」の「概念」が出てくるという感じです。

>「言葉を感じる」と言うのは美しい表現ですね。「文字を感じる」ではなくて「言葉を感じる」ですね。う〜ん・・感覚がつかめません。

「文字を感じる」ですと、その文字が画像となったものか、もしくは、文字を音声情報としてを読み上げた際の声が聞こえるような気がします。
上記の通り、私が「言葉を感じる」際には、あれこれのイメージが統合されてゴチャゴチャになっていますので、「文字を感じる」と言うよりは、「言葉が表すものを感じる」という感じになるのです。


>>>>>2 指示をことりさんがその同僚の方に説明する時には、ことりさんの頭の中では、同僚の方の動きや部長の姿、コピー機や階段等、それら全てが一連の動きのある映像の中のものとして頭に描きながら説明されますか?

>>逆に、私には、タイムさんのおっしゃる「時系列に沿って」は出来ません(笑
>そうなのですね。でも、時系列に沿って説明すると相手が誰であっても分かり易いように思うのですが・・

確かに時系列に沿って説明を受けた方が分りやすいのですが、なかなかそれを上手に時系列に並べ替える事が難しいのです。

複雑な物事を時系列に沿って並べ替えようとしたら、全てを紙に書き出して、一旦並べてみないとダメかもしれません>記憶力酷すぎ


>>>>>3 同じく、ことりさんが上司から上記(2)と同じ内容の指示をされた場合には、指示を聞いている間は、ことりさんの頭の中では一連の動きのある映像として頭に描きながらその道順や依頼内容等を理解されますか?

>丁度、グーグルアースのような感じで、時代も場所も超えて、もっとその視点が早く動く感じですかね。それと何故かは分かりませんが、女性は地図を読むのが苦手だとか、男性は読むのが得意だとかのお話を聞いたような気がしますが、男性脳と女性脳の違いかも知れませんね。
>
>女性はその昔、その集落の周りで木の実等を取っていた為、活動する時の目標となるものを「木、岩、川」等の「もの」に置いていた。男性は遠く離れた場所まで狩りに出かけるため、帰り道の目標をその風景や日の落ちる方向や星を基準にしていた為、立体的な視点で捉えられるようになった。とかですかね。

こういう内容の本を読んだ事がありました。私が読んだ本のタイトルは「話を聞かない男 地図が読めない女」でした。
そして「なるほど。なぜ、彼が道に迷っても他人に道を聞かないのか?」という軽いナゾが解けた「気が」しました・・・が・・・本を読んだ直後はそんな気がしましたが、やっぱり他人の頭の中は、理解できないままです(笑


>>「安物のビデオカメラ」などと仰いますが、タイムさんの記憶画像は鮮明な高解像度で、ズームまで付いていそうですから、かなりの高級機種だと思いますよ(笑)

>有難う御座います。
>子供の頃、親から誕生日プレゼントで着けてもらいました(笑)

私には、画像記録装置はありませんが、代わりに高性能のボイスレコーダーが付いていますよ(笑
特に「私に対する悪口」の記録能力は素晴らしいものです。

[#33221] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/3/16(火) 0:52 -

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   ▼タイムさん:

こんばんは。お返事遅くなってすみません。

>>>>>1.記憶についてです。

>いえいえ、大丈夫ですよ。ことりさんからそう表現して頂くと・・・タイトルまでは「映像」ではないような気がしてきました。。アイコンのタイトル・・アイコンが画面に沢山ある。。確かに、タイトルまでは分からないですね。でもその目的のアイコンの位置は微妙に知っているように感じますね。これがことりさんが表現されている「言葉を感じる」と言う事なのでしょうかね。。

別なところでお返事差し上げましたとおり、今の私には「言葉を感じる」という表現しか見つからないのですが・・・「思い出そう」としたら、もしくは、ごくたまに偶然画像が出てくることもありますが、それは決してデフォルトではありません。しかも画像での記憶は忘れてしまうのも早いです。


>>>>>2.個性と障害についてです。
>
>>>例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
>>>「果物=個性」「りんご=障害」
>>非常に判りやすいご説明で「なるほどー!!」と思いました。
>>もし何か、こういう事象を説明する必要に迫られる事がありましたら、私も、この説明方法をお借りしてもよろしいでしょうか?
>
>どうぞどうぞ、御自由に(笑)
>ことりさんには、分かり易かったでしょうか?でも「個性と障害を同列」で考えてしまうと、もしも現在の定型と非定型の人数割が逆転した場合に、困るはずですものね。その個人の特徴が変わっていない場合にも、ころころと個性が生まれたりなくなったりと。私が知っている範囲でのお話ですが、個性的だと自称される一般(定型?)の方で「個性とは、その社会性を満たした上での秀でた部分の事」と表現されるがおられたのです。しかし、現在の定型と非定型の人数比率がもしも逆転した場合には、今の定型の方が数少ない側となってしまい、今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)でも人としてのベースに「個性」を位置付けておくと、その定型の方の「その個性」は失われずにすみますよね・・ですから「ASは、個性か?障害か?」を考えた時「りんごは、くだものか?みかんか?」・・のように私には見えたのですね。

「説明文」の利用をご快諾頂き、誠にありがとうございます。

ところで、ふと疑問に思ったのですが、もし人数割りが逆転したら、困る人の数が増えるかしら?
今も定型・非定型に関わらず、定型同士・非定型同士だって、分かり合えない事の方が多いわけですから、その比率が逆転しても、人数が少ない方が「マイノリティー」として扱われて、肩身の狭い思いをしやすいという現実は同じだと思うのです。そうすると、「困る人の数」と言うのは、結局はあまり変わらないのではないかしら?

行政が法的整備をし直さねばならず困るとか、医者があれこれ基準をこねくり回さねばならず困るとか、そういう事しか思いつかないのです。
あ、あとタイムさんの仰るように、今まで「数が多い方に属していた人」が、数を頼みに持っていた妙なプライド(?)が無くなってしまって困るかもしれませんね(笑

>>それでも、その人の持つ能力によって人を分類する時、器質的な能力(100mを10秒で走れる。4回転ジャンプを飛べる等)でない限り、明確な境界は無いと思います。これは、はっきりいえます。

>これが「客観的な判断基準」と言う事ですよね?
>話は違いますが、前から感じていたんですよ。例えば「客観的な意見」・・・「客観的な意見」と言うのは、その人の「主観的な見解」の事でしょ?と。。

ある一定条件下での走る速さは、「客観的な判断基準」というよりは、「絶対的な判断基準」と言った方が正確でしょうか。

「客観的な意見」と「主観的な見解」・・・うーん・・・非常に微妙なのですが、確かに仰るとおりですよね

>ことりさんは、カウンセラーを目指されているのですか?

いいえ、違います。
ただ「臨床心理士」と呼ばれて心療内科等で働いておられる方のように、病理的な症例も扱えるカウンセラーではありませんが、仕事の関係で「キャリア・カウンセラー」という資格を取る事になったのです。
元々、再評価カウンセリングというカウンセリングの手法を、日常生活に取り入れている事もあり、カウンセリング自体は割合に身近なのですが、まさか、ここまで本格的に勉強をすることになろうとは・・・
本業は、非臨床系の獣医師で、カウンセリングとはあまり関係ない分野です。

ちなみに、お返事を差し上げる事ができない間に合格発表があり、お陰さまで一次試験には合格しました。4月末に二次試験があるので、今日から本格的にその準備に取りかかりましたが、かなり難航しています。
でも、がんばります。

>自分とは違った価値観を認知する事が、自分以外の人への尊重と自身の自尊心維持に繋がるのでしょうね。固定観念に縛られず、いつも自由でいたいものです。

私は、周囲の人から、「あなたは自己評価が低い」「自尊心が低い」といわれるのです。これを改善するためには、もっと他人の事を認知できるようになる必要があるのでしょうか。
人生、学ばねばならない事は、山のようにあります。
頑張らないとねぇ。。。

[#33228] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 High メール  - 10/3/17(水) 0:01 -

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   ▼ことりさん:
横レス失礼します。

>私も、自分で書いているくせに「言葉を感じる」って何て分りづらい説明だろうと思います。すみません。
>
>あえて言うなら「小鳥」という言葉があったら、その小さな可愛い感じ。フワフワした羽根の手触り。鳴き声。匂い等々が、混然一体となって一つのイメージとして感じられると言う事でしょうか。私の中にある「小鳥」の「概念」が出てくるという感じです。
>
>>「言葉を感じる」と言うのは美しい表現ですね。「文字を感じる」ではなくて「言葉を感じる」ですね。う〜ん・・感覚がつかめません。
>
>「文字を感じる」ですと、その文字が画像となったものか、もしくは、文字を音声情報としてを読み上げた際の声が聞こえるような気がします。
>上記の通り、私が「言葉を感じる」際には、あれこれのイメージが統合されてゴチャゴチャになっていますので、「文字を感じる」と言うよりは、「言葉が表すものを感じる」という感じになるのです。
>

西田幾多郎の純粋経験かと思いました 笑
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946.html

先天性の聴覚障碍の方でまったく聴覚が無い方は、貴方と同じ感覚のようです。
私達は文字を読むときに黙読しても
特殊な速読法とかを使わない限り、頭のなかで、”発声”しています。
文字→発声音→意味/イメージ というような思考をしている筈です。

先天性の聴覚障碍の方は音自身の感覚がないので
いきなり、文字→意味 となるそうです。
逆に、聴覚障碍の方からすると、「えー、頭の中の音?うるさく無いの?」
と聞かれます。

試しに「林檎を想像しないで下さい。」
と言われたら、いきなり林檎のビジュアルイメージ出てきませんか?
このような感覚のようです。

文字では無いですが、数字をみると色や形が出てくる方も居られるようです。

[#33240] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 ことり  - 10/3/18(木) 21:38 -

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   ▼Highさん:

コメントありがとうございます。

>西田幾多郎の純粋経験かと思いました 笑
>http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946.html

うわぁ
こんなに、難しい哲学のお話は、日頃、まず読む機会がありません。
後で目を通してみますね。
ご紹介、ありがとうございます。


>先天性の聴覚障碍の方でまったく聴覚が無い方は、貴方と同じ感覚のようです。
>私達は文字を読むときに黙読しても
>特殊な速読法とかを使わない限り、頭のなかで、”発声”しています。
>文字→発声音→意味/イメージ というような思考をしている筈です。
>
>先天性の聴覚障碍の方は音自身の感覚がないので
>いきなり、文字→意味 となるそうです。
>逆に、聴覚障碍の方からすると、「えー、頭の中の音?うるさく無いの?」
>と聞かれます。

私は、聴覚には問題はないはずですが、頭の中に音は出てきません。
本を読むときも、基本的には発声しません。
他の方は・・・そうではないのですか??

>試しに「林檎を想像しないで下さい。」
>と言われたら、いきなり林檎のビジュアルイメージ出てきませんか?
>このような感覚のようです。

ビジュアルイメージと一緒に、リンゴの匂いが出てきました(笑

>文字では無いですが、数字をみると色や形が出てくる方も居られるようです。

面白いお話をありがとうございます。

ちなみに、亡くなるちょっと前のベートーベンがオーケストラの指揮をしていた際
「君たちの音は黄色なんだ。 ボクが欲しいのは紫色なんだ!」と
(色の名称は、記憶が定かではありませんが)、このように言っていたとか。

音を聞くと色が見える人も居るのかもしれませんね。

このように、自分では「当たり前」と思っていたことが
「あたりまえ」でないのは、非常に面白いことだと思います。

[#33241] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/3/18(木) 22:37 -

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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>>>>>1 ことりさんの頭の中では「その机と同僚の姿やメモ」等は映像で映し出されて、メモが見つかるまでの間、頭の中でその映像は続きますか?

>あえて言うなら「小鳥」という言葉があったら、その小さな可愛い感じ。フワフワした羽根の手触り。鳴き声。匂い等々が、混然一体となって一つのイメージとして感じられると言う事でしょうか。私の中にある「小鳥」の「概念」が出てくるという感じです。

あー、なるほどです。これなら私と同じなのかも知れません。「小鳥」と言う言葉からは、画像と言うものだけではなく、その質感や感触が蘇りますね。

>「文字を感じる」ですと、その文字が画像となったものか、もしくは、文字を音声情報としてを読み上げた際の声が聞こえるような気がします。
>上記の通り、私が「言葉を感じる」際には、あれこれのイメージが統合されてゴチャゴチャになっていますので、「文字を感じる」と言うよりは、「言葉が表すものを感じる」という感じになるのです。

私の場合は、「文字を感じる」と「言葉を感じる」両方あるような気がしますね。

>>>>>>2 指示をことりさんがその同僚の方に説明する時には、ことりさんの頭の中では、同僚の方の動きや部長の姿、コピー機や階段等、それら全てが一連の動きのある映像の中のものとして頭に描きながら説明されますか?
>
>>>逆に、私には、タイムさんのおっしゃる「時系列に沿って」は出来ません(笑
>>そうなのですね。でも、時系列に沿って説明すると相手が誰であっても分かり易いように思うのですが・・
>
>確かに時系列に沿って説明を受けた方が分りやすいのですが、なかなかそれを上手に時系列に並べ替える事が難しいのです。
>
>複雑な物事を時系列に沿って並べ替えようとしたら、全てを紙に書き出して、一旦並べてみないとダメかもしれません>記憶力酷すぎ

こうしてお話して頂くと、それぞれで違っていて面白いですね。でも、ことりさんの場合は、時系列と言う、人によってはクドイと取られかねない説明ではなくて、端的にポイントのみで説明が出来ると言う事ですものね。

>>>>>>3 同じく、ことりさんが上司から上記(2)と同じ内容の指示をされた場合には、指示を聞いている間は、ことりさんの頭の中では一連の動きのある映像として頭に描きながらその道順や依頼内容等を理解されますか?

>こういう内容の本を読んだ事がありました。私が読んだ本のタイトルは「話を聞かない男 地図が読めない女」でした。
>そして「なるほど。なぜ、彼が道に迷っても他人に道を聞かないのか?」という軽いナゾが解けた「気が」しました・・・が・・・本を読んだ直後はそんな気がしましたが、やっぱり他人の頭の中は、理解できないままです(笑

この本のタイトルだけは知っていましたが、読んでいません。それと他の人の頭の中は理解できなくて当たり前ですね(笑)人は、思った事だけを言葉で表現しているかと言えばそうでもなく、表現した事とは逆の行動をしたりもするようですので、見ていると面白いと言うか、謎だらけです。そんな中で私は、人の「言葉」よりも「行動」を見るようにしています。これ、結構当たりますよ(笑)

>私には、画像記録装置はありませんが、代わりに高性能のボイスレコーダーが付いていますよ(笑
>特に「私に対する悪口」の記録能力は素晴らしいものです。

ピンポイント特殊センサー付き高性能ボイスレコーダーですね!それは素晴らしい!(笑)人それぞれで、それぞれの個性的なものをお持ちのようですね。

[#33242] Re:ASの男性の方、見解を教えて下さい
 タイム  - 10/3/18(木) 22:39 -

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   ▼ことりさん:

こんにちは。返信を有難う御座います。

>>>>>>2.個性と障害についてです。

>>ことりさんには、分かり易かったでしょうか?でも「個性と障害を同列」で考えてしまうと、もしも現在の定型と非定型の人数割が逆転した場合に、困るはずですものね。その個人の特徴が変わっていない場合にも、ころころと個性が生まれたりなくなったりと。私が知っている範囲でのお話ですが、個性的だと自称される一般(定型?)の方で「個性とは、その社会性を満たした上での秀でた部分の事」と表現されるがおられたのです。しかし、現在の定型と非定型の人数比率がもしも逆転した場合には、今の定型の方が数少ない側となってしまい、今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)でも人としてのベースに「個性」を位置付けておくと、その定型の方の「その個性」は失われずにすみますよね・・ですから「ASは、個性か?障害か?」を考えた時「りんごは、くだものか?みかんか?」・・のように私には見えたのですね。

>ところで、ふと疑問に思ったのですが、もし人数割りが逆転したら、困る人の数が増えるかしら?
>今も定型・非定型に関わらず、定型同士・非定型同士だって、分かり合えない事の方が多いわけですから、その比率が逆転しても、人数が少ない方が「マイノリティー」として扱われて、肩身の狭い思いをしやすいという現実は同じだと思うのです。そうすると、「困る人の数」と言うのは、結局はあまり変わらないのではないかしら?

その通りと思います。逆転した場合にも「人数比率自体」は変わらないでしょうね。

>行政が法的整備をし直さねばならず困るとか、医者があれこれ基準をこねくり回さねばならず困るとか、そういう事しか思いつかないのです。
>あ、あとタイムさんの仰るように、今まで「数が多い方に属していた人」が、数を頼みに持っていた妙なプライド(?)が無くなってしまって困るかもしれませんね(笑

今まで多数派として「普通」や「一般」と漠然と?確実に?思い込まれていたものが、人数比率の逆転によって、それが消滅してしまうと考えての事です⇒「今までその定型の方が表現していた「個性とは、その社会性を満たした上での」の社会性(この場合の社会は、非定型が多数の社会です)が満たせなくなりますので、その定型の方の特徴が全く変わっていなくても、その人の特徴が「個性ではない」となってしまいますでしょ?(笑)」の事ですね。つまりは、今まで「私は個性的だ!」と表現していた方が、逆転後には、逆転後の社会(非定型が多数)から「障害だ!」と言われる事になるのではないかなと言う事です。(個性と障害を同列で捉えた場合にです)

>>これが「客観的な判断基準」と言う事ですよね?
>>話は違いますが、前から感じていたんですよ。例えば「客観的な意見」・・・「客観的な意見」と言うのは、その人の「主観的な見解」の事でしょ?と。。
>
>ある一定条件下での走る速さは、「客観的な判断基準」というよりは、「絶対的な判断基準」と言った方が正確でしょうか。

なるほどです。

>「客観的な意見」と「主観的な見解」・・・うーん・・・非常に微妙なのですが、確かに仰るとおりですよね

「客観的な意見」って、存在するのでしょうかね?(笑)正確にはこのような表現は、間違いなのではないかな?と思いますね。雰囲気的に、物事を冷静に広い視野で公平に見た場合の「意見」・・のようなニアンスを持つのですが・・意見は意見である以上、その人個人の主観なのではないのかなと思ってしまうのですね。

>>ことりさんは、カウンセラーを目指されているのですか?
>
>いいえ、違います。
>ただ「臨床心理士」と呼ばれて心療内科等で働いておられる方のように、病理的な症例も扱えるカウンセラーではありませんが、仕事の関係で「キャリア・カウンセラー」という資格を取る事になったのです。

キャリア・カウンセラー・・知りませんでしたので、少し調べてみましたが、本格的にしようとすると簡単ではないお仕事のようですね。私には無理そうです(笑)

>元々、再評価カウンセリングというカウンセリングの手法を、日常生活に取り入れている事もあり、カウンセリング自体は割合に身近なのですが、まさか、ここまで本格的に勉強をすることになろうとは・・・

再評価カウンセリング(これも少しですが調べました)を日常生活に取り入れられているのであれば・・その話をされるお相手次第の所はあるとは思いますが、自己評価は下がり難いように思うのですが・・

>ちなみに、お返事を差し上げる事ができない間に合格発表があり、お陰さまで一次試験には合格しました。4月末に二次試験があるので、今日から本格的にその準備に取りかかりましたが、かなり難航しています。
>でも、がんばります。

おー、合格、おめでとうございます!後は、二次試験ですね。落ち着いて行きましょうね!

>>自分とは違った価値観を認知する事が、自分以外の人への尊重と自身の自尊心維持に繋がるのでしょうね。固定観念に縛られず、いつも自由でいたいものです。
>
>私は、周囲の人から、「あなたは自己評価が低い」「自尊心が低い」といわれるのです。これを改善するためには、もっと他人の事を認知できるようになる必要があるのでしょうか。

どうなのでしょうね。。私の場合は、人と「あまり」比べる事をしませんね。私が満足であればそれでOKと言う感じでしょうか。性格的なものもあるとは思いますが、ある程度満足しきるまで好きな事をし続けると、それだけでも満足感を得られますので、自己評価は低くはなり難いと思いますね。他人の事(価値観)を認知すると言うのは、相対的なものなので「あなたは、あなた。私は私」の感覚を多く持つ為でしょうか。もしもですが、世の中に私一人しか存在していないのであれば、比べるものが無いので(相対的に認知できないはずですので)、今ある満足感はなくなるように思います。

>人生、学ばねばならない事は、山のようにあります。
>頑張らないとねぇ。。。

私は、今はあまり頑張らないかな?頑張ると疲れますよ・・と言うような、いい加減な人間です。

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