アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
りるさん wrote:
>この間まで、たまたまあつみさんの発言を機になんだかすごいことになっていましたが、あつみさんが妙な責任を感じたりへこんだりしておられない様子でほっとしています。
ほんとうに、ここの掲示板の効果のお陰です。ありがとうございます。
>私はまだ自分自身のことで手いっぱいで、
>広い意味での異文化コミュニケーション(社会問題や異文化圏間の紛争問題など)には考えが至っていませんが、
私の場合、自分自身のコミュニケーションの問題をずっと感じていたということと、たまたま仕事で、途上国に対する日本(その他の国も少々)の援助の現場や、ある途上国の方針が、アングロサクソン系の国々から槍玉に挙げられた現場などを目にする機会が多かったということもあり、それらが、自分の問題とも結びつくような気がしたのでした。
>あつみさんがあげられた「異文化コミュニケーション」という言葉は、
>まさに今私が直面している問題にしっくりくる気がしました。
>
>私の(どうやら非常にマイノリティに属するらしい)「ロジック・思考回路」を
>理解しようとしながらコミュニケートを取ってくれる理解者は得られた(と思う)のですが、
>「まったくの異文化」を背景にした人と、おそらく初めてまともに接して
>(これまでは「私がマジョリティのフリをする」か、「まったくの異文化の人とはハナから接触を持たない」でやってきたと思います)、
>かなりのカルチャーショックを受けています。
>
>ある言動について、
>「(私)なんでそうするの?」「一般常識としてそうするものだと自分は思っているから」「なんで?」「そういうものだから」「なんで?」
>おそらくどんな面においてもこの繰り返しで永遠に平行線なような気がします・・・。
まさに今、私とパートナーとのやりとりがそんな感じです。
>ふと思ったのですが、
>「他者の『ロジック・思考回路』を理解しようという努力はしない」という「ロジック・思考回路」もあり得るのかな、と。
あると思います。特に、これまで自分の「ロジック・思考回路」でやってきた事がある程度上手くいっていて、その正しさを証明する材料が多ければ多いほど、その傾向はあるように思います。
>『アスペルガー的人生』にあった、「私は夫の顔のパーツが好きなのだ」というのは私にはとてもよくわかります。
>「パーツ」というのは、視覚的なものにとどまらず、考え方や行動様式などにも当てはまると思います。
>「この人はこういう考え方をするから信用できる」。
>「この人はこんな言動はしないから好感が持てる」。
>それは理解できるし、私自身も人との相性を評価するときにはそういう表現が一番しっくりくるのですが、
>パートナー(恋愛関係)となると、「それ以上の、言葉で説明できない何か」が存在するらしいということを知りました。
>自分の考え方や嗜好や行動様式・生活形態と、相手のそれとに、どんなに相容れない部分やズレがあっても、
>それをどうにかして擦りあわせたり妥協しあったり、
>そんなおそろしく鬱陶しく面倒な(ときにはとても嫌な)ことをしてでも、
>「パートナーになりたい、パートナーでいたい」と思う「何か」があるらしいと知りました。
>それは、いったいどのようなものなのでしょうか。
ほんとうに、どのようなものなのでしょうかね。
そのことについて、書こうと思いましたが、まだ考えが纏まっていません。
纏まったら、改めて書かせていただこうと思います。
自分でも、今の状況を考えると、パートナーと生活を共にするのは、面倒で苦しい事ばかりで、一体何の為にこんな事をしているのだろう、とよく疑問に思います。
いろいろ、書き込みたかったのですが、あまりに現在の自分の問題とかぶっている事が多くて、いまいち纏まらず、失礼致しました。
返信書き込みで最初につけられる「○○wrote:」の部分、
「○○」+「さん」となっている場合が多いのに、
最近の私の書き込みを改めて見ていたら、そうなってないな〜、ヘンだな〜と思って初めて気がついたのですが、
デフォルトだと「さん」は入らないのですね?
みなさん手動で「さん」を加えているということなのでしょうか?
ここの常連さんの無言のローカルルールなのでしょうか?私はすごく失礼なことをしていたのでしょうか?
犀子 wrote:
>失礼いたしました。
>私の記憶違いのようで、恥ずかしいです。
>今手元にある本では、同様のことが一般的にという意味で書かれていました。
>講談社現代新書に入っている本です。
犀子さん、初めまして。ご挨拶が後になってしまってすみません。
2つの定義については、本質的には間違ったことを書かれたわけではないので、恥ずかしがられる必要はないと思います。
>おそらく、発言者本人は1の意味があることを知らずに、2の意味としてこの言葉を使ったのだと思われます。そして、観客の中には1の意味を知っている人もいたでしょうが、「笑っていいとも」の観客は日本一迎合的な体質なので(私の印象です)、冗談を言っているようだから笑ってあげようということになったのだと思います。
そうなのかもしれませんね…。
あの発言を受けての笑いの音量は、他の笑いどころより少しだけ小さかったような気もします。
>あの番組の会場アンケートで、「アスペルガー症候群という言葉を知っている人
>スイッチオン!」とやったら、どうなるんでしょう?
私は、ここにポストした後、ふと、
あの発言者(名前を思い出しました。山城新伍でした。)が、
「自分はアスペルガー症候群という自閉症の一種であるかもしれない」という意味であの発言を切り出し、
おそらく「スイッチオン!」ではゼロであろう観客に(更に視聴者にも)真面目に説明を始めたのだったらなあ…と思いました。
お笑い番組では土台無理なんだろうけど。
>あつみwrote:
>>実際の会話となると、相手の話を聞きながら理解し、それに次々と答え、同時に自分の考えを纏めて言いたいことは言う、という、アクロバティックな技術が要求されますからね。とても難しいと思います。やはり、会話のスピードが速い人とか、押しの強い人、多数派の意見を持つ人の方が優勢になってしまう。
あんくさん wrote:
> 「自分には技術がないからダメだ」と、思ってしまう必要は、ないんですよ。相手がスピードを挑んでかかったら、逆に、じゅうぶんすぎるほどの「間」と「距離」を置きつつ、「あなたのペース」になることを断固拒否することを、言葉によらず「黙示」してみせるという技術だって、あるのです。
(中略)
> こういった程度の技術なら、比較的軽い自閉人でも、日常的に、行使していると思うんです。言葉がすべてではないってことですな。
確かに、相手のペースにまんまと乗せられてしまう事が、問題となるわけですよね。私も、「闘いの土俵から下りる」ため、13歳から19歳まで、ほとんど他人と口をききませんでした。しかし、ここ数年、なんとか異文化人とコミュニケーションをとって(というか最低限自分の身を守って)会話のやり取りをしないと、とんでもないことを自分のせいにされてしまう、といった事態が多発していたため、「何とかしなくては。」と思っております。
しかし、やはりスピードと解りやすさを競うのは会話では難しい。
>「あなたのペース」になることを断固拒否することを、言葉によらず「黙示」してみせるという技術
を、取り入れつつ、誤解を避け、「返事をしなかったお前のせいだからな!」とならないよう、工夫したいと思うところです。
広辞苑 第四版 wrote:
>犀子さん wrote:
>
>>ただ、以前読んだ自閉症関連の本の中に、広辞苑には自閉症の説明として、
>>1.発達障害の一種
>>2.(健常者が一時的に)他者に心を閉ざしている状態
>>という二つが載っているという文章を見た覚えがあります。(広辞苑も手元にないので、うろ覚えの話で、申し訳ありません。)
>
>じへい‐しょう【自閉症】‥シヤウ
>(1) 自分だけの世界に閉じこもる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態。現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一。
>(2)早期幼児期に発生する精神発達障害。対人関係における孤立、言語発達の異常、特定の状態や物への固着などを示す。早期幼児自閉症。
手元の広辞苑第五版(ROM版)でも同じ記述でした。
ただ、広辞苑はあくまで「語義を説明するためのもの」だと思うので、
特に未解明や研究途上の病気・病態等の記述等については、不正確な場合も多いのではないかと思います(更新も遅いですし)。
私は、(1)の意は「自閉的傾向/状態」という「症状」を指すものであり、
「自閉症」という語は、先天性障害の意である(2)として使われるのが正確なのだと思っていました。
その上で、世間的には、
「自閉傾向という病態=(1)」と「自閉症という先天性障害=(2)」がごっちゃにされてしまっているのではないかと思っていたのですが、
そもそも私の認識からして違っていたのでしょうか?
または、精神疾患等は専門家の間でも定義や解釈が割れる/揺れることが多いようですが、この場合もそうなのでしょうか?
私がよく見ているメンタルヘルス関連の解説サイトでは、
上記の(1)に当たる「精神分裂病の(4つの基本症状のうちの)一症状」は「自閉性」と書かれています(下記URL参照)。
精神分裂病(今は「統合失調症」ですが)についてのその他の説明部分では、症状として「自閉」と表記されています。
http://akatan.cool.ne.jp/sc.htm
失礼いたしました。
私の記憶違いのようで、恥ずかしいです。
今手元にある本では、同様のことが一般的にという意味で書かれていました。
講談社現代新書に入っている本です。
犀子さん wrote:
>ただ、以前読んだ自閉症関連の本の中に、広辞苑には自閉症の説明として、
>1.発達障害の一種
>2.(健常者が一時的に)他者に心を閉ざしている状態
>という二つが載っているという文章を見た覚えがあります。(広辞苑も手元にないので、うろ覚えの話で、申し訳ありません。)
じへい‐しょう【自閉症】‥シヤウ
(1) 自分だけの世界に閉じこもる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態。現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一。
(2)早期幼児期に発生する精神発達障害。対人関係における孤立、言語発達の異常、特定の状態や物への固着などを示す。早期幼児自閉症。
はじめまして。未診断・自称アスペの者です。
いつもROMさせていただいてます。
私もたまたま問題のシーンを見ていて、「?」と思いました。
ただ、以前読んだ自閉症関連の本の中に、広辞苑には自閉症の説明として、
1.発達障害の一種
2.(健常者が一時的に)他者に心を閉ざしている状態
という二つが載っているという文章を見た覚えがあります。(広辞苑も手元にないので、うろ覚えの話で、申し訳ありません。)
おそらく、発言者本人は1の意味があることを知らずに、2の意味としてこの言葉を使ったのだと思われます。そして、観客の中には1の意味を知っている人もいたでしょうが、「笑っていいとも」の観客は日本一迎合的な体質なので(私の印象です)、冗談を言っているようだから笑ってあげようということになったのだと思います。これが冗談として成り立つのは、「人前に出たがるはずの俳優」と2の意味の落差ですよね。
世間の皆さんの認識はこの程度のものなのでしょう。
あの番組の会場アンケートで、「アスペルガー症候群という言葉を知っている人
スイッチオン!」とやったら、どうなるんでしょう?
シンタロウさん wrote:
>>LD Kids & Teens
>>
>> http://www.todoplan.co.jp/LD/
>>
>> http://www.todoplan.co.jp/LD/new/keii.html
>>
>> http://www.todoplan.co.jp/LD/txt/no_4.html
>>
>> http://www.todoplan.co.jp/LD/letter/index.html
>>
>>特定非営利活動法人Edge
>>
>> http://www.npo-edge.jp/
>
>
> もし参考に良ければと思ってURLをリンクしましたので。(文章を書くのが苦手な僕がリンクしたので果たして参考になるのか心配(;−−))
今日はもう時間がないので、ひとまずお礼を言っておきます。どうもありがとう。とはいえ私にも、理数方面にLDがあるはずなんだよな。
だいぶ色んなのが入り込んで来るようになってきたなと、思う今日この頃なのだが。
例のブラクラ書き込み者は、「テスト」と表記していた。これは、荒らし行為に対する、この掲示板の管理人氏の「対応強度」(ここの板が荒らし行為にとって好適な環境であるかどうかを)を試してみたという、いわば「顔見せ」のつもりなのだろうが。つまりこれからも訪れさせていただきますよ、という。
ここへ荒らし目的でやってくる人物というのは、おそらく2なんとかいうサイトの影響を、色濃く受けている者たちなのだろうというのが、大勢の判断ではないかという気がする。
とはいえ「だから2ちゃんねるは困るのだ」という発想は、ひとまず止めておこうと思う。もし、製作者は製作者で、「当サイトに出入りすることによって発生した、一切のトラブルについては、責任を負いません」と、トップページに断り書きをしていた(私自身はあのサイトそのものを覗いたことがないので、知らないのだが)とすれば、見上げた集団主義だと、恐れ入る他ないのだけれども。
そしていくら2なんたらに非難が集中したところで、名誉が貶められるのは荒らし連中ではないのだ。すべての責任はあのサイトの製作者に帰されるのであって、自分らは一切、尻尾をつかまれずに済むに決まっている、というのが、彼らの意識だ。見上げた集団主義だと、恐れ入る他ない。
これは、有名な心理実験の結果が示しているように、「トップが責任を引き受けてくれるというなら、自分たちはどんなことでもやれる」という意識への、易変性を意味している。ライヒマン実験では、言われるままに対象に電撃を与えた被験者は、その後深いトラウマに苦しむことになったという結果も出ているが、それは、繰り返しになるが、自己の露出を最小限に抑える(たとえ出しても実験を行う者の言いなりになった=すべてオリジナルのコピペをした―にすぎない)ことで、あらゆる精神の葛藤から逃れることができると信じているからでもある。つまりは「小悪」である。真の悪を目指すなら、それこそ傷つけようとした対象ばかりか自分の人生ですらメチャクチャになるであろうことを覚悟しなければ、まず成功しない。
たとえ「今回はブラウザ・クラッシャーであることを明かしましたけれど、次以降はどんどん巧妙になってまいりますよ」という「ほのめかし」的気分が、彼にあったとしても、「開けてびっくり玉手箱」からは、荒らし特有の「死臭」が、そこはかとなく漂っていて、こちらはすぐに気付いてしまう。あの臭いというのは、彼自身の「精神臭」とでも呼ぶべきものなのであろう。
荒らし行為に対して、削除を求めるというのは非常に簡単だ。
しかし、一体彼という人間を作り上げたことそれ自体に対する、「責任」は、どこへ帰ってゆくのであろうか。
りる さんwrote:
>
>「その俳優はごく普通の人としてメディアに露出している→その俳優が自閉症かもしれない」という「認識のズレ」が笑いを生んだのだろうか?
普通の人のはずが、自閉症だったという認識のズレが笑いを呼んだのだと思います。そして、番組の性質上、あまり深く物事を考えないで、お笑いになれば良いという雰囲気が流れていたのではないでしょうか?
自閉症のことを笑ってもいいということではなかったのだと思います。(番組観ていませんが。)
良識のある人は、人の障害をさげすまないものです。もっともそんな人ばかりではないという反論はあると思いますが。その番組に参加していて、笑った人たちももっと違う場所で自閉症の方達に接していたら、気を使ったり、思いやりのある配慮を示した人が大半だったのでは?と思います。
Maria wrote:
> ウィリアムズ症候群(Williams syndrome)という病気があります。
>
>・妖精(Gnome)様顔貌
> 小さく反りかえった鼻、ふくれた目、楕円形の耳、小さな顎によって強調される唇がいっぱいに伸びた大きな口。
>
この前、ウィリアムズ症候群と思しき女性がTVCMに出てたけど正直言ってキモイ・・・・・・・・・・・・・・・
ウィリアムズ症候群(Williams syndrome)という病気があります。
1961年に、ニュージーランドの心臓医ウィリアムズ(J. C. P. Williams)が、「小児患者の一部に、共通した多くの特徴がみられる」と報告されてから知られるようになった。先天性の疾患で、発生率は約二万人に一人。第7染色体の一部が僅かに欠損しているのが特徴。
主症状は心雑音と主要血管の狭窄。なかでも大動脈弁の収縮による大動脈弁上狭窄症(supravalvular aortic stenosis; SVAS)を患っていることが多かった。
これ以外の特徴としては、以下のようなものがあった。
・妖精(Gnome)様顔貌
小さく反りかえった鼻、ふくれた目、楕円形の耳、小さな顎によって強調される唇がいっぱいに伸びた大きな口。
・発達障害
乳児期に食物を摂ることが困難。胃痛・便秘・ヘルニアなどに悩まされる。眠りが浅く、過剰なほど周囲の刺激に反応する。これらの反応は、ウィリアムズ症候群のひとつの顕著な兆候である血中カルシウム量の上昇によって引き起こされることもある。
子供たちは成長するにつれ、枯れたような声を発し、肉体的にも精神的にも発達障害を示す。平均21か月ぐらいで歩きはじめ、つま先立ちのような歩きかたをする。たいていの場合、生涯そのぎこちなさが残り、繊細な運動機能も損なわれている。
さらに、雑音に対して過剰な反応を示すほか、しばしば同年代の健常者より背が低く、年齢のわりに老けてみえる。例えば、白髪まじりで、若くしてしわができることがある。
しばしば音楽に豊かな感性を示し、驚異的な音楽の能力を発揮する人も少なくない。たいていの作業には短時間しか集中力を持続できないのに、音楽を聞いたり歌ったり楽器を弾こうとする場合には、多くの人が驚異的な持続力を発揮する。ほとんどの人は楽譜を読めないが、ある人々はほぼ完璧な音感と超人的とも言えるリズム感を身につけている。
IQは低く、40から100まで幅があるが、平均は60。しかし、IQが低いにもかかわらず、語彙は精神年齢から期待される以上に豊富で、健常な子供よりも豊かな表現力を発揮する傾向がみられた。絵から物語を創作する課題では、ダウン症の子供が一般に低い成績しか上げられないのに対し、ウィリアムズ症候群の子供は、しばしばよく構造化された物語を創作することができた。
また、青年期の患者を対象に
YYYYYYYYYY
YYYYYYYYYYYYY
YYYY YYYY
YYYY YYYY
YYYY YYYY
YYYY YYYY
YYYYYYYYYYYYY
YYYYYYYYYY
のような画像を記憶し再現させると、ダウン症の場合は全体の形(‘D’)は記憶しているが細部を無視する傾向にあり、ウィリアムズ症候群患者の場合は細部(‘Y’)に注目する傾向があった。
ウィリアムズ症候群の人々は、全体として誠実で信用でき世話好きである。そして非常に他人の気持を思いやる人々である。IQこそ低いものの、たいていは鮮烈な話術を駆使し、時として音楽の才能を示す。また、何事も秩序正しく予測が立たないと気がすまず、毎日決まりきった日課を守り、予定もしっかり守る(!)。
なんだか他人事ではなさそうなので、調査続行中。
(Maria)
昨日から書き込みまくっているので、当然レスもたくさんついて、
興味深い話ばかりなのでまたひとつひとつレスしていきたいのだけれど、
取り急ぎたった今見たもので、提示しておきたい話題があったので。
特に見るでもなくTVをフジ系に合わせてをつけっぱなしにしていたら、
今日のゲスト(名前忘れた…松方弘樹のお友達。なんかそのへん。梅宮辰夫ではない)が、ゲストトークのところで、
「自分は松方とかと違って釣りとか料理とか趣味らしい趣味はなく、余暇にやることはすべて仕事(俳優業)関連で、映画を見るくらい」という話に続けて、
「(以上述べたように、外に出るような趣味がないから)自閉症かもしんない」と言ったのです。(細かい表現は違うかもしれない)
タモリの反応は見そこねたが、観客は通常の笑いと同じように笑っていた。
案の定少し後に「番組中不適当な発言がありましたことをお詫びします」というテロップが出て、ああアレのことだな、と思ったのですが。
観客は、なぜ笑ったのだろう?
近年は「障害者差別はいけない」とかのスローガンも多少は浸透している(と私は認識している。それが逆差別になることも多いと思うが)ので、通常、障害関連の話題がギャグとして出された場合(いまだに誤解や偏見の上に立ったものであるケースが多いと思うのだが)、最終的に笑いが起きるとしても、「笑っていいのだろうか?」といったような、微妙な気まずい雰囲気がそこに生じる場合が多いと認識していた。
しかし今日の観客の笑いは、あの番組中で通常起きる笑いと、少なくとも私にはまったく区別がつかなかった。
私は、「笑い」とは「認識のズレ」によって生じるものと思っている。
イメージのズレ、予想のズレ等。
それだけではないなら、あの笑いはいったいなんだったのだろう?
「その俳優はごく普通の人としてメディアに露出している→その俳優が自閉症かもしれない」という「認識のズレ」が笑いを生んだのだろうか?
それとも、「自閉症である」ということは、「おかしい(笑える)ことなのだろうか?」
または、観客の大方には自閉症について(様々な微妙な問題を含んでいるということすら)知識がなく、単に何も考えずに袖のADの合図に従っただけなのだろうか?(こういう発言を受けてADが積極的に「笑え」という合図を送ったとするなら、そのADも同類の知識不足なのだろうが)
それとも、「基本的に笑う」番組だから、やはり何も考えず、ただ雰囲気に流されて?
地域のミニコミ紙が記事中で「自閉症気味になっていたお年よりが、あるセラピーの効果で笑顔や会話を取り戻し…」という表現をしたときに、私は「自閉症というのは先天的障害であって『なる』ものではありません」と編集部に通知したことがあった。他にもそういったアクションを起こした人がいたとみえて、その後の号に訂正が掲載されたが、「どの表現のどこがどう間違いだったのか」についての詳細な記述はなかった。
こういう誤解が存在することや、何がどう誤解なのか検証し啓蒙する努力もないのはまだまだ問題だと思うが、
観客は、なぜ笑ったのだろう?
そこがわかんないんだ。
ふれさんwrote:
> この話、私は笑いころげてしまいました。りるさんて面白いひとですね。
>タコに理性があったら、そうかもしれないと思いましたけど。魚は食べてよいものであることが、聖書に書かれていたので気になりません。
魚屋で売っていれば魚というわけでしょうか。私にはタコさんは魚類には見えません。ギリシャなどを除いてキリスト教徒にはタコが悪魔に見えるので食べないなどと聞いたこともあります。
>わたしは私、こんな趣味が大好き、こんな食べ物も、ってな調子で自分の感性を大事にしていくと、だんだん明るくなります。( No.14309 )
これがクリスチャンなのですね。自分が明るくなることにだけ救いを感じる。
仏教徒は,ふれさんとは逆に執着心を恥じます。自分が明るくなることで,人が傷つくことを怖れて気遣います。
「畏れのようなもの」を感じるりるさんはごくまともだと感じます
そのりるさんは,健常者ではなくてアスペですと名のっているのです。 ( No.14302 )
粗雑な分類に頼り,人の痛みを笑い飛ばしてかまわないと思える神経が差別の本質であり,障碍者の敵なのだと思います。明る過ぎる差別的感性が,私は大嫌いなのです。
りる wrote:
>国外逃亡、正直、うらやましいです…。
>ただ、「今の生活環境がガラッと変わる(自ら敢えて変える)」ことは今の私には受け入れがたい。
>何らかのきっかけでやむなくそういう事態になれば別ですが、
>今のところ現実的には「パートナーについていく」というシチュエーションしか想像がつかないのですね(^_^;)
>(仕事をしに行くとなると、私ができる分野では、今以上にコミュニケート行動を取らなくてはいけない…)
>で、その「パートナーを持つ」という問題でつまづいているというわけです。
難しいですね。
私はマニュアル化された「現地ガイド」の限定コミュニケーション術で右も左もわからない観光客を自分のペースに巻きこんで楽しんでもらうという仕事が自分に向いていて助かっています。
自分のできる分野に自分の苦手がある りるさんの状況はホント大変ですね。
職場の理解を求める必要がありますが・・・。
コミュニケーションですが、上手にやろうと思う必要はないのでは。
私は雇用者に対して一度爆発しましたが、かえって理解を深めてもらう結果が出たこともあります。相手次第ですね。
パートナーに対しても、「自分を自分のやり方で表現する」時と、「相手について理解してみる」時間を区切って話し合いをすることはできないでしょうか。
相手の性格にもよりますが、私はこのやり方で主人とのズレを修復してきました。
時間はかかるけど、個々の性格とか感性とかは変えられないのですから、根気よくやっていくしかないですよね。
そこで相手や自分をあまり変えることなく「受容できるか」相手が自分を理解できるまで「待てるか」自分自身はとりあえず置いておいて「歩み寄れるか」というのが「愛」を持続させていく鍵ではないかと。
「御大切」・・・いい言葉ですね。常に「あなたは私の一番大切な人」というメッセージを自分なりに送り続けていくことが大切なのではないでしょうか。
異民族・異国籍間の結婚はもちろんそうですが、一般の子育てもまず相手を受容し、相手の人格を尊重することから始めないと、長続きしません。
そういう意味では「脳の構造が違う」アスペルガー人と大多数の普通人との恋愛も相手の違いを受け入れて、お互いに尊重し合った上で歩み寄れないと、いつまでも平行線のまま悲劇に終わってしまうのではないでしょうか。
蛇足ですが、私は「健常者」という言葉が嫌いです。ふさわしくない表現と思います。
私を変人扱いしてのけものにし、嘲笑った人々のどこが「健やか」な人種だったのか。個々のあり方を尊ぶということのできない世間の人々が「健やか」であるはずがありません。
「その他大勢者」で充分です。
>で、「タコに理性があるか否か」ということなのですが、
>私の知る限りですが、「タコに理性(知性)はない」という証明はされていませんよね。
Mariaさんが書いておられるように、タコはネジ式びんを開けられるし、入れ子になっている器を最後まで開けていって、一番小さい容器から中身を取り出すこともできます。
人間より早くできるタコもいます。
理性があるかどうかはともかく、物事を順序立てて理解し学習する能力はあることになりますね。
うちには山羊がいますが、自分の家の山羊は食べないけど、狩りのおみやげでもらった山羊の肉は食べます(子山羊が特においしい)
でも自分の家で生まれた子山羊は食べないだろうな。
これは人間の言うところの「理性」ではないでしょうか。
未開地の食人種だって、自分の一族は食べない。敵の部族を食べる。
そういうわけで、そこにも「共食い(同族)」はしないという理性が働いている。
>「ヒトと同じような知性はない」と、(あくまで)ヒトの方法で証明されてはいるかもしれませんが。
同じ言葉を持ち、同じ感性を持って表現しないというだけで、知性があるかないかを論じる人間の「知性」がおかしいのでしょう。
>母親の仕事の関係で、ダウン症や脳性麻痺やカナータイプの自閉症や、重い知的障害を持つ方(子ども)に初めて接したとき
>そういう方々が一般的に社会の中で低く見られる傾向にあるというのは知っていましたし、その場でも感じました。
言葉の壁があるとそれを強く感じます。私がうまく英語で表現できなかったり、知らない単語でつまずいたり、相手の言ったことが理解できなくて考え込んでいたりすると、あからさまに人を低脳扱いする人もいます。
そうした人の多くは、自分が「英語しか」しゃべれなくて、非英語圏に行ったら、同じように「自分の言いたいことも満足に言えず、相手の言葉もわからない馬鹿」に見えるということに思い至らないのですね。
主人は私の発音がおかしいので、「言語障害者みたいだ」なんてことを言ったりもしてくれます。
若い人で、外国人の発音に慣れていない人は本当に失礼な態度をとってくれます。
私にも自分たちと同じレベルの感性や知性があるということを忘れて、犬か猫でも追い払うような気持ちになるのでしょうね。
同じ言葉を同じ発音で話さないというだけで。
仕事でも、いつもは必要な英語だけで物静かに仕事している私が、通訳などして早口で日本語をしゃべり、相手を笑わせたり、交渉をスムーズに進めたりするのを見て、本当にびっくりされたりします。
(↑アスペにこんなことができないと思ってはいけません。訓練ですね。
でも日本人が私一人だけなのでできるんです。
他に「普通」の日本人スタッフがいたらすぐ負けます。
自分のペースでないといけないという点ではやはりアスペ寄りです)
馬鹿だと思っているわけではないのでしょうが、やはり、自分の理解できる範囲でしか「異種」な人々を推し量ることができないのでしょう。
だから、障害者であれ、外国人であれ、あるいは小さな子供であれ、(人間以外の動物も含むかも)自分を表現できるすべを持たない相手に知性や感性がないと思ってしまう「普通」とか「健常」と呼ばれる人種が一番低い感性を持っているのではないでしょうか。
だから高機能自閉症の診断リストに「想像力にかける」があるのは、はなはだ心外です。想像力がないのはどっちだ?
やんちゃん wrote:
>自分解釈です。あまり本気にしないでください。
>
>愛→大切にすること →理性的な「御大切」
>恋→欲しがること・煩悩
>性欲→生理的なもの →生殖本能からくる「衝動的なもの」
>
愛についての説明をしているところが聖書にあるので、引用します。
@コリント第一13章4節〜8節
「愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思いあがらず、みだ りなふるまいをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいらだちません。傷つけ られてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。す べての事に耐え、すべての事を希望し、すべての事を忍耐します。愛は決して絶 えません。」
聖書においては、愛とは、人の魂の純化した幸福な状態、希望と忍耐を伴う霊性のよく整えられた状態のことを云っています。親切でもあると云ってますから、「大切にすること」でももちろんよいわけです。
タマ さんwrote:
>今日、教授から、私の話し方がおかしいと言われました。
>私は、先生たちや、苦手な人と話すとき、つい「そうですね」と言う言葉を乱用してしまう癖があるのです。
>なんと答えていいかわからないから、ただ、「聞いてますよ」と言うことをアピールしたくて、「そうですね」と言ってしまいます。その「そうですね」は、私にとっては同意の意味があります。
いつも同じ返事の仕方は、相手に不自然さを感じさせることがあります。少し変化のある対応を心がけてみましょう。
@「えぇ。」
@「はい。」
@(何も言わずに)うなずく。(相手の胸元を見るような感じで。ASの人は
視線苦手の人いるから。)
@「まぁ。そうなんですか?」(意外なことを云われたとき)
聞いてますよ、ということを示す返事は色々ありますから、自分で状況を想定して、どう云う台詞がいいか、準備しましょう。友達と目上の人で多少違ってきますよね。良いお手本になる人の真似をしてみるのも、良いかと思います。
雑魚亭BBS、復活。新しいURLは
http://joshya.hp.infoseek.co.jp/bbs/
です。
さて。
タマさん wrote:
> 私は、先生たちや、苦手な人と話すとき、つい「そうですね」と言う言葉を乱用してしまう癖があるのです。
> なんと答えていいかわからないから、ただ、「聞いてますよ」と言うことをアピールしたくて、「そうですね」と言ってしまいます。その「そうですね」は、私にとっては同意の意味があります。
> でも、教授の考えによると、「そうですね」は同意の意味ではないらしいのです。「あなたと同じくらい、私もそれについての知識がありますよ」という意味になってしまうので、自分の知らないことを教えてもらっているときに、「そうですね」はおかしいらしいのです。でも、私にはそれがよく分かりません。分ったとしても、ほかに何と言えばいいのかわかりません。教授によると「そうですか」というのが正しいそうです。でも、私の感覚では、「そうですか」と言うのは「そうですか?」と混同しやすく、相手の意見が意外だったり、気に入らなかったりするときに、使う言葉なのです。
「新しいURLは、“http://joshya.hp.infoseek.co.jp/bbs/”です」
「そうですね」
「……?」
ということには、なりますわね。この場合は、
「わかりました」「了解しました」
が、自然。つまり、「新しい知識」に関しては、「そうですね」は不自然。だから、「知識として新しいこと」に対する「そうですね」は、「同意」ではなく「私もそれについての知識がありますよ」という意味になってしまいます。
「鏡に映った場合、『左右が逆になる』というより、『前後が逆になる』わけです」
「そうですね。わかります。」
は、自然。「知識としては新しくないが、見識として新しい」ことに対する「そうですね」は「同意」。
「『雑魚亭』は、URLが変わっただろ?」
「そうですか!」
は、「新しい知識」なのだけれど、「付け加わった」のではなく「変化した」ので、「同意」。「そうですね」だと、やっぱり「私もそれについての知識がありますよ」という意味。
だけど、「そうです」というのは、本来目上の人に使う言葉ではありません。「そう」は連用形で、「です」の前には名詞がくるはずですから、そこに何かの省略があるわけで、敬語というのはたいてい省略を許さないものですから。ですから、「そうなんですか」「そういうことですか」といったことになります。
なお、「そうなんですか」には、確かに「意外だ」というニュアンスがあります。
「そもそも焼肉というのは、冬の喰いモンなんだってね」
「そうなんですか。」(「そうだったんですか」)
「ああ。あれは身体を温めるために喰うんだそうだ。」
こんなふうに、言ってるほうも「意外」という含みがあって言っている場合には、こっちも「意外」であってぜんぜん失礼ではありません。
(Maria)
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