アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
14363 さんwrote:
> 「米ニュージャージー州のハンター2人が狩りに出た。1人が木から落ちてしまった。仰天した連れのハンターが携帯電話で『息がない』と緊急通報した。救急隊のオペレーターが『落ち着いて。大丈夫。まず死んでるか死んでないか、はっきりしなさい』と声をかける。一瞬の静寂後、オペレーターの耳に1発の銃声。続いて『死んでる。これからどうしたらいい?』というハンターの声が響いた」
>
結構笑えました。(´▽`*) でも人が死ぬことが関連しているので、日本だと不謹慎だとか、子供が本気にしたら困るとか、すぐにお堅い反応が出てくるのではないかな、と思います。ブラックジョークを言う体質は日本にないから、多分、ものすごくうけるジョークではないかも。
「ニューハーフの人が病気でなくなりました。彼女の勤めていた店の人達も葬儀に参列して、そのあと、火葬場へ。最後のお別れをして、棺が焼却炉に今、入れられようとする、その時のこと。火葬場の職員の人はおごそかに職務上の言葉を述べます。」
「お釜に入ります。」
(実話を題材にした小話です。)
父と私は、そんなに共通点がないと思っていたのですが、最近になって以外な共通点を発見しました。それは「妹に頭が上がらない…」ということです。
おとといのことですが、隣町のk市にある大学病院へ検査を受けに行った父が、「えらいことになった、食道が狭窄しているということで、お父さんは手術を受けなくてはならん…」と、ぼやきながらリビングへ入ってきました。
「○○のところへ、電話しよう!」と、父が電話したのは、東京のやはり大学病院の栄養管理の仕事をしている妹、つまり私の叔母さんのところでした。叔母さんが父に曰く「そしたら…どういう具合なのか知りたいから、午後の4時までに、病院の玄関まで来て!」ということだったので、もしものことがあってはいけないと思った私は、風邪気味で胸が痛む体を押して、その時間に間に合うように、「会社によってこなくちゃ!」という父と合流できるように病院へ、とにっかく方向音痴でおろおろしやすい母を連れて行きました。
しばらく玄関の待合場所で待っていると、「お待たせして…ごめんね!」と白衣姿の叔母さんがやってきました。私はこれまで普段着の叔母さんにしかあったことがなかったので、それだけでも十分に、忙しい中何とか時間をやりくりして私たちに会うひまを作ってくれたのだということがうかがえました。「こっちの病院へおいでよ。」と叔母さん。「うーん。でもな…***(母)のことを考えると…A病院のほうが、近くて便利だしな…」と父。「じゃあ明日、私もA病院へ一緒に言ってあげるから、そこの先生の話を聞いて決めましょう」と叔母さん。
昨日は、前の晩に千葉からやってきた僕の妹が、妊娠4ヶ月の身重の体を押して、A病院まで車で家族を運びました。この日ほど、AS+ADDで車の運転ができない自分を恨んだ日はなかったです。妹は父の付き添いも勤めてくれました。私は息苦しい体を押して、叔母さんを病院の玄関で出迎える役をやりました。病院の先生との面談を終えて出て来た叔母さんは、「やっぱり私がいる病院にするわ、ここの先生私の病院の大学の関係者だったので、セカンドオピニオンの紹介状も書いてくれたし」といったので、父は叔母さんのいる大学病院に入院することになりました。夜になって妹が教えてくれましたが、父の病状は深刻で、開かないと詳しいことは分からないということでした(@。@)
そして今日は、朝7時に妹夫婦・私・母が付き添って、妹の婿殿が運転して、車で叔母さんの病院へ父を連れて行きました。今日は検査用の尿・血液の採取とレントゲン・入院手続きでしたが、それも全部妹が付き添いをしました。入院は来週ということになりそうです。本当に叔母さんと妹には、感謝です…ハイ。
幼いアスペッ子に告ぎます。
きょうだいげんかは、しないようにね…
あさかぜさん wrote:
>
> 直子さんの発言は今日一日考え続けるきっかけを与えていただきました。
こんばんは。
きっと、あさかぜさんをPCの前でフリーズさせちゃったかもしれませんね。
あさかぜさんにレスされた他の皆さんは、あさかぜさんのことをとても心配して書き込まれたと思います。
もちろん私も、あさかぜさんが少しでもご主人と距離を取られて、心身を休ませた方が良いという想いがあってのことですが……。
あつみさんへのあさかぜさんの、あのレスを読んだとき、なぜかとてもご主人がかわいそうになってしまったのです。だからと言ってはなんですが、腹いせ紛れにレスをしてしまいました。ごめんなさい。
掲示板に書き込まれるご主人への不満を読んでいるうちに、だんだんとご主人の甲斐性の無さが、長男の将来の姿と重なってしまっていたのです。そこまで書かなくてもいいだろうという気持が私のなかに湧いて来ていました。
何時だったか、ご主人が朝食の準備をされるようなことを書いてあったことがありましたよね。味噌汁を食卓に並べておられるようなこと。
それを読んだ時、ご主人もそんなに悪い人ではなくて、家族とご主人なりにコミュニケーションを取ろうとされているのかなという印象をもちました。
長期計画云々…を読んだ時、今のうちに別れてあげたらいいのに、年を取って捨てるのはかわいそうだよ、と思ってしまったのです。
わたしもどうかしてるよね。
あさかぜさんのご主人がうちの息子じゃないっていうのに。(ボケたのかな?私)
あさかぜさんにレスしてから私も眠れなくなってしまったよ。
なまじ、他所さまの夫婦の問題に首を突っ込むもんじゃないって、身にしみて反省したよ。
ホントのところは何も解っていないのにね。
14363さん wrote:
> この間世界を広く旅行して実地調査したワイズマン博士によると、日本だけは他の国と違って、ジョークの習慣自体を見つ出すのが非常に難しかったという。
おそらくは世界で一番有名な純国産のジョーク。
ソニーの盛田会長が海外で行なったスピーチの冒頭部分。
「皆さんがたのお国では、スピーチをジョークで始めるのが習慣になっていると私は伺いました。
しかし、我が祖国・日本では、スピーチを謝罪(excuse)で始めるのが習慣になっています。
皆さんにはまことに申し訳ないのですが、私は我が祖国・日本の習慣に従って、このスピーチを謝罪で始めさせていただくことにします。
このスピーチをジョークで始めないことをお赦しください。」
(Mr.Moto)
蝙蝠(内省型)さん wrote:
> そして、もう1つの問題点……。以上のような問題点はLD当事者が実体験を込めて語ることが最も理想的なのだが、それを掲示板に書きこむためにはそれなりの文章力を必要とする……。LD当事者がもっとも苦手とする能力が要求されてしまうのだ……、こともあろうに……。そして、私が書いたこのコメントを理解するにも、やはりそれなりの読字能力が必要とされる……。悪意がある訳ではないのだが、ここにはやはりLD当事者にとって残酷な構造が存在する……。
いま、手元に『Hiki・Com'i(ひきコミ)』(第17号)という、「不登校、ひきこもり、対人不安の人から発信する個人情報誌」というのがあります(『子どもと教育』、2002年10月臨時増刊号)。
で、それを読んだら、この『アスペルガーの館の掲示板』が「怖いところ」だと言われている理由がよく分かりました。
「ひきこもり」というのはLDやアスペルガー症候群なんかに比べると、はるかに多くの人々によって分析され言及されていて、当事者も(「人間関係に波風を立てたくない」とかいった理由を除けば)発言するのに障害になるフィジカルな要素がないにもかかわらず、サポート側の対応もお粗末なら当事者の発言もどこかピントがずれているのですね。
翻ってあたしたちときたら、しっかり自分の置かれている状況を認識し分析し、それについて十分にこなれた形で、しかも読み手にとって分りやすいだけでなくある意味「文学」してしまっているわけです。こういうのってゲイ・ムーブメント以外にちょっと例がないぞ。
ゲイは「見られることの痛み」から必然的に「他者の視線」を意識せざるを得ないわけで、表現力がいやがうえにも発達せざるを得ないから「表現者」として自己実現しやすいのは分かるんだけどさ、自閉症スペクトラムちゅーたらそういう存在とはほとんど反対の極に存在するわけですよ。それがこうしてけっこうカゲキに「表現者」しちゃってるのはどういうこっちゃい、といぶかる人はおって当然。
で、思うにですね、文章力を含めて「表現力」というのは、「自分の中で、他者をどれだけ(思考の道具として)的確にモデル化しているか」にかかっているのではないか。「客体化」というよりは「客化」ですね。「どうやっていじってやろうか」「どうやってコロがしてやろうか」を計算し、読める相手として対象化できるかどうかにかかっている気がします。これをモデルとしてではなく、印象としてしか捉えていないのが、いわゆる“素人さん”、あるいは普通の人です。「どうして分かってくれないんだ」とか怒ることが当たり前のようにできる人たちです。「いかん、すべった」「しまった、はずした」と、こっち側の問題として捉えられない人たちです。
あたしたちは「心」とか「魂」とか「本当の自分」とかいった言葉をア・プリオリ(先験的)に信じることができません。それは「社会」というものとの関係において作り上げ、かろうじて成立するものでしかないわけです。その意味では、「“表現できない何か”がある」というのもある部分幻想のような気がするのですよ。「色即是空・空即是色」。相互作用と存在は相対(そうつい)を為しており、表現することこそが人間を支えているのではないか、と思ったりもするわけです。あたしたちはみな「炭坑のカナリア」(by カート・ヴォネガットJr)なのです。
あらゆる文章の第一の読者は自分自身です。「ひきこもり」というのは、「自分自身にとって自分自身とは何なのか」を把握するための、自己形成の過程で必要なことかもしれない、と思います。で、それは「すでにある自己を認識する」過程ではないように思うんですよ。だからこそ、他者からの介入というのは避けなければいけないのだと思います。決して、「こうあるべきだ」を押しつけてはいけない性質のものだと思います。
コミュニケーションの形態と対象は人さまざまで、あたしたちには掲示板というものがあり、常連メンバーのみなさんがたがいたということだと思います。あたしにとっては水槽の中の水草やカワニナや、プランターに植えたミントや、貰ってきた仔猫も自己形成の基盤の一部をなすコミュニケーションの対象でした。
掲示板は掲示板、文章表現は文章表現。それでいいのではないでしょうか。
(Maria)
蝙蝠(内省型)さん wrote:
> 蝙蝠(内省型)……。久しぶりに登場する……。このコメントはこうもり
>がある学会のミニシンポジウムにパネリストとして出席した時の成果をまと
>めたものである……。
なんだかこの文体、怖いのである……。しかし笑いをこらえつつも、真面目に考えさせられます、内容的には。
>よし(陽疾)さん wrote:
>
>> 重度のAS児の母親の心理として、「自分の才能や能力を信じたり誇っ
>>たり」できる他のAS者に嫉妬してしまい(本当は、ある意味仲間だから
>>助け合っていくべき関係なのに)、その嫉妬する自分を責めてしまう、重
>>度AS児の母親の苦しみを訴えたかったのだと思います。
>
ローナ・ウイング博士は、自身の著作で、「能力の高い子どもの親が、子どもが成長する過程で、自分の息子や娘が自立しようとするときに助けることができず、傷つくのを見ていなければならないことがよくあります。ほかの人に一生頼って生きていくような重度の障害をもつ子どもの親は、少なくともこのような悩みをせずに済みます」と、述べています。
同時に博士は、我が子が重度の発達障害児で、追跡調査のデータが示すような、良好な予後の望めない子どもであるということを受け入れなければならないという事実は、自閉性障害の子どもを持つ親たちの直面する、多くの厳しい現実のひとつに過ぎない、とも言います。我が子を他人の子どもと較べてどうこういうのは、時間の無駄というよりない、というわけです。
一見、「そんな殺生な」と思わせる文面ではありますが、自身も自閉症児の母親である博士の言葉だけに、この一節だけでなく、著作には全篇にわたって、博士自身の、(今でこそ笑い話にさえ変えることができたといえど)当時は押し殺しているしかなかった慟哭が託されているかのようです。
123さんは、多分読んでおられなかったか、読んでも忘れたか、読んでもその意味するところが汲み取れていなかったか、そのいずれかなのでありましょうが。障害の比較的「軽い」私ですら、覚えていたのだぞ(って、較べちゃいけないんだったっけ)。いやしくも発達障害児の療育関係者として、忘れていたら、ただじゃおきゃしませんぜ。
>(LDについて)
>
> ここで言うLDとは医学で言う書字,読字,計算などに困難を抱える障
>害に意味を限定している……。
>
>スレッドNo.14317「果たしてLDはAタイプなのか?」14317さんのコメ
>ント……
>
>>なんかココに居るLDが浮いた存在みたいに感じるけど皆はどうよ?
>
> 14317さんのコメントはハンドルネームをスレッドナンバーと合わ
>せようとする余り、問題提起の内容が雑になりすぎている……。ご自身が
>提示した問題をどこまで真摯に考えていこうとしているのか、あるいはL
>D児・者の抱える苦悩をどこまで理解して発言したものなのか疑問なのだ
>が、問題の取りかかりとしては利用しやすいコメントなので引用しておく
>ことにする……。
聞いた話でしかないのですが、いまさら名前を挙げるまでもない、某サイトでは、たとえば名前を入力しないで投稿すると、自動的に「名無しさん」という代替ハンドルが出てくるそうです。他のBBSで、スレッドタイトルを未記入で投稿すると、タイトル:(無題)、のようになるものがあります。おそらくこうしたシステムに慣れすぎると、毎回毎回、タイトルやハンドルを自分の頭で考えるという努力を、しなくなってきてしまうのだな。しかも憶測でしかないのですが、あのサイトは、BBSというよりチャットに近い感覚で利用する者が多いのでしょう。だから、あのように一行かそこらかあるいはアスキーアートとやらのコピーで済ます人間ばかりなのですね。
笑ってしまうのだけれど、この板を荒らそうとして、いざ突入してみると、かのサイトと違って、いちいちタイトルやハンドルを入力しないとエラーが出てしまう。それに苛立って、ありあわせのものをくっつけては投稿する方々の姿が偲ばれて、それだけでも充分ストレス解消になりますよ。
しかし奴らもそれなりに羞恥の心というのはあって、「ああら奥様、いつもいつもおんなじ服ざますわねえ」と言われるのはプライドが傷つくんだな。だから本人としては、精一杯工夫を凝らしたつもりで、(゜д゜)だの「名無しさん」の誤変換ヴァージョン(七紙産、など)だの、中には(。。。。)だのはじめから捨てハンドルで来る者もいるし、それこそ精神発達がないんですよね。
いっそのこと名前を未記入で投稿しようとしたら、「アイアム短小早漏包茎三拍子彼女ない歴48年」にされてしまうとか(もち自己削除機能なし)、それこそ背水の陣で臨まなければ一生後悔するようなシステムでも作って、投稿者をびしびし鍛えてはどうかと思う。まあ男性ならこんなプログラム、とてもじゃないが書けはしないだろうけれど(製作者だってうっかり同じミスをしてドツボにはまる可能性もないとはいえないし)。ああ女でよかった。
> そして、もう1つの問題点……。以上のような問題点はLD当事者が実
>体験を込めて語ることが最も理想的なのだが、それを掲示板に書きこむた
>めにはそれなりの文章力を必要とする……。LD当事者がもっとも苦手と
>する能力が要求されてしまうのだ……、こともあろうに……。そして、私
>が書いたこのコメントを理解するにも、やはりそれなりの読字能力が必要
>とされる……。悪意がある訳ではないのだが、ここにはやはりLD当事者
>にとって残酷な構造が存在する……。
以前ナルコレプシーの、いわゆる「情動脱力発作」を起こして倒れたときのことです。悪いことに、脱水症状も併発しており、そのせいかは分からないけれど、まったく口が利けなくなってしまったのです。意識ははっきりしているのに、体が動かない、声が出せない、という、私にとっては未知の恐怖。とりわけ口が利けないということは、自分の状態を伝える、いっさいの手段を奪われたも同然です(たとえ手話ができたとしても、脱力状態では役に立たない気がする)。
あぶないところでしたが、ある人が脱水に気付いて水を持ってきてくれたために、水分を補給することができました。
「口が利けないのに、自分がしゃべれないということを、どのようにして伝えたらよいか?」という問題は、「LDの困難を、文章でどのように伝えればよいか」という問題に似ている気がします。
今ちょっと考えたのだけれど、様々な理由で、重度の構音障害のある人が、「ことば」を持つには、手話があるけれど、それにLDと構音障害が重なったら、一体どうなってしまうのか、ことばを持つというより、たいていの良好なコミュニケーションというべきものは、もう諦めてしまう他ないのか、いろいろ考えてしまいます。
> シンポジウムでは、視覚障害者向けに作られたあるソフトが
>
>(1)画像や視覚による補助機能が充実している
>(2)音声による補助機能が充実している
>
>という意味でLD当事者向けであると紹介されていた……。視覚や聴覚
>に困難を抱えている障害者向け機能がついたものは、LD当事者にとっ
>ても有効なのであろう……。これをたたき台にしていけば、LD当事者
>向けのサイトを作れる可能性を秘めている……。
いかに最新の機器が開発されたとしても、LD者自身が持っている内面を表現することまで、逐一機械に代行させることは不可能であるというジレンマも、一方では存在すると思います。某サイトの流儀から抜け出せないままでいる者達が、この掲示板では、あのように彼らの「脆弱さ」をさらけ出すことにしかならない結果となっているように、「最新設備」という、現代文明の産物は、しばしば人間を甘やかすことになってしまいがちであるという危険も、見逃してはならないと思います。
最後に、レスがとんでもなく多岐にわたってしまったことに、お詫び申し上げます。
りる wrote:
>ですが、そもそも、現在私には「パートナー」が存在しない、パートナーになり得るような人も存在しないので、なんとも…
>私の状況や状態を理解した上で、その人にとって私が「御大切」であると私にわかるように伝えてくれる人はいるのですが、どの人もいわゆる「1対1関係のライフパートナー」にはなり得ません。
>まあ、それならそれでしょうがないや、という気分になってもいるのですが。
月並みな言い方ですが、「縁」です。
一番好きな人が伴侶となるとは限りませんし。
「縁」があると嫌でも一緒になってしまう。
「肩のこらない人」を基準に選ぶと失敗しませんよ。
明治の人は「結婚は慣れだ」と言っておられました。
それは一面真理だと思います。
夫婦というのは、履きなれた靴みたいなもんで、馴染んでしまうと他の代りは欲しくない。
とは言うもののあまり履き込むと擦り減ってだめになってしまうので、適当に距離を保っていければ理想です。
(注:やたらに靴/相手を履き替えて、という意味ではありません)
りる wrote:
>「常」
>(中略)あと、7は「長さの単位」、8は「天使の旗印」でした。
「天使」でなく「天子」でした。失礼しました。
国外逃亡者さん wrote:
>私は「健常者」という言葉が嫌いです。ふさわしくない表現と思います。
>私を変人扱いしてのけものにし、嘲笑った人々のどこが「健やか」な人種だったのか。個々のあり方を尊ぶということのできない世間の人々が「健やか」であるはずがありません。
>「その他大勢者」で充分です。
私も「健常者」という言葉にはとても違和感と抵抗を感じます。
広辞苑(第五版)で引いてみたところ、
「(障害者に対して)障害がなく健康な人。」とありました…なんの説明にもなってないーーー(辞書にはありがちですが)
で、「健康」を引いてみたら、
「身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。
また、病気の有無に関する、体の状態。」だそうです。
「障害」は「悪い」ところなのか?
更に、広辞苑と同じROMに入っていた漢字源で「健常」の「健」と「常」を引いてみました。
「健」
1 すこやか。からだを高く伸ばして元気がよいさま。
2 たけし。元気があふれて力が強いさま。
3 疲れずに物事を続けるさま。
「常」
1 つね。いつまでも同じ姿で長く続くこと。
2 いつまでも同じ姿で長く続いてかわらない物事や道理。
3 つねに。いつも。
4 不常=一定しないこと。
5 とこしえに。永遠に。いつまでもかわらず。
6 普通の。並の。
あと、7は「長さの単位」、8は「天使の旗印」でした。
「健常」というのは、
『「健」の1か2+「常」の6』あたりの意味でできている言葉なのでしょう。
「常」の1、2、(3)、4あたりも引っ掛かります。
ちょうど友人に「非アスペの人は一定でなくて臨機応変に変化するから私には理解が難しいんだ」というようなことを話したばかりなので。
国外逃亡者さん wrote:
>自分のできる分野に自分の苦手がある りるさんの状況はホント大変ですね。
今はまったく無職状態で(一応「療養中」ではあるのですが)、
以前は「普通の人」のフリをしてこなせていた仕事も、もうできないのではないかと思います。
自分がおそらくアスペであると認識してしまったことで「普通人」の皮がどんどんはがれているような状態です。
そう考えると、この障害を自分で認識することは、はたしていいことなのか、いいことではないのか…
でも、少なくとも私の場合は、自己認知と自己受容は、私が何よりも一番必要としていたことだったと思います。
アスペという確信を固めつつある今、前よりも気分はとてもすっきりしていますし、しょうがないや、という感じです。
>パートナーに対しても、「自分を自分のやり方で表現する」時と、「相手について理解してみる」時間を区切って話し合いをすることはできないでしょうか。
>相手の性格にもよりますが、私はこのやり方で主人とのズレを修復してきました。
>
>時間はかかるけど、個々の性格とか感性とかは変えられないのですから、根気よくやっていくしかないですよね。
>そこで相手や自分をあまり変えることなく「受容できるか」相手が自分を理解できるまで「待てるか」自分自身はとりあえず置いておいて「歩み寄れるか」というのが「愛」を持続させていく鍵ではないかと。
>
>「御大切」・・・いい言葉ですね。常に「あなたは私の一番大切な人」というメッセージを自分なりに送り続けていくことが大切なのではないでしょうか。
とても共感します。
ですが、そもそも、現在私には「パートナー」が存在しない、パートナーになり得るような人も存在しないので、なんとも…
私の状況や状態を理解した上で、その人にとって私が「御大切」であると私にわかるように伝えてくれる人はいるのですが、どの人もいわゆる「1対1関係のライフパートナー」にはなり得ません。
まあ、それならそれでしょうがないや、という気分になってもいるのですが。
ここまで書いていて気づいたのですが、夫婦や恋愛関係等の、「1対1関係のライフパートナー関係」は、「御大切」だけでは成立しないのでは…。
「御大切」というのは「排他的ではない感情」と理解したので。
あさかぜ wrote:
> たぶん、いろいろなものから。
> 常に自問はしているんだけれど、どうにも分からないことばかり……。身体はくたくたなのに眠れなくなっていて、再び心療内科に通い安定剤を処方してもらっています。眠らないと仕事が続けられないから。
>
> やべーかな。このままはまっていくとまたSSRIのお世話になる必要があるかも? 明日心療内科へ行って相談してきます。
>
> もしかしたら夫はまっとうな人で、人づきあいが苦手で社会性のないのはわたしの方だけなのかもしれない。わたしのような女と一緒にならなければ夫も不幸にならなかったのかもしれないという姑の主張も、あながち間違いではないのかもしれないという気がします。もっとしっかり者で、世話好きで、面倒見が良くて、明るくて、気働きのいい嫁さんと一緒になっていればね、夫も気分良く幸せに暮らせたんでしょうに……。
「しっかり者で、世話好きで、面倒見が良くて、明るくて、気働きのいい完璧な嫁」が、自分にかけてくるプレッシャーというものに疲れ果て、ある日突然蒸発してしまう夫、というのも、この世にはおりますからね。
それに、お姑さんが、自分の息子の肩を持つのは、当然なんですよ。なんといったって、彼女にとっての息子という存在は、「自分で生み育てた異性」なのですから。「お前のような女と一緒になったから息子は不幸になったのだ」というのは、母親であるとか姑である以前に、女として、異性に対して「妄執」し、あさかぜさんという「同姓」を疎んじた発言のような感じがします。こんな人と息子にめとられたが最後、どんな嫁であろうと命がいくつあったって、もちゃしないって気がします。これはもう古代ギリシャ悲劇の時代からの、男女間の因業とでもいう他ないのかも知れないな。
ただ、本気であさかぜさんを幸せにする気があったら、旦那様だって、母親の言いなりになどならず、自分の家庭のことを優先して考えるはずなんですよ。
さんざ人の家庭のメンバーの悪口を言ってしまいましたが(きっとこの悪口、ぜんぶあんくに返ってくるのだろうなー(^_^!)。しかし私はもとより穢れた女、この上なんでも来やがれッスよ)、お姑さんと旦那様の関係のような話、日本全国、津々浦々で聞かれますよね。ということは、程度の差はあれ、これが日本の一般的家庭状況なのかも知れませぬ。
だからといって、「だからこれはもうしょうがないんだ、みんな同じで、それでも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」みたいな、集団主義的大合唱では、あさかぜさんのようなドクターストップ寸前者を、いたずらに増加させるだけではないかという気がします。
> 結婚も異文化コミュニケーションのひとつだと感じています。本人同士の関係なのだけど、お互いが背負っている背景が違うから。わたしだって夫をとやかく言えないくらいコミュニケーションが下手です。必死で努力してもこの程度かと、我ながらあきれるほどに。
>
> でも、努力はやめない。娘の卒業まで約二年半……いろいろなことが起きるでしょう。何も面倒なことが起きなければいいと言ったのは、安定性を好む娘。そんなわけにはいかないだろうと知りつつ、できるだけ守ってやりたいと思います。
>
> 離婚するとしても、旧姓に戻るのもイヤなんだ。発想が根無し草かも? 結局のところ、たいして進歩もしていないのはわたし。結婚して十年の間でたくさんのことを学び、できないと思いこんでいたことのいくつかができることに気づいたけど、振り出しにもどりそうな感じがしています。それでもいいのかもしれないですが。
私も今まで何度か「人生の転機」みたいなものを迎えて(とんでもなく抽象的な言い方になってしまうけれど、Asの常ってやつで、お世辞にも「幸」とか「順風」という文字を冠することのできる性質のものとは言えなかったし、常に「異例中の異例」、「前例なし」、「青天の霹靂(大笑)」などと、周囲に呆れられてばかりだった)、「あの時はあれでよかったのか、これでよかったのか」と、ひとり悶々とすることはあります。
自分のことを言ってしまえば、今まで自分の意思で動いてみて、後悔しなかったことなど、ただの一度もありません。ただ昔と違うのは、「後悔するという覚悟が
できた」ということぐらいです。それさえ娘さんに分かってもらえればね。しかし子供の問題というのは、何とも微妙だ。
あさかぜさんが余計にお疲れになっているのは、パソコンの電磁波の影響の可能性ということも、あるかも知れません。すくなくとも、娘さんには、ネットを心の支えにしすぎてしまっている親の様子を目撃させて(隠しているつもりでも、何となく分かるということもある)、余計な不安を与えてしまうということのないように、ご自愛下さいね。
みどりさん wrote:
>りるさんは本名とハンドルで感覚に違いがあるのですね。
かなりあります。
最初に私が必要としていた匿名性というのは、実は私自身にはそれほど強い意志はなかったのですが、「絶対に!」という他者からの強い要求によるものでした。それが刷り込みのようになっているのかもしれません。
更に、パソ全般に関してのアドバイザーである人から、最初にさんざんネットの危険性と個人情報保護の必要性を叩き込まれたため、というのもあります。
>実は「みどり」は単なるハンドルで、私の本名ではないのです。(あ、カミングアウトしちゃった)
>
>……と知ったところで、「みどり」呼び捨ては気にならなくなりますか?
う〜〜ん。
ハンドルでも、呼び捨てにはやはり抵抗があります。
ハンドルであれ本名であれ、「その個人を識別するなまえ」には違いないので。
(犬猫や二次元の人物にもよく「さん」等をつけます。他者を呼び捨てにするのは、私にとっては「その人は私にとって重要でない」「私はその人を低く見ている」ということの表出であるらしいです)
「本名っぽいハンドルの人」に、いちいち「それは本名ですかハンドルですか」と確認するわけにもいかないので、
「ここでは私は手動で『さん』を入れることにしよう!」というルールが私の中でできてしまいました。
(「『○○ちゃん』さん」はさすがにやらないつもりですが)
でも、もしみどりさんが「みどりさん wrote:」に違和感を感じてなんかイヤというのでしたら、みどりさんへのレスには入れないよう努力します。うっかり忘れそうですが…。
>>初めて引用入りのメールを受け取ったとき、とても失礼なことに感じてものすごく驚いたので。
>
>これはとても新鮮。そうか、そういう風に思う人がいるのね〜。目からウロコです。
私はまったく逆方向に目からウロコ(というかびっくり)だったのです。
相手は私に対して何かの理由で怒っていて、イヤミのような意味でやっているのかと思って、真相を知るまで動揺しっぱなしでした。
>FAXなんかだと、こちらから出したFAXに直接返事を書込んでそのまま返事が来る、なんてこともよくありますけど、それも失礼に感じますか?
そういうFAXは私は受けたことはないです。受けたらやっぱりとても失礼に感じると思います。
私の中(と周囲)では、FAXもやはり普通の手紙と同じ位置づけでした。
>ええと、全文を引用するのはやめた方がいいと思います。引用は「ああ、あの話ね」と思い出せれば十分ではないでしょうか。それでも思い出せない人は元記事リンクをクリックすれば全文が読めるわけですから。
全文引用は今のところ基本的にしていないと思います。必要と思う部分だけにしているつもりです。
それでも、私の感覚で通常やっている引用より、ここでする引用はかなり多めです。
#やっぱり親記事クリックでそのスレッドを全文表示、という形式があれば、私にはとてもわかりやすいんですが…掲示板の形式ばっかりはどうしようもないですよね〜…。
りる wrote:
>相手先で「To: みどり <midori@foo.bar>」と、ハンドルでなく本名が呼び捨てで出るのは失礼なのだろうか?と思い、
>返信時にはメールアドレス本体以外の部分をわざわざ全部消してしまう習慣があります。
りるさんは本名とハンドルで感覚に違いがあるのですね。
実は「みどり」は単なるハンドルで、私の本名ではないのです。(あ、カミングアウトしちゃった)
……と知ったところで、「みどり」呼び捨ては気にならなくなりますか?
>と、書いていて、改めて不思議に思ったのですが、アドレスに本名を使っているなら、その上更に「本名(差出人の名前)」欄がある必要はないと思うのですが…。通常は署名等も入れるわけですし。
自分の名前ではないメールアドレスを使うこともできる以上、同じであっても名前欄があった方がまぎらわしくないですね。
一人暮らしの人や私書箱では住所だけあれば十分手紙は届くはずなのに、実際には名前も書くようなもんではないでしょうか。
>初めて引用入りのメールを受け取ったとき、とても失礼なことに感じてものすごく驚いたので。
これはとても新鮮。そうか、そういう風に思う人がいるのね〜。目からウロコです。
>私にとってメールは、形式や速さが違うだけで、意味的には「普通の郵便で出す手紙」と同じ位置づけです。(紙の手紙をコピーして行間に返事を書いたらすごく失礼ですよね)
FAXなんかだと、こちらから出したFAXに直接返事を書込んでそのまま返事が来る、なんてこともよくありますけど、それも失礼に感じますか?
>ただ、こういう(意見交換や議論系の)掲示板では、適切な引用があった方が読む人に親切な場合が多いことは承知しています。
ええと、全文を引用するのはやめた方がいいと思います。引用は「ああ、あの話ね」と思い出せれば十分ではないでしょうか。それでも思い出せない人は元記事リンクをクリックすれば全文が読めるわけですから。
鷲羽丸さん wrote:
> ある医療法人のHPに、自閉症は「心理的なストレスが引き起こす精神障害」「精神病の代表的なもの」などというとんでもない記述があったため、わしはHP管理者宛に抗議メールを出しました。
>
> ↓その全文です。
>====================================
>はじめまして。私は岡山県に住む、鷲羽丸(注・原文ではわしの本名)というものです。
>
> 本日、○△会(原文は実名)さまのHPを拝見しました。
> そのなかで、放っては置けないと思った箇所があったので、言わせて頂きます。
>
> 「病気のお話」のページの「008 こころの健康」の、自閉症に関する部分です。
>
> まず、自閉症が「心理的ストレスが引き起こす様々な精神障害」として扱っているのが大きな間違いです。自閉症とは、生まれついての脳の障害による、先天的な発達障害の一種です。精神障害ではありません。
> この障害の特徴は、興味の限局(特定のものにやたらこだわる)、コミュニケーションの困難が主だったもので、「自分の世界に閉じこもる」などというものではありません。
>
> 「精神病の代表的なもの」というのも間違いです。前述したように、自閉症は「障害」であり、「精神病」ではないのです。
> また、自閉症の人は決して「非社交的」ではありません。彼らは社交的になりたがっているのです。なのに、コミュニケーションが困難なため、人間関係を作ることがうまくできないのです。
>
> 私はあることがきっかけで、自閉症と言うものに関心を持ちました。そしてそれは、世間で言われている「自閉症」というものが、いかに間違いと偏見の目で見られているかを知ったことでもありました。
>
> 今回、このメールを出したのは、医療に携わる団体が、このような間違った情報を流すことによって、それを鵜呑みにし、自閉症というものに偏見を持つ人が増殖しかねないのではないか、という不安からです。
>
> HP製作者の方へ。一度「子どものためのバリアフリーブック・自閉症の子どもたち(大月書店)」という本をご覧になってください。HPに書かれたことがいかに間違いだらけかがわかることと思います。
>
> そして、一刻もはやく訂正がなされることを願います。
>
> 以上。
>====================================
ということは、広辞苑の2つの意味の記述の1つ目は専門的には誤りで、私の認識であった
>私は、(1)の意は「自閉的傾向/状態」という「症状」を指すものであり、
>「自閉症」という語は、先天性障害の意である(2)として使われるのが正確なのだと思っていました。
> その上で、世間的には、
>「自閉傾向という病態=(1)」と「自閉症という先天性障害=(2)」がごっちゃにされてしまっているのではないかと思っていた
というのは、間違ってはいないということですよね?
それなら安心しました。
> その後、管理者から丁重な返信が来ました。「問題箇所は削除します。」とのことでした。
> それからそのHPを見たのですが、その部分はあっという間に削除されていたのでした。
>
> 後で「しまった!」と思いましたねー。
> これでは間違った情報を流していた証拠が、全部消えてしまったことになるのです。「お詫びを掲載してください」とでも書いとけばよかった……と思っても時すでに遅し。
おそらく、「お詫びを掲載してください」だけでは「全削除+お詫び(ほんとに単なるお詫びだけ)」となり、
結果としてたいして違わなかったのではないかと思います。
「訂正と、以上のような正確な記述の掲載をお願いします」くらい言わないとダメなのかも…(言ってもダメなのかも…)
自分達が誤った記述をしていたと認めるのは体裁が悪いのでしょうし。
「とんでもない誤り」を最初からなかったことにしてしまえるというのは、WEBならではの問題ともいえますよね。
Maria wrote:
> (KILROY)
14363 wrote:
>(土屋 旭/infostand)
MariaちゃんとKILROYさんの関係はなんとなく知っているのだけど、14363さんと土屋さんの関係はいかに?
(もしくは14363さんがただの物知らずなのか)
# lisp は使うけど、 lisp 使いとは言えないかも。
# しかし、foo/bar/baz って lisp 限定なの?
みどりさんwrote:
>りる wrote:
>>>> ここの常連さんの無言のローカルルールなのでしょうか?私はすごく失礼なことをしていたのでしょうか?
>
>常連と言うほどは書いてませんが、私はあえて「つけない」派です。
>(ごくたまに気まぐれでつけることもありますが、それは遊びの一種であって、礼儀でやってるわけではありません)
>
>メールの宛先の
>
>> To: みどり <midori@foo.bar>
>
>というのを
>
>> To: みどりさん <midori@foo.bar>
>
>にはしないのと同じです。(たまにしてる人もみますが、冗談ならともかく、まじめにやるのは「あなた様」みたいな滑稽さを感じます。)
私は仕事でネットを使ったことがなく、初めてメールアドレスを取得した頃には、ネット上の交流はもちろん、メールのやりとりも匿名でする必要があるという(たぶん)特殊な状況でした。
ですので、メインのアカウント(本名を知られてもいい相手に使うもの)にもいまだに本名は使っていませんし、メーラの「本名(差出人の名前)」のところにも、アカウントと同じ文字列(ハンドル)しか入れません。
「To:(もしくはFrom:) riru <riru@untara.com>」となるわけです。
「本名(差出人の名前)」のところに、本当に本名を入れる人がいるというのはしばらくしてから知ったので、
相手先で「To: みどり <midori@foo.bar>」と、ハンドルでなく本名が呼び捨てで出るのは失礼なのだろうか?と思い、
返信時にはメールアドレス本体以外の部分をわざわざ全部消してしまう習慣があります。
「To:midori@foo.bar」となるわけです。
みどりさんのあげられた例の「To: みどりさん <midori@foo.bar>」とは逆のパターンといえるかもしれませんね。
と、書いていて、改めて不思議に思ったのですが、アドレスに本名を使っているなら、その上更に「本名(差出人の名前)」欄がある必要はないと思うのですが…。通常は署名等も入れるわけですし。
また、事務的な用件でない、個人的なメール(それがほとんどなのですが)のときには、基本的に引用返信は絶対にしません。初めて引用入りのメールを受け取ったとき、とても失礼なことに感じてものすごく驚いたので。
私にとってメールは、形式や速さが違うだけで、意味的には「普通の郵便で出す手紙」と同じ位置づけです。(紙の手紙をコピーして行間に返事を書いたらすごく失礼ですよね)
ただ、こういう(意見交換や議論系の)掲示板では、適切な引用があった方が読む人に親切な場合が多いことは承知しています。
WEBがこれほど一般的でなかった頃から「ネット」を使っておられる方、仕事でネットを使われる方とは、かなり意識が違うなーと以前から思っています。
2002-10-04
■「世界で最もおもしろいジョーク」 オンライン調査結果発表
オンラインで「世界で最もおもしろいジョーク」を募集していたウェブサイトの英ラフラボが最終結果を発表した。英ハートフォードシャー大学の心理学者リチャード・ワイズマン博士らのユーモアの社会文化的研究の一環で、ユーモアのセンスは国や地域ではっきりした差異があることが分かったという。
訪問者に好きなジョークをエントリーしてもらい、5段階方式の人気投票にかけた。70カ国から4万件の応募があり、英マンチェスターの精神科医の応募作品が1位になった。ラフラボによると、英国、アイルランド、オーストラリアなどでは言葉の遊びが、米国、カナダでは他人の愚かな行為の話が、欧州の多くでは現実離れした話が好まれていたという。
この間世界を広く旅行して実地調査したワイズマン博士によると、日本だけは他の国と違って、ジョークの習慣自体を見つ出すのが非常に難しかったという。
さて1位になったジョークは、ジョークを解さないという日本人に世界1と受け取れるだろうか。
「米ニュージャージー州のハンター2人が狩りに出た。1人が木から落ちてしまった。仰天した連れのハンターが携帯電話で『息がない』と緊急通報した。救急隊のオペレーターが『落ち着いて。大丈夫。まず死んでるか死んでないか、はっきりしなさい』と声をかける。一瞬の静寂後、オペレーターの耳に1発の銃声。続いて『死んでる。これからどうしたらいい?』というハンターの声が響いた」
[ラフラボ]
http://www.laughlab.co.uk/
(土屋 旭/infostand)
Maria さんwrote:
>
> 橋本さんは「植物にも感情がある」と言っています。昆虫は「梯子状神経系」という神経のネットワークだけがあって脳らしき脳はないのですが、「威嚇」をするくらいだから感情はあるのでしょう。星状神経系しかないナマコやアメフラシも外敵に反応するので、植物に情報処理能力がないということにはならないと思います。じっさい、植物でも葉っぱを齧られると警戒物質を出し、周囲にある植物が毒素を生産して食害に対抗しようとすることが知られています。
>
Mariaさんて物識り博士みたいで、すごいですね。いろいろ教えて下さり、ありがとうございます。またこれからも、変な質問するかも知れませんが、その時はよろしくお願いします。ところで、この話聞いたら、ASの人の中には、野菜まで食べられなくなる人が出てくるかな?
みどりさん wrote:
> To: みどり <midori@foo.bar>
もしやみどりさんは Lisp 使いか?
ちなみにMITでは foo の次に bar が、スタンフォード大では baz が使われる傾向がわずかに見られるそうである。
なお、 baz は bar の変化形で、語源は“FUOBAR”(fuck up beyond all repair(どうしようもない))であるという説が有力だが、そもそもはイディッシュ語の感嘆詞“Feh!”あたりに由来するという説もある。
(KILROY)
卵をご飯にかけようとしたら、ひよこがご飯の上にでてきたというのは、昔の田舎では時々聞く話です。『エッグスタンド』も田舎で育った少年の話ですね。わたしの近所の子もそれから、卵かけご飯がだめになり、わたしもその話を聞いてから、生卵がだめになりました。案外、生卵がだめな人は田舎に結構います。それはひよこご飯がトラウマになっている場合が多いように思います。どこかに孵りかけのひよこを珍味とする国もあるようですが……。
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