アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
義務教育(小学校・中学校)の普通学級で用いている、社会科の教科書には、養護学校や特殊学級のことって、どれくらい触れられている(触れられていた)のかな??
なんか、あんま…なかったような気がするけど…
ひま人さん wrote:
>いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
変な事が気になりました。ごめんなさい。
「雑誌」って、そんな簡単に、『論争』の場を、提供してくださるのですか?
それとも、その筋の、お知り合いが、いらっしゃるという事なのでしょうか。
タレイヌは、まーったく、その関係筋とは無縁で、過ごしてきているものですから、ちょっと、気になってしまいました。世間知らずで、すみません。
それと、もうひとつ。論点は、どこなんですか?
異論がなくて、論争をするというのは、どういうことなんだろうか???(謎!)
ただ、MOTOさんの文体はともかく、人間関係というのは、見えている現象に引きずられて対応してしまうと、大体破綻します。何でかしらないけれど、表面から、1枚入りこんだところで思考し、行動すると、結果として何とかつじつまが合うように、思っているAS的?タレイヌ。そう意味で、MOTOさんが、言わんとしていることは、タレイヌに良く伝わってきます。
「孤独」というものを知らないままで、現象の表面を1枚剥がす作業は、できないと思います。自分が孤独になれるひとだからこそ、他者の孤独も理解できるし、スキルとして表現可能なのだと思っています。それ以前に「孤独」を恐れる人には、分析的なスキルを使える場面が、すでに持ち得ないことになっているのだと思うのでした。
(きまぐれタレイヌ)
ひま人さん
> あんたも孤独だねー。
たしか『「無責任」の構造』(たしか講談社現代新書だと思った)という本だったと思うが、「属人的態度」と「属事的態度」という区分があった。これは相手の行動の原因を人間に帰属させるか事物に帰属させるかという話である。「組織においては属人的態度が集団的無責任の温床となる」というのが先の本の主張なのだが、これは属人的態度が理性的な話し合いを邪魔するからだそうだ。確かに「反革命分子」だとか「親日派」だとか「資本主義の走狗」だとか言うとる国(どのレッテルがどこ製かは各自判断してくれい)では理性的な議論もしにくかろう(^_^;)。
そんなわけで、相手の発言の動機を「友達が少ないから」とか「女にもてないから」とか「苦労をしたことがないから」とか「人間としての優しさに欠けているから」とかいった理由に帰属させるというのは……まあ、思っててもあんまり言わんことです。喧嘩になるから(^_^;)。もちろん口喧嘩で相手をやりこめるときには有効な手段であることは大いに認めるし、私も得意だしとても好きなんですがね、あまり上品なやり口ではありません(-_-!)。
> いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
『雑魚亭』(http://joshya.hp.infoseek.co.jp)には以前は掲示板がひとつしかなかったので、『発達障害相互支援ネットワーク』の掲示板との共用であった。したがってあんまりエグい論争もできなかったのだが、このたびめでたく『雑魚亭』のみの掲示板が開設の運びとなった。ただし、オリジナルの『雑魚亭』はメッセージ最大長8KBの制限だったのが新・『雑魚亭』は2KBしかなく、やや喰い足りない感は否めない。まあ、分けて書きゃあいいのだが、いささか文章のリズムが損なわれるのが難だな。
そんなわけで、場所は用意してある。いつでもどうぞ。
(Mr.Moto)
今朝、寝坊して学校へ行く気が失せた娘を午後、学校へ連れていった。
こっちの学校はそうなのか、5歳児(0年生)クラスだからなのか、書き取りの自習時間は課題を済ませた子は遊んでいるし、先生は子供たちの間で個別に教えているのでにぎやかだ。
ふと見ると高機能自閉症のR君が黒板と白板のイーゼルに昇って立っていた。
うちの娘たちも高いところに登りたがって困るが、さすがに授業中はやらないだろう(と思う)。
この辺が普通と「障害」の境界線なのだろうか。
あとで娘に聞くと男の子達は1度は登るものらしい。
それにしてもR君は可愛い。
Mr.Moto wrote:
> 対人スキルの基本に、「相手をコントロールしようとする人間は嫌われる」というのがある。これは逆にいうと、「感化されたい場合を除き、人間は自分の行動を変える動機を他人に帰属させたがらない」ということである。
(中略)
> 「甘い顔を見せれば、相手はつけあがる一方だ」とか思っている奴には、誰も変えることはできない。もちろんそういう奴もいるだろうが、「お化けは出てから退治しろ」というのが工学の教えるところである。ひょっとしたら、お化けを生んでいるのはあなたの心かもしれない。
>
べつに異論はないのですが、このような批評的なスタイルでの記述における、どこかに仮想の対を設置して記述するということをしても、なんかあんまり反応がないようで・・・悪口を言って申し訳ないが、Mr.motoさんも孤独な人間なのかな?
いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
シペラスさんも書いておられますが、本日からの「にんげんゆうゆう」のこと、
そして、「これからの特別支援教育」について書き込みをせていただきます。
NHK教育TV『にんげんゆうゆう』では本日から4日間、以下が放映されます。
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・11月 4日(月) 小学校入学を前に
・11月 5日(火) 「通級」を上手に利用する
・11月 6日(水) 普通学級でできること
・11月 7日(木) 学校の外での学習支援
----------------------------------------------
毎晩、午後7:30〜7:59/再放送:(火〜金)午後1:05〜1:34
http://www.nhk.or.jp/yy/
↑このHPの最上段中央にある「番組表」のアイコンをクリックし、次に、
11月第1週 シリーズ「軽度発達障害の子どもを支える」 のところを
クリックすると、4日から7日の放映の内容についても出てきます。
予告では、「違いを認め合う教育を〜軽度発達障害と学校教育〜」
が仮タイトルとなっておりましたが、この「軽度発達障害」という用語を
別の用語に置き換える可能性があるという話も聞いておりました。
実際、本日の新聞のTV番組欄には、「ADHD・LD・高機能自閉症の
教育支援」となっておりました。
この番組とも関連することですが、文部科学省のホームページの
「パブリックコメント・意見募集」欄に、小・中学校等でのADHD、
高機能自閉症(およびアスペルガー症候群)等の児童生徒への
特別支援教育に関する試案(判断基準や配慮事項)が掲載されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004d.htm
また、「個別の教育支援計画」に関する試案については↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004b.htm
全国実態調査の調査結果とその質問項目については↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004c.htm
今後の特別支援教育の在り方について(中間まとめ)の概要は↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004g.htm
また、「今後の特別支援教育の在り方について(中間まとめ)」の
目次および本文については、少々、長いですが、↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004a.htm
に掲載されています。ご意見の提出期限は、11月25日(必着)
で、提出方法は、「郵便・電子メールで」と記載されています。↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004.htm
上記のTV番組は、このこととも関連する放映です。
以上、関係者のかたがたにお知らせいただければ幸いです。
シペラス wrote:
>明日4日から三日間、NHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」で、軽度発達障害児の学校教育についてとりあげるようです!
おおそんな番組がっ!情報ありがとう。
http://www.nhk.or.jp/yy/
放送は月〜木の19:30- ですね。
対人スキルの基本に、「相手をコントロールしようとする人間は嫌われる」というのがある。これは逆にいうと、「感化されたい場合を除き、人間は自分の行動を変える動機を他人に帰属させたがらない」ということである。
したがって、ガミガミ言ったら相手が行動を変えた場合、「自分が言ったから相手が行動を変えた」と思ったら大間違い。相手は単にあなたのことを「話の通じない相手」だと思っただけである可能性が高い。下手をすると、今後『あなたに言われたから態度を改めた』と思われたくないから言えば言うほどその行動に固執する、という事態だって起こりうるのだ。で、あなたは「ガミガミ言えば相手は言う通りにする」と思っているから、「なぜ言っても聞かないのだ」とかいって怒ったりするわけで、こういうのを関係障害というのである。
他人が見て「問題だ」と思う行動は、本人だって問題だと思っているのである。その問題がいちばん切実なのは本人であって、いちばん変えたいと思っているのも本人だ。
すべての助言は無駄であると知るべし。言って分からん奴には言っても分からんし、言って分かる奴は自分でもうすうす気づいているのだ。助言は単なるきっかけにしか過ぎない。自分を変えるのはつねに自分なのである。
なお、「頑張りすぎるな」とかいった助言は真に頑張りすぎてはならない奴には届かず、本当は頑張んなきゃいけない奴が「確かにそうだ」とか思ってしまうのが世の中である。
相手を変えるコツは自分を変えることにある。最初に、自分がどれだけ相手のために変われるかを示すことが、相手を変えるもっとも有効な手段である。
「甘い顔を見せれば、相手はつけあがる一方だ」とか思っている奴には、誰も変えることはできない。もちろんそういう奴もいるだろうが、「お化けは出てから退治しろ」というのが工学の教えるところである。ひょっとしたら、お化けを生んでいるのはあなたの心かもしれない。
(Mr.Moto)
明日4日から三日間、NHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」で、軽度発達障害児の学校教育についてとりあげるようです!
皆さんで見てみましょう!!
ヒカリさん wrote:
> 今更……なことかもしれないんですが、パニックや癇癪って実際にはどのような行動を指すのでしょうか。
> 検索して調べてみたのですが、人によって多少解釈が違うようですし……。
じつは、「パニック」と「パニック障害」、一般的な意味の「癇癪」と医学上の「癇癪(「かんしゃく」とひらがな書きすることが多い)」は別なものなのですよ。
「パニック」というのは「牧神(Pan)」が語源で、「(日常を逸脱した)狂躁状態」から「恐慌状態」という意味に使われるようになりました。で、災害研究の世界では「災害時に、集団的に起きる、判断力を喪失した暴走状態」を指すこともありますし、個人についての錯乱・混乱・惑乱・茫然自失・狂躁状態を指すこともあります。
ところが、あたしたちA-Typeの人間が通常言うところの「パニック」というのは「パニック障害の発作」ことで、電車に乗っているときとかに突然理由なく起きる(強度の不安を伴う)恐慌状態(不安発作)のことをいいます。
また、「癇癪」の「癇」というのは「癲癇」などの「ひきつけ(突然倒れて口から泡を吹く状態。「癇風」ともいう)」のことで、「癪」というのは「さしこみ」(胃痙攣や狭心症などによる、突然の痛み)のことをいい、いずれにせよ「原因が内部にある(あるいは外部にない)突然の発作」が「癇癪」なわけです。子供の「癇の虫」というのも、お腹が空いたわけでもなくおしめが濡れているわけでもないのに大泣きして泣き止まない、「原因不明の不機嫌」を言います。
そんなわけで、「原因不明の(おそらく内因性の)強い不安による恐慌発作(しばしば悪寒・動悸・呼吸困難・めまい・混乱・焦燥感などを伴う)」が「パニック障害発作
」であり、「原因不明の(おそらく内因性の)強い怒りの発作」が「癇癪」ということになると思います。
(Maria)
J子 wrote:
>最後に…私はガキだし、考え方も幼稚だけども、子供は子供なりに考え、学び、悩み、大人じゃできないこともする。子供は傷つきやすいけど、自分からわざわざ傷つくようなことをする。好奇心の塊なんだと思う。そして傷ついて悩んで泣いて、どんどん成長していくんだと思う。
>私もまだまだ子供で学ぶこともたくさんある。そんな中でこういう病気の人にめぐり合ったってことは自分を高めるうえでは結構得してるのかも。視野が広がって
>こんな経験をした人じゃないとできないことがきっと将来見つかるのかもしれない。そんなことを楽しみに広い心をはぐくんでいけたらいいと思う。
最初にあなたの書きこみをみたときから、何かレスをつけたかったのだけど、
色々考えちゃって結局出来ないままにしちゃいました。
今度のあなたのここの書きこみを読んで、やっぱり本当にまじめないいこだなぁって感動しています。
がんばらなくちゃ、と書いているけど、あなたは十分がんばってるよと
私は言いたいです。
人間だから我慢の限界が来るときもあるけど、思いやりとの両天秤に
揺れているあなたの心が、最初の書きこみの中にも感じられました。
自分のことをガキだと思えるあなたは立派な大人の心をもっていると
私は思うし、尊敬しています。
今更・・・なことかもしれないんですが、パニックや癇癪って実際にはどのような行動を指すのでしょうか。
検索して調べてみたのですが、人によって多少解釈が違うようですし・・・。
弟は私が見る限りASだと思われるのですが、まだ小さい頃(中学生くらいまで)は叱られたりイヤなことがあったりするといきなり泣き出して、それからなだめてもずーーーっと泣いていて、ときには吐いてしまうくらい激しく泣いていたんです。
ほかに、小学生の頃に弟が何度も同じダジャレ(こだわり?)を言っていて、それを私が「うるさいからやめて」と言ったら、壁に頭を打ち付け始めてしまったこともありました。
こういうのってパニックor癇癪?
また、私が小1のとき、給食の時間になるとほぼ毎日泣いていました。
給食を担任にムリヤリ食べさせられて、吐いてしまったこともありました。
一番ひどかったときは給食に魚が出てきたときで、骨がひっかかって苦しくて、ずっとずっと泣いていた記憶があります。
自分でも、何故あんなに泣いていたのかわからないのですが、これも癇癪のうちに入るんでしょうか。
自分で泣き虫だということは自覚していて、小学生の頃はいじめやいやがらせで毎日泣いていたと言っても過言でなかったのですが、給食で泣いていた理由はわからない・・・うーん。
ayaさん wrote:
>misplacedさん wrote:
>聞くところによると、母子手帳と通知表があれば望ましいらしいです。
>あと、幼児期の写真にそれらしいもの、例えば
>・モノの一列並べ
>・普通怖がらないようなものを怖がる
>・変わったものに興味を持っている
>
>などがあれば、いい証拠となると思います。
どうもこんばんわ。
あと、親が自分の子を説明するのは医師に問題が伝わりやすいです。
私の場合は、
・人が会話をする時にある、表情の変化などが自分の子からは読み取れない。
→逆に自分の子も周囲の人の表情を含めた会話を分かっていない。
・「あれ・これ・それ」が何を指しているのか分からない。
・話しが噛み合わず何を言おうとしているのか分からない。
・イライラが募りやすい。
・同じ話しを繰り返す。
・片づけ・整理整頓が親から見ると「なっていない。それに必要なものまで
平気で捨ててしまい、覚えていない。」
で、わたしの医師はテストする前から「高い結果がでるほど、逆に負担の幅が
広まるし、星子さんにとっては良くない」と言ってました。
これは「自閉症」に言える特徴的な結果みたいです。
なので、misplacedさんの医者さんの話しは、違うと思う。
わたしも一句(^^)<テレ
(ここはすでに雨アラレ嵐で冬突入ですが・・)
秋空に 走る 綿雲 食べたいな
弾む白い息 手を伸ばす
ははは(^^) 私は昔から食い意地が張ってるようで。
りるさん、misplacedさん、
励ましていただいたと感じています。ありがとうございました。
しゅっちゅう感情的でコントロールを失ってばかりいるわたしですが、misplacedさんの診断を応援しています。いつか自分にも余裕が生まれたら、診断もぎとるために突撃してみてもいいかなーという気分になる日もあります。日々の生活に手一杯で、その気分は瞬く間に消えていくんですけどね。
『アスペルガー的人生』の著者リアンさんの存在には力づけられました。わたしにとっては、ASであろう自分(未診断)とASである自分(診断済)は大差はなくて、立ち向かわなければならない苦労も困難も変わらないだろうと思っています。
初めまして。
昨日、待ちに待った11月を迎えたばかりのあおべかこと申します。
なぜ11月を待ちに待っていたかと言うと、2年間勤めていた職場を10月31付で退職したからです。久々の開放感でいっぱいです。でもこれが初めてではありません。社会人生活16年間で、就職、退職を繰り返してきました。同じ所にとどまった最長期間記録はなんと2年半です。社会人っていう言葉も自分にはしっくりこない気がします。
5年位前に、自閉症の女性(ドナ・ウィリアムズ)が書いた本を読みました。その時、彼女の思考回路というか内面的生活というものが自分のと似てる、とかなりショックを受けました。ショックというのは、え、私って自閉症だったの?というのと、一方で、ある自分をようやく発見したという喜びのような・・。だけど、その時既に30歳を目前にしていた頃で、今更自分は自閉症だった、というのもあまりにも突飛な考えのような気がしました。積極果敢な行動をして浮いてしまうドナと比べて、私は世間的には「おとなしい」タイプの(ある意味、おとなしすぎて得たいの知れない者として浮いていたようです)人間として認知されていると思っていたので、その時浮かんだ考えは却下しました。
今年、アスペルガー症候群の女性の書いた本を立て続けに2冊読みました。「ずっと普通になりたかった」とえーとタイトル忘れちゃいましたが翻訳された方は同じ女性です。それから入門的な専門書も読んでみました。AS関係のHPもあれこれ渡り歩きました。あれあれ私ってASなの?って思いは強まり、簡単には却下出来ませんでした。でもでもやっぱり自分での判断は危険ですよね。診断をしてもらおうかどうしようかと迷いました。今の時点では、どこの医者でも的確な診断をしてもらえるという状況ではなさそうだし(年齢的にも30歳とっくに超えてるし)、とても疑り深い私なので、ASと診断を受けても受けなくても、その診断結果が自分にどう作用するんだろう・・などと。
だけどやっぱり診断受けてみようと思います。
ひょっとしたら胃潰瘍かもしれない、いや胃潰瘍だ、とほぼ決めて病院に行き、胃カメラまで飲んで「何でもありません」と言われた時、会社がいやいやで仕方なくそろそろ辞めたいと思っていた頃でした。会社から逃げたいと思う気持ちから胃カメラまで飲んじゃったんです。別の時には、頭が痛い、物忘れが激しい、これは脳がどうかなってるんじゃないか、と会社を休んで病院に行って、CTスキャンを撮ることになりました。検査結果を聞きに行った時、医者ににっこり笑って「やっぱり何でもありませんでしたよ」と言われました。その時も、会社から、人間関係から逃げ出したいという気持ちが高まってた時でした。普通にずる休みが出来なくて何かの理由付が必要だったんです。ばかですね。
もしかしたら今回も、社会への適応力のない自分に対しての逃げ道、理由付として、私はASなんだと思い込もうとしてるのかもしれません。でもそうでないかもしれない、ともうあれこれ考えるよりは、えいっと飛び込んでみることにします。胃カメラ、CTスキャンにこぎつけた時のように、ええ。
これからしばらくの間は時間がたっぷりあるので、AS関連のセミナーに参加したり、診療機関(病院)を選んで診察してもらいに行ってみたいと思います。
このHPは「アスペルガー」で検索かけると真っ先に出てきますね。が入って読んだのは実は昨日が初めてでした。読んでいるうちに気持ちが楽になってきました。そこでカキコをつらつら長々やっていたら更にすっきりしてきました。
ご拝読ありがとうございました。
シペラス wrote:
>落ち葉掃く 童居たり 校門に
>雲間から 虹星笑う 夜長かな
>干しあがった 布団に頬ずり 小春日和
>
>#たまには、みなさんも一句ひねりませんか。
シベラスさん、はじめまして。
私も一句・・・
人は皆 障害ある、なし
拘わらず
移り行く 紅葉(もみじ)のごとく
錦を飾る
お粗末でした〜 (^^ゞ
対人スキルというのは、「人と上手につきあうための技術」ではない。「本来トラブルを起こさなくてもいい相手とトラブルを起こさないための技術」である。
悪意を持った人間は、相手がトラブルを避けようとする行動を逆手にとって、相手をコントロールしようとする。だから、悪意を持った人間は「自制心がなく、社会通念を無視し、約束を守らない、話し合いのできない人間」には近づかない。そういう人間はコントロールできないからである。悪意を持った人間が犠牲者として選ぶのは、つねに「自制的で、道徳的で、信頼できる、話のわかる人間」である。
「触らぬ神に祟りなし」「三十六計、逃げるに如かず」。これが対人スキルの基本である。「人とつきあわない」「ひきこもる」ことも対人技術の一つである。
(Mr.Moto)
落ち葉掃く 童居たり 校門に
雲間から 虹星笑う 夜長かな
干しあがった 布団に頬ずり 小春日和
#たまには、みなさんも一句ひねりませんか。
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