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Re: 和解プロセスのための対話 16938へのコメント
No.16939  Sat, 26 Apr 2003 06:46:40 +0900  POLINECIA [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:

> たぶんヘーゲルですぞ<POLINECIAの姉御

 「美しいPOLINECIAお姉様」とお・呼・び


Re: 和解プロセスのための対話 16935へのコメント
No.16938  Sat, 26 Apr 2003 06:13:14 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

POLINECIAさん wrote:

> どこぞでこんな話を聞いたことがある。
>「権利は人間関係に対立を持ちこむ」と(誰だったか思いだせん)

 たぶんヘーゲルですぞ<POLINECIAの姉御


Re: 和解プロセスのための対話 16926へのコメント
No.16937  Sat, 26 Apr 2003 06:04:21 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 自助グループに関わっている身としてはちょっと面白い。

POLINECIAさん wrote:

> ところが、俺の経験から言うと、
>ピア・カウンセリングや自助グループの活動を経験すると、
>本来折り合いをつけなければならない相手(敵)との関係はむしろ悪化する。
>似たような価値感を持った連中が多いんで、
>自分の座布団を自分で引き剥がすような自浄機能を持てなくなる場合も多い。

 自助グループ,ピア・カウンセリングの目的って分かりにくいですよね。
本来は類似した問題を抱える人同士の憩いの場のような形ではじまったらし
いのですが、支援組織主催の場合は社会参加のためのステップという位置付
けがなされます。ピア・カウンセリングそのものが目的なのか、あくまで問
題解決のための手段なのかは意見が分かれるところです。ただ、社会に適応
しにくい人を適応しやすいように改造するということが、本人の意志と無関
係に行われていたとしたら、ちょっと問題だと思います。

 次の次元の問題として、それを支援目的で行うべきか否かというのがあり
そうです。ピア・カウンセリング自体は必要だと考える人でも、それを支援
の一環として行うことには反対という人もいます。つまり、純粋に懇親が目
的であり、それ以外の目的にはなじまないという考え方です。これについて
のわたしの意見は段階説です。つまり、問題の当事者(この場合の当事者は
育児の当事者,本人と関わる当事者という意味でもよい)が自分で集まりを
開けるようになっていれば支援の一環として行う必要はなく、自力で集まり
を開ける状態になければ支援の一環として開くのもまた可なりという感じで
す。

 ちなみにわたしが持っている問題意識は次のようなもの。ピア・カウンセ
リング,自助グループというのは基本的には「似た者同士がいい」という発
想なんです。これって「異質なものを排除する」という社会病理とちょっと
だけ似通ってしまうんですよね。自閉発想で言えば、「時と場所さえきちん
と決めておけばそれでいいやん。」という世界なのですが、他に居場所を持
てていない人にとっては有害になる場合もあると思います。

 とりあえず、POLIさんの言う「自分の座布団を引き剥がすような点検
」をちょっとだけやってみました。では


Re: 素朴な疑問 16932へのコメント
No.16936  Sat, 26 Apr 2003 05:11:49 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

saikaさん wrote:
>A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
>
>B 話の内容に注目しますか?

 接客業をやっているせいか、両方に注目します。

>2.相手の話を聞く場合、
>A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
>B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
>
>どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
>また、どちらを望みますか?

 Bの方が理解,共感ともいいです。 


Re: 和解プロセスのための対話 16926へのコメント
No.16935  Sat, 26 Apr 2003 01:07:24 +0900  POLINECIA [この発言にコメントする]

とりあえず、最後の論題でもアップしておくか。

(今までのまとめ)

・非自閉人と自閉人の和解プロセスには、両者が雁首を揃えて話し合う場
は不可欠だ。(ただし和解が必要ねえという奴についてはその限りじゃねえ。)

・しかし、対話をする時に意見対立以前に言語の不一致が原因になって、
話がすれ違う場合も多い。

・意見が『不愉快』ということと『間違っている』ということは、
ひとまず分けて考えていくことをお勧めする。両者を混同した議論は
極めて多い

・自助グループやピアカウンセリング・グループは参加者の癒しにはなるが、
外部の人間との関係をさらに悪化させる場合もある

(最終テーマ)『障害を介在した人間関係』

 どこぞでこんな話を聞いたことがある。
「権利は人間関係に対立を持ちこむ」と(誰だったか思いだせん)
ま、これは「権利」という部分を「人権」と置き換えても意味は通じる。
要するに「権利」とか「人権」ってのは仲良くやっている時には主張されん、
葛藤や対立や利害の不一致が発生した時だけに主張されるってことだ。
「障害」ってのもそれに似ている。
単にそれが欲しかったからという理由で取得する奴もいるが、
大概は「障害者」が周囲の人間と葛藤や利害の対立を引き起こした時に
取得されるもんだ。自己防衛の手段にもなるってところも似ているな。
どちらにしろ、緊張関係が発生した時に取得される訳だから、
見方によっては相手を言い負かすための戦略にもなりうる。
その辺の事情も「人権」なんかとよく似ていると言える。
(この場合も単に診断が欲しかったという奴は除外される)
俺は生きるために障害者はあるゆる戦略を持たねばならんと考えているので、
そういう戦略を身につけることはそれなりに重要だと思っている。
特に公(子供だったら学校,大人だったら職場)と呼ばれるような空間では、
不可欠だろうな。

やっかいなのは家族関係の場合だ。
家族関係の葛藤が原因で診断を取得したとしよう。
その際、家族が「甘ったれるな」とか言ってきた場合は、
そもそもこの戦略は失敗だ。別の意味で問題はねえ。(いいのか、それで?)
むしろやっかいなのはある一定の理解を示してきた時だ。
基本的に俺は家族に対しては「俺に迷惑にかけない限りにおいて、
大切にする」というスタンスを取っているし、
家族も俺に対して同じスタンスで接していて、うまく共存している。
うまく共存できなくなれば別れりゃいい、それだけのことだ。
だが、相手が障害を受容して共存しようとする時、
その相手は非常にやっかいな葛藤を抱え込むことになる。
それが人権機能としての診断という訳だ。
相手に落ち度がある時にそれが障害のせいかもしれないと思って、
抗議することを躊躇したり、
はっきりと相手に意見を言うことが差別につながるんじゃねえか、
という不安を抱えちまう家族も多いみてえだな。
診断がプライベートな世界に持ち込まれちまうと、
どう関わりゃあいいのか分からなくなっちまうという奴も多い。
少なくとも「遠慮なく」とか「自然体の」という形容がつくような
関係を作りあげることは難しくなっちまうらしい。
「障害のことを理解しなくては」「受け入れよう」
と思っている家族(パートナーも含む)ほどこの泥沼に陥りやすい。
「障害」というバイアスがかかっちまって、
個人として対峙することができにくくなるからだ。

 こういう問題も自閉人と非自閉人が雁首揃えて話し合う土俵はど
こかで必要だろうな。

 以上、長くなったがコメントを終わりにするぜ。じゃあな


Re: 素朴な疑問 16932へのコメント
No.16934  Sat, 26 Apr 2003 00:53:42 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 はじめまして。グルンサです。

saikaさん wrote:
>1.みなさんは、人の話を聞くとき(中略)
>A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
>B 話の内容に注目しますか?

 わたしはBですね(後で「話を聞いてない」と誤解されるのが嫌なので。もっとも、場合によってはメモを取る等していても、「???」ということもありますが)。

>2.相手の話を聞く場合、
>A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
>B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
>
>どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
>また、どちらを望みますか?

 望む・理解するということではBですが、共感となるとAかもしれません。


Re: 素朴な疑問 16932へのコメント
No.16933  Sat, 26 Apr 2003 00:06:35 +0900  Lulu_2440 [この発言にコメントする]

またまたアンケートに協力させて下さい。

(#16932「saika」様)
>1.みなさんは、人の話を聞くとき
>相手の人がとても感情表現が激しく(たとえば、怒ったり、笑ったり、泣いたりしながら話す)、声のトーンも変わりやすく(たとえば口調が厳しくなる、声が大きくなったり小さくなったりする)話をされる場合、
>
>A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
>
>B 話の内容に注目しますか?
>
私は「B」ですね。ジェスチャーに注目しても解りにくいです。

(#16932)
>2.相手の話を聞く場合、
>A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
>B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
>
>どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
>また、どちらを望みますか?
>
でも、実際に共感しやすいのは「A」ですね。淡々と話されるより実感がこもっているように感じられるのがその理由です。


素朴な疑問
No.16932  Fri, 25 Apr 2003 23:55:46 +0900  saika [この発言にコメントする]

ASをお持ちのみなさんに質問です。

1.みなさんは、人の話を聞くとき
相手の人がとても感情表現が激しく(たとえば、怒ったり、笑ったり、泣いたりしながら話す)、声のトーンも変わりやすく(たとえば口調が厳しくなる、声が大きくなったり小さくなったりする)話をされる場合、

A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?

B 話の内容に注目しますか?


2.相手の話を聞く場合、
A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では

どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
また、どちらを望みますか?

参考のために教えていただけましたら幸いです。_(._.)_


Re: 和解プロセスのための対話 16930へのコメント
No.16931  Fri, 25 Apr 2003 23:36:31 +0900  POLINECIA [この発言にコメントする]

kotobuさん wrote:
>POLINECIAくん
>君もなかなかいいこと言うようになったじゃないか
>私に悪態ついてたころとは見違えるようだよ

誰だっけ?


Re: 和解プロセスのための対話 16926へのコメント
No.16930  Fri, 25 Apr 2003 22:47:51 +0900  kotobu [この発言にコメントする]

POLINECIAくん
君もなかなかいいこと言うようになったじゃないか
私に悪態ついてたころとは見違えるようだよ


Re: なつさんへ 16928へのコメント
No.16929  Fri, 25 Apr 2003 22:42:19 +0900  Lulu_2440 [この発言にコメントする]

ぺんぺん様、こちらも誤解してすみませんでした。


なつさんへ 16913へのコメント
No.16928  Fri, 25 Apr 2003 22:31:29 +0900  ぺんぺん [この発言にコメントする]

どうもありがとうございます。
感謝します。


Re: ところで質問です 16897へのコメント
No.16927  Fri, 25 Apr 2003 22:02:00 +0900  空音 [この発言にコメントする]

saikaさん wrote:

>息子が中学になるまでの12年間、ずっと障害児の親をやってるわけですが、
>障害児の親って、働きに出たり、遊びに行ったりすると
>酷い親みたいに言われるんですよね。
>障害児の親のイメージって髪を振り乱して、化粧なんてそっちのけで
>必死になって子に尽くしてる、生活は質素。。みたいな。。^^;
>ですが、やるべき事はやって、あとは昼寝のし放題です。今の私は。。^^;
>
>今までの私を知っている人は、障害児を抱えてじつは悩んでいるとは
>思えないくらい、明るくてあっけらかんとしててオープンで。。ってのが
>本当の私像だと思ってくれていますよ。

ああよかったです。安心しました。
自分も二人の子どもを育てているので、育児の苦労はわかります。
よけいなおせっかいだったかもですね(^_^;)

それとSaikaさんのご質問への私の書き込みですが
専門医より正式にアスペルガー症候群であるとの確定診断を今日いただいたので
AS診断済大人(子持ち主婦)の意見として参考にしていただけると幸いです。
教育環境がかなり特殊ですが(^_^;)なにかお力になれるといいですね。


Re: 和解プロセスのための対話 16903へのコメント
No.16926  Fri, 25 Apr 2003 21:38:16 +0900  POLINECIA [この発言にコメントする]

対話そのものに関するコメントは昨日のでおしまい。
今回からは、俺が得意な自助グループとか
ピア・カウンセリングあたりの問題ついてでも語るとしよう。

(今までのまとめ)

・非自閉人と自閉人の和解プロセスには、両者が雁首を揃えて話し合う場
は不可欠だ。(ただし和解が必要ねえという奴についてはその限りじゃねえ。)

・しかし、対話をする時に意見対立以前に言語の不一致が原因になって、
話がすれ違う場合も多い。

・意見が『不愉快』ということと『間違っている』ということは、
ひとまず分けて考えていくことをお勧めする。両者を混同した議論は
極めて多い

(本日のテーマ)第3段『不在者裁判の快楽』

 まず、自助グループとピア・カウンセリングについて言及する前に、
この館に代表されるようなネットでの身の上相談に
ちーとばかし言及しておこう。

 ふだん、身の回りにいる連中には相談しねえで、
ネット上で身の上相談をしたがる連中はけっこう多い。
しがらみのねえ奴の方が相談しやすいってのもあるだろうし、
そもそも日常世界では相談する奴もなく孤立しているって場合もあるだろう。
「相談する奴は選んだ方がいい」ってのが持論の俺としちゃあ、
とてもいい選択だと思うぞ。
特に家族関係そのものが問題になっちまっていて、
本人同士じゃ話し合いのしようもないって状況じゃあ、
絶大な効果を発揮する。

 だが、ネット上の身の上相談には1つの危うさが隠されている。
一方の当事者のコメントだけが一方通行で
もう一方の当事者の言い分が分からないまま話が進行しちまうことだ。
自閉人が「家族が僕のことを理解してくれない」と訴えようが、
非自閉人が「自閉人である家族のためにこんなに迷惑している」
と訴えようが、それは一方の当事者の理解にすぎねえ。
しがらみのねえ連中が中立な立場で葛藤の渦中にある奴らを仲裁しようとしたり、
裁定しようとするのはまず不可能だ。
なんせ、当事者のうちの一方の情報しか分からねえんだからな。
俺自身、ここに書かれているコメントを完全な事実と見なしてはいねえ。
俺自身、嘘をつくことがあるしな。
けっきょく、しがらみのない連中にできることは、
とりあえずコメントをした人間が得になるようなアドバイスをしたり、
共感をしたり、励ましたりするってことだけだ。
自閉人の多いサイトならば、
自閉人の立場に立ったアドバイスや共感や激励が行われることになる。
そこんところを踏まねえで、
投稿者と一緒になって不在者裁判を繰り広げるってのは、
俺としては関心せんな。

 ところがだ。不在者裁判ってのはやっているとけっこう気持ちがいい。
しがらみのある連中に話しても「もっと努力しなさい」
「相手の立場を分かってあげなさい」みてえな態度で
片づけられちまうことが多いんだが、
不在者裁判ならそうじゃねえ。
自閉人向けとか家族向けとかパートナー向けみてえに
住み分けのできているサイトならば、
同類の人間からあらゆる形のアドバイス,共感,激励を受けることが
できるだろう。一緒になって不満のある家族の悪口を言い合うことも
それなりにはガス抜きにはなる。

 こういう側面はピア・カウンセリンググループや自助グループにもある。
普段周囲には言えない不満や家族の断罪を行っても許されるグループ。
しかも断罪している相手から反論が返ってくる可能性はほとんどない。
ピア・カウンセリンググループの意義は単なる友愛だけでなく、
こんなところにもあると俺は睨んでいる。

 ところが、俺の経験から言うと、
ピア・カウンセリングや自助グループの活動を経験すると、
本来折り合いをつけなければならない相手(敵)との関係はむしろ悪化する。
似たような価値感を持った連中が多いんで、
自分の座布団を自分で引き剥がすような自浄機能を持てなくなる場合も多い。
けっきょく、グループの中では居心地がよく憩いの場になってるんだが、
それだけに理解をしようとしねえ相手に対する怒りは、
ますます大きなものになっちまうってことも多い。
つまり渦中の相手との和解にはまずい要素が入りこんじまう訳だな。
余談だが、カルト教団と呼ばれる団体もこのような経緯を辿って
いた場合が多い。


 じゃあ、自閉人としての俺はどうなんだ、って話だ。
片田舎の自助グループの姉御なんかになっちまって、
支援者どもや親どもとも喧喧諤諤とやりあっている。
ウマがあわねえ相手もけっこう多いぞ。
だが、自閉人だけで固まらずに、外部の空気にも触れ続けてきたのは、
それなりに財産になったと思っている。
内輪だけでしか通用しねえ話を外部に持ちこむのは危険、
ってのも分かってきたしな。

 同型性のある奴らが自助グループや
ピア・カウンセリンググループを結成することについては
俺は反対しねえ。
だが同時の、同じ世界を共有していねえ奴らに対しても、
よくアンテナを張っておけよとは俺は言っておきたい。
少なくても、グループ以外の人間はみんな敵、
なんて世界にならねえことを俺は祈る。

 今日はこんなところだな。


a
No.16925  Fri, 25 Apr 2003 20:02:17 +0900  ura [この発言にコメントする]

http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2003mar/14/CN2003031301000409B1O10.html
宅間守は前頭葉に障害があるかもしれないらしい。


Re: ところで質問です 16922へのコメント
No.16924  Fri, 25 Apr 2003 17:21:43 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

saikaさん wrote:

>一年生の息子はまだまだ。。
>後ろ足が生え出した三年生のおたまじゃくし君の間を
>ちょこまかと泳いでいる卵からかえったばかりのおたまじゃくしのよう
>でした。

 おそばせながら、お子様の中学ご進学おめでとうございます。
季節だけでなくお子様の人生にも春がまいりますように。


Re: ルルさんへ 16921へのコメント
No.16923  Fri, 25 Apr 2003 16:40:04 +0900  Lulu_2440 [この発言にコメントする]

(#16921「なつ」様)
>…思いっきり、場違いなコメントですね。
場違いどころか、一番納得できる解答でした。ありがとうございました。


Re: ところで質問です 16918へのコメント
No.16922  Fri, 25 Apr 2003 15:19:40 +0900  saika [この発言にコメントする]

こうもり さんwrote:

とても詳しくわかりやすく説明していただいてありがとうございます。
参考にさせていただきたいと思います。

今日、中学校の授業参観に行ってきました。
家庭科で調理実習を見てきました。
調理がとても得意な男子生徒がいて驚きましたよ。
先生方はその子が将来調理の仕事に就けるときっといいのに。。と
話していました。
やはり、三年生くらいになってくると子供の個性がきちんと出てきて
将来の方向性も次第に考えやすくなるかもしれないなと感じたのが
今日の授業参観でした。

一年生の息子はまだまだ。。
後ろ足が生え出した三年生のおたまじゃくし君の間を
ちょこまかと泳いでいる卵からかえったばかりのおたまじゃくしのようでした。


>後は本人が就労やバイトでつ
>まずくことはよくあることなので、「自分はそれでも生きていく価
>値がある」という肯定感を育てておくことが何よりも大切だと思い
>ます。

そうですね。息子は以前、バイトしながら仕事みつけるとは言ってたことが
ありました。高校生になったときに、春休みや夏休みにバイトが
出来るようであれば、短期のバイトをいくつもやらせてみたいと思っています。働くってどういうことなのか、自分はどんな仕事がしてみたいかなど
理解するためには良いかなと思ったりしています。

ありがとうございました。


Re: ルルさんへ 16915へのコメント
No.16921  Fri, 25 Apr 2003 15:16:01 +0900  なつ [この発言にコメントする]

お返事、ありがとうございました。

>やはりコミュニケーション障害のある私には、相手の言葉がどうしても額面どおりにしか受け止められませんでした。

言葉の受け取り方は、とても難しいですね。同じ「額面どおり」といっても、人によって受け取る「額面」もまた違ってくるし、そのことがなおさら、コミュニケーションの困難さを増しているのだと思います。
だけど、Lulu_2440さんは、その困難さを自覚してらっしゃる。その自覚が、きっとLulu_2440さんの強みになっていくと感じます。


こりっこさんの件も、Lulu_2440さんの中で、強い痛みを伴うものとして残っているのですね。
少し感じたことを書いてもいいでしょうか。

おそらくLulu_2440さんのおっしゃる「拡大解釈」ということになると思うのですが。
こりっこさんのコメントは重大な示唆を含んでいると感じました。
ASであるなしに関わらず、生きていく上で生き辛さを抱えている人の多くは、その親との関係において、多くの苦しみを抱えている…と思うのです。
その親が抱える親自身の問題が、子どもに大きな影響を与えてしまいます。
ある程度なら「よくあること」でしょうし、子どもも、それを跳ね返す力をもっています。
けれど、その問題が、子どもの許容量を越えるくらい大きくのしかかってきたとき、それが子どもに与えるダメージは計り知れないものになってしまいます。
けれど、子どもは親の「悪意のなさ」を感じているし、親が自分にダメージを与えていると自覚するのが難しくなってしまうことがあると思うのです。
「親は自分のためを思っていてくれるのだから」と。

こりっこさんは、そのことを言いたかったのでは、と感じました。
お母さんが抱える問題(おそらく関係依存の問題)は、お母さん自身が何とかするしかなく、Lulu_2440さんは、その問題を背負いこむ必要はないこと。自分の問題と親の問題を分けて考えること。お互いが(心理的に)自立するために、まず手を離さなければならないこと。

表現が攻撃的なのは、それがLulu_2440さんの心に言葉を届かせる手段になると、もしかしたら考えられたのかもしれません。
全くの推測なので、真意は分からないです。

だけど、言われる当人にとってみれば、とても痛く、傷つけられる言葉ですよね。
特に、お母さんのことは、例えLulu_2440さん自身がどう思っているにせよ、他人から否定されることは、とても辛いことだと思います。
そのことでLulu_2440さんが、こりっこさんの「悪意」を感じられたとして、それもまた、当然のことだと思います。

こりっこさんに味方された人は、「Lulu_2440さんのお母さんの抱える問題」について同意はしても、Lulu_2440さんを傷つけるような表現を是とされていたわけではないような気がします。
けれど、Lulu_2440さんは、どんなに辛く、孤立した思いをされたことでしょうね。

こりっこさんへの怒りの奥にある、Lulu_2440さんの悲しみが癒されていきますように…。

…思いっきり、場違いなコメントですね。
お許しください。


Re: ところで質問です 16911へのコメント
No.16920  Fri, 25 Apr 2003 15:05:38 +0900  saika [この発言にコメントする]

あさかぜ さんwrote:

こんにちは。レスありがとうございます。

> なんか久しぶりに人と話すと刺激になります。saikaさんパワフルですね、うらやましいな〜。

子供の事を考えてあげるときは、十分にパワフルなときしか行動してません。
疲れたと思ったら、子供をほったらかして寝ちゃうほうですから。汗
親にはもっと細かく気をつかってあげなさいと言われますが
どうも性格的に大雑把なためこまやかな配慮の母親になるのは苦手ですねえ。。汗汗

> ですね、大雑把に見ると。でも意外と中卒や高校中退で働いている人って多いですよ。わたしの周りにいっぱいいます。

地域によっては可能なのかもしれませんね。

> 職業訓練校はターゲットのひとつではあります。娘のAS度にもよりますが、なぜ働くのか、日本人の納税義務についてとか、社会保険や年金のこととか、社会システム全般の基礎をみっちり叩き込まないといけないなと思っています。金銭管理についても。自分の経験から、そういうことに疎いまま社会に出てしまうことの危険性を感じているからです。学業はできても生活でつまずく要因のひとつですから。もっとも、わたしも偉そうなことは言えません。まだ学んでいる最中ですので(笑)

私は息子に、何故勉強する必要があるかを話すとき、
息子は将来、たくさんのお給料がもらえる仕事に付きたいと思っている
ようですから、その気持ちを刺激すべく、「教科書に書いてある事は最低限
必要な事だからマスターしないとお金たくさんもらえる仕事に就けないよ」
と、簡単に話しています。
小難しい社会体制はもっと大人にならないと理解できないでしょうから。。

> 子どもから教えられて自分が育つというのは同感します。苦しいこともあるけど、楽しいこともありますから。自分の感じとして「親をやるということは“普通もどき”をやるのと同じで疲れる」というのがあったんですが、「自分でありながら親もやれる」という方向に移行しつつあるみたいです。幻想が剥がれ落ちてなくなってきたみたいな気がします。

障害児を受け入れる施設に入園してきたお子さんと家族に対して
施設が一番初めにすることってご存知ですか?
じつは、「母親育て」なんです。障害児を持っていると認識がずれやすくなるらしく、またゆがんだ親子関係を築いていることが少なくないので
それの修復をまずするそうですよ。
子供が成長していく段階で一番の要はやはり母親だという事で。。

この話を聞いたとき、あら?じゃあ、私もゆがんでたりするかしら?と
心配になったことがあります。
自分で言うのもヘンですが、多少はゆがんだところもあるかもしれませんね。
しかし、私は子供を二人生んで下の子が健常児だったために、
その子を通して自分でいろんなことに気がつけたことが救いでした。
見ていると、一人っ子の親の場合、その子しか知らないので、
その子が基準になってしまって、自分の子のどこがおかしいのかが
わからなく、周りとトラブルを起こしがちになってしまうような気がします。
一人っ子だから必ずしもそうだとは限りませんが。。^^;

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