アスペルガーの館の掲示板(旧)
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みどりさん wrote:
>そういえば、アメリカに行って下のケタからおつり出されると、思いっきり混乱してしまいます。
>しかたないので自分で上のケタから数えなおして嫌な顔されるんですが。
すんません、横レスです。
私がイギリスに居たとき、ホストファミリーとの会話でいちばん困ったのは、時計の読み方についてでした。一緒にどこかへ出かける時に、時間を合わせるのですが、「それじゃ、二時十分前に、出るからね」というところを、彼らは、‘We'll meet at ten before two’ (恥ずかしながらよく覚えていないが、大体こんな言い方)などと表現します。
この、‘ten before two ’ の部分は、私の耳にはなんだかまるで「十分前の二時」といった、日本語としてはややヒネた表現として、響いきてしまい(特に疲れている時は)、その結果ひどく混乱して、‘sorry…?’と、かならず聞き返すハメになる。
この言い方が混乱を招く、もうひとつの理由としては、「分」と、「時」の順序が、日本語と英語圏では逆転している、という、わりかし有名な?事実。下手をすると、‘before’の部分を聞き逃して、‘(え、えとー、十時…二分?…って…わけはないから、二時十分前、だよな、やっぱり) Ten before two, yeah…(へろへろ)’ という思考時間が、日本人である私の頭には存在する。
これはイギリスに一ヶ月ほど居て、ほとんど進歩することがありませんでした。
終いには仕方がないので、「私にとっては、ten before two というよりは、‘two ten’ とか‘seven thirty’というふうに言ってくれたほうが、ずっとわかりやすいんです」と、ホストマザーには要求しておき、それからというもの、少しは楽になりましたとさ、というお話。
―――
Mariaさん wrote:
> 「5を超える数どうしの和で、答えが10を超えるもの」と、「5未満の数と5を超える数の和で、答えが10を超えるもの」です。
> 「5+5=10」という関係が頭にあると、前者で繰り上がりがあるのは自明ですが、後者では繰り上がりがあるのは自明ではありません。
これが文系である私の理解力だと、なんだか果てしなさ過ぎる話のように響いてしまう…
これまた横道に逸れてしまう、「5」ともほぼ無縁な話題なのですけれども。
某サイト(2ちゃんねるではないぞ)でも話題に上った、ブライアン・バターワースの本には、「最も大きい数、というのはつくることができない。なぜなら、どれだけ大きい数を言ったところで、“それプラス1”で、その数は、最大数ではなくなってしまうからだ」といった記述が、あったように記憶しております。
私の考えでは、「それプラス1」した瞬間に、宇宙が消滅してしまうという、理論上の数があったとしたら、それこそが(宇宙)最大の数、なのではないかと、予測するのですが(まだその本、おしまいまで読めてないので、似たような記述があるかどうかは知らないまま言ってます)。
これじゃーただのSFか知らん(^_^!)? それだとそもそも「1」というのは一体なんなのか(恐らく化学式で表す?)、「宇宙」というのがいったいどの思想の表すところのものであるのか、なんて言ってたら、各界巻き込んで大論争になっちまいそうなので… ←逃げてます…
ぽんこさん wrote:
> もっと他にも居るはずだと、思うけどなー。
う〜ん、誰でもそんな体験あると思っていたので逆にびっくりしています。
(だけど、改めてそんなこと他人に聞くのは、怖い・・・)
ちなみに、自分はADD系の人間(病院では、否定されました。不安神経でしょうとのこと)
ASっけは、ほとんど無いと思います。
私が小学校の校庭で,鉄棒でぐるぐる回った直後に視界に見えていた光と似ています。
空には見えませんか?視線の動きと関係なしにチラチラと動いている光の点。田舎のほうが多いでしょう。私はきのうも,山の上を飛んでいるのがアマツバメかどうかよりもそっちに気を向けかけて,どっちも中途半端であいまいなままに過ぎてしまいました。
バーバラ・ブレナンがオルゴン・エネルギーーと呼んでいるものでしょう。目の焦点合わせの絞りが,オフになると見えてくるのだと思います。何かに集中すると全体は見えなくなる。見えてあたりまえのものが見えても,あたりまえとされている範囲外の現実が見えると言うとキチガイ呼ばわりされます。ヒトの通常の知覚は,現実のごく一部しか感知できません。脳が処理しきれないデータは意識に届きません。異常な近視状態が普通とされているようなものです。
尽十方無碍光如来(阿弥陀仏)のエネルギーがボケッとすることで実視できる。なんて言ってると,あいつはおかしくて駄目だと破門になるかも。今更普通のふりだけも,できないし。困った,困った。
Mariaさん wrote:
> あたしの場合、アメリカのアニメ(『トムとジェリー』とか)で頭をぶつけた時に出るような星が飛びます。とはいえ星形をしている訳ではなく、「小さくて明るい人魂」見たいな感じですが。
それはMariaさんから発して拡散していったのですか。
「星」とおっしゃるからには銀色だったのでしょうか。だとしたら、今までの4名の共通項は「銀色のものが飛ぶ」ということになりますね。
わたしのは、子どものときに自分なりに「針」と表現していましたが、形は、「しずくよりは細い」という感じでした。必ず、真正面ではなく上のほうにありました。淡いものではなく、くっきりしていました。
みどりさん wrote:
> しかしなぜそんなに5に注目しなければならないんでしょう。なんの必然性もないのに。5フェチの人は別として。
> いちいちその数字が5より大きいかどうかを比べる方が面倒(で、しかも本来の道筋ではないので混乱の元)に感じます、私の場合は。
日本の数学教育では、通称「五・二進法」と呼ばれる計算指導方式があり、あたしもいちおうそれに即して説明をしています。
「5というのは、1/2・1/4( half と quarter )というスタンダードと1/10・1/100というスタンダードの橋渡し役をするという意味で、文化的に重要な数だから、きっちり教えておいたほうが、将来桁数の多い数を扱うようになったときに便利だ」という配慮があるのではないでしょうか。
また、『日本人には「そろばん」という計算器具に慣れ親しんできた歴史があるので、5フェチの人が多いのではないだろうか』という気もします。日本人は「五本指」といいますが、英語では「finger」は4本ですし。
また、「金や銀は2進数(1/4)、銅は10進数(1/100)」という慣行も影響していそうです。1両=4分/1分=4朱(金と銀)ですし、1貫=100匁(銅)です。イギリスでも1ポンド=20シリング(銀貨)=100ペンス(銅貨)ですし。
六十進法とか百分の一を基本とする通貨システム(円と銭、ポンドとペニー、ドルとセント)なども、二進系と十進系の融合、ということで出てきたものでしょうし、そこにはどうしても15・25・45といった形で5が現れます。
> なるほど、2進法換算でやるということですね。……でも 2^10=10^3 といったいどういう関連があるのかやっぱりわからないんですが。
あたしの場合、「2ビット+4ビット+4ビット」以上のデータを(直感的には)扱えないんです。脳が2.5バイトのバイトマシンでできているというのでしょうか。1K=1024以上のデータを扱おうとすると、キャリーフラグかなんかが立ってしまうらしく、乗算は指数計算、加算は十進計算による概算ということになってしまうのですよ。
で、その二つの計算体系を行ったり来たりするのに、1k(10^3=1000)≒1K(2^10=1024)という換算レートをしょっちゅう使う、ということです。あるいは1・2・4・8・16・32・64・128・256・512・1024という系列をね。
それ以上のことをやろうとすると、十六進電卓のお世話にならざるをえません。じっさい、16進数の加減算というと、せいぜい大きな構造体のサイズ計算(BMPファイルのヘッダとか)くらいしか使わないので、1Kを超える値は出てきませんし。
(Maria)
りるさん wrote:
>> 2)1桁の数の足し算を教えたあとに、繰り上がりのない2桁の数どうしの加算を経由して一気に3桁の数の足し算に行ってしまい、「3桁の数の足し算」を「一般的な足し算」のモデルとして、そこから「特殊な形の足し算」として2桁の数の足し算を教えるというのは、指導法として有効だろうか。
> この文章だけではイメージが浮かばないので、何か例をあげてみてもらえませんか?
つまり、「26+32」とか「54+13」とかはやらせるけど、「57+64」とか「74+29」とかいった計算はやらせないで、三桁の足し算まで一気に行ってしまうということです。とくに後者の「74+29」は、繰り上がりが「玉突き的」に起きるので、「93」とか答えてしまう子供がいそうなので。
「57+64」は「057+064」、「74+29」は「074+029」といった具合に、「三桁の足し算のうち、最上位が0の場合」と解釈すれば、「三桁どうしの足し算」のパターンの一つとして考えられるし、『「三桁どうしの足し算」には、「多数桁どうしの足し算」に必要な要素がすべて含まれている』と考えられるので、『「三桁どうしの足し算」を「多数桁どうしの足し算」のひとつの典型として捉える』のが有効ではないだろうか、ということです。
(Maria)
ぽんこさん wrote:
> 昨日あったのですが、トイレで座っていて、用が終わったとき(小)でした。
あたしの場合、アメリカのアニメ(『トムとジェリー』とか)で頭をぶつけた時に出るような星が飛びます。とはいえ星形をしている訳ではなく、「小さくて明るい人魂」見たいな感じですが。
(Maria)
もっと他にも居るはずだと、思うけどなー。
タイトルでりる wrote:
×「今さからのレスですが」→○「今さらのレスですが」
恥ずかシー。
シロさん wrote:
>くりあさんは、「目を閉じていてもきらきらしている」とは、残像が、ということですか。「糸」と「針」と、どちらに近いものでした? やはり上から降っていましたか。
私の場合は「糸」でも「針」でもなく「ラメみたいな粒」です。自分に向かってゆっくり飛んでくる感じです。今でも年に2,3回の頻度で起こりますが,ほけーっとしてしまいます。
目を閉じても真っ暗な中に,きらきらしています。もっと長く見ていたいという気持ちからすぐ目を開いてしまうので,残像なのか分かりません。
私もお二人のレスを読んで「ついに仲間発見」
なんだかうれしいです。
すごく今さらなレスですみません。
とても興味深いお話だったのですが、算数の指導法スレッドで書いたように、私は「さんすう」レベルで苦手なので、
数学の証明問題の例が出てきたところで読解困難スイッチが入ってしまったのでした。
Mariaさん wrote:
>基本的には「考えるのが好きな人/嫌いな人」で別の文化を持っている(考えるのが嫌いな人が果たして文化と呼べるものを持てるのかどうか疑問なんだけど)ことに理由があるように思います。
「考えることに関して一定以上の能力を持ち、かつ好きな人/そうでない人」かなあ、とも思います。
念のためですが、「発達障害者とそうでない人とのコミュニケーション」についての話題で出てきた話なので、後者はもちろん知的障害等の問題ではなく「発達障害を持たない多数派の(普通の)人」ということです。
> 人間には、なにか「証明」なり「解決策」なりのイメージがあって、そこから外れたものを排除する傾向があるように思います。
>(中略)
>多くの人は、その機序を詳(つまび)らかにすることを怖れているように思います。「そうだから、そうなんだ」というところから、外に出るのが怖い。
>(中略)
>普通の人にとって、「理性」というのは、「自分の外にあるもの」として位置づけられているのではないかと思います。だから、理論で説明されてしまうと、自分のもの(自分の一部)ではなくなってしまうような気がするのではないでしょうか。あたしの場合は、逆に「すっきりと説明される」ことで、真に「自分のもの」になるような感じがするのですが。
「証明」なり「解決策」なりのイメージ=その人の持っている「固定観念」「一般常識」と考えていいのならば、
その枠組みを外すこと=「自身の拠って立つ根本的な何か(自分の日常生活や思考を支えているもの)を否定/解体すること」は、自我の確保(保持)を揺るがすような危機感を感じるものなのだろうなと思います。
通常、日常生活では、こなさなければならない仕事が多いから、いちいち「考えること」をやっていたら生活が立ち行かない。また、日常生活の中で、いろいろと思考を要する重要な案件を抱えている場合は、「何か根源的なものについての考え」まで考える余裕がない。ですから、その部分は「そういうことになってる」「そういうものなんだ」で済ましておく、というのは確かにひとつのスキルだと思います。
ですが、「理性」が「自分の外」にあったら、私は逆に怖いのですが…。それはまぎれもなく「自分の一部」であり、私の自我を形成するものの中でも非常に重要な部分だと思うからです。
私は、上に書いたような「スキル」はスキルとして納得できますが(それは説明してもらったからなのですが)、「説明がつかないものは理解できないのですっきりしなくて気持ちわるい」です。なので、私も「説明がつくことで自分のものになる」という感覚です。
逆に、「私が理解できないことは、それが私には重要でないから/必要でないから」と感じているのですが、これはどうなのだろう…。
「理解できる/できない」の話を、このスレッドで話題にしていたような「思考」とはまた違った「能力」のレベルでいえば、
私は数学や物理学がほとんどわかりませんしできませんが、特に「できたい」とは思っていません。
(それは、自分には、数学や物理学のほかに、標準的に、または標準以上に「できる」能力があると自覚している安心感から来るものなのかもしれませんが)
例えば、私が日常会話程度の英語を話したというだけでいじめに遭ったことがあるのですが(かなりあとになってから気づきましたが)、妬んだりいじめたりする=「自分はそれができない」ことに「コンプレックス」を持つ、ということは、それが「できたい」からではないのか?と思っています。で、「できたい」なら「できる」ように努力すればいいのに、と思ってしまいます。
逆にいえば、「その分野は特にできたいと思わない」なら、「できる」人に対してコンプレックスや妬みも生まれようがないと思うのですが。
特に英会話なんかに関しては、「できたい」よりも、「仕事上それを要求されてしまっている」「『できるのがイイ』という社会通念に振り回されている」という側面もあるのかな。
くりあ wrote:
>それって,何もしていない状態の時に突然現れるのですか?それとも,何かをした拍子に現れるのですか(例えば,立ち上がったり,動いた時とか)?
この問いへのぽんこさんのレスを読んでから書いていますが、わたしも、特に何もしていないときに起こりました。立っているとき。道を歩いているとき。思い出すのは、学校からの帰り道や、庭で。座ったり横になったりしているときには起きなかったです。いつも戸外で起きていたような気がしますが、自信はありません。
と、これを書いている間に、さらにぼんこさん、くりあさんから投稿が。「ついに仲間発見」とは、わたしもまさにそんな気持ちです。そう、確かにひどく誰かに訴えたかったり謎解きをしたい気持ちはなかったけれど、このことは自分の体験としてずっと心に残るもの、また、関心のあることの一つでした。
くりあさんは、「目を閉じていてもきらきらしている」とは、残像が、ということですか。「糸」と「針」と、どちらに近いものでした? やはり上から降っていましたか。
Maria wrote:
> ただ、日本ではあんまり指導されないんですよね。「5=3+□」「9=4+□」とかいった穴埋め問題も教科書には出てこないし。文部省は指導方法そのものには口出ししないらしいので、教師のほうになにか指導上の理由があるような気がします。
そういえば、アメリカに行って下のケタからおつり出されると、思いっきり混乱してしまいます。
しかたないので自分で上のケタから数えなおして嫌な顔されるんですが。
>> ……で、最初の質問なんですが、上と下の計算はどう違っていたのでしょうか?
> 「5を超える数どうしの和で、答えが10を超えるもの」と、「5未満の数と5を超える数の和で、答えが10を超えるもの」です。
> 「5+5=10」という関係が頭にあると、前者で繰り上がりがあるのは自明ですが、後者では繰り上がりがあるのは自明ではありません。
なるほど。区別はわかりました。
しかしなぜそんなに5に注目しなければならないんでしょう。なんの必然性もないのに。5フェチの人は別として。
いちいちその数字が5より大きいかどうかを比べる方が面倒(で、しかも本来の道筋ではないので混乱の元)に感じます、私の場合は。
> >>> 16進ヒトケタどうしの繰り上げ計算の場合、Mariaちゃんは 8 を取り出して使いますか? それともやっぱり5を使いますか?
>>> 2^10≒10^3
>>>です。
>>「ヒトケタどうしの繰り上げ計算」なんですが… 0xA + 0xB とか。
> ですから、あたしの頭の中には、言ってみれば
>という二進法の「そろばん」があるわけです(本当はオン●とオフ○)。
なるほど、2進法換算でやるということですね。……でも 2^10=10^3 といったいどういう関連があるのかやっぱりわからないんですが。
ぽんこさん wrote:
> 何もしていない時に、現れた事がほとんどだったと記憶ししています。校庭で起きたときには、たいてい立ち止まっていた時にだったと思います。昨日あったのですが、トイレで座っていて、用が終わったとき(小)でした。このとき、特別気分が高揚するとか、逆に気持ち悪いとかはなかったです。あえていうなら、あまりストレスのない、少し気の抜けたときに、といえるかもしれないです。きれいだなーと思っているうちに終わるので、もっと続けばいいなとは思います。
私もトイレの時,数えられる回数程度に,起きたことがあります。
あとは,少し気の抜けた状態のときに,何かの拍子で無意識に眉間,こめかみ,目元のあたり,自分でもどこなのかあいまいなのですけれど,ほんの少し力が入ると結構起こります。
きらきらしていて奇麗ですよね。目を閉じてもきらきらしてます。
シロ さんwrote:
>これを読んで驚きました。かなり似ています。わたしは自分に起こるそのことを、「銀色の針が降る」と呼んでいました。やはり小学生のときに体験しましたが、その後も体験が皆無ではありません。わたしの場合は、ウエーブはかかっていませんでした。銀色の短い針のようなものが上から下に降るのですが、やや斜め(右から左へ)に降っていました。針という言葉を使っていましたが、かたいものとは感じていませんでした。非常に細い針ではなく、やや太さがありました。ミシンの針みたいな感じです。持続時間の記憶はありませんが、ごく短かったのは確かです。降ってくるものの数の変化には気づいていませんでした。きれいでした。
>
あぁ!仲間をついに発見!この話ほとんど人に言ったことないです。1回夫に昔、少しだけ言ったことがあるだけかな?わたしは、未診断です。AS傾向はあるけども、おそらく健常者に分類されると思います。内閉性で、交際が得意ではなく(できないということではない)、ASに共感するが、まったくそうだともいえないようなタイプの人間です。
Mariaさん wrote:
>1)指導法としては、「1桁の足し算」→「1桁の引き算」と指導するのではなく、
> 「繰り上がりのない1桁の足し算」
>→「足して10になる足し算」
>→「引き算」
>→「(結果が10より大きい)繰り上がりのある足し算」
>というふうに指導してゆくのが適切かもしれない。
他の方の方法を見ていて、「足し算しようとしてるのになんでいきなり引き算が出てくるんだ??」とびっくりしました。
一ケタの数を自分はどう認識してるか?と考えてみたのですが、
2は「1がふたつ」。
3と4は、一応3、4として認識できてると思います。
5は「ふたつで10になる数」、繰り上がりや引き算のときは「2と3でできてる」。
6は「3がふたつ」または「2がみっつ」。
7は「3と4でできてる」。8は「4がふたつ」。
9は「あと1で10になる数」、繰り上がりや引き算のときは「5と4でできてる」。
ということは、私の把握できる数は、「1、3、4、10」ってことか??
>2)九九の指導をする前に、「倍」という操作(概念)を教えておくのは有効かもしれない。1+1=2 2+2=4 4+4=8 …… とか、1+1=2 2+2=4 3+3=6 4+4=8 5+5=10 …… とか。
それはたぶんとても有効なのではないかと思います。
九九はとにかく必死で暗記したので(これもたぶん「音で」らしい)、4の段以上になると今もときどき思いっきり間違えます。
小学生のときは「勉強した」という感覚はなかったけど全教科だいたい満点だったので、すべて暗記で済ませたのかもしれない。
>1)子供にとって、「2+333」と「333+2」は別物のような気がするのだけれど、どうだろう。
さんすうに関しては私はりっぱに子どもだと思うので考えてみました。
「2+333」→「あ、2だ。うんうん。何ィ333?!うわどうしよう。」
「333+2」→「333!数学だな!(身構える)→あ、+2か。なら一桁のとこだけ考えればいいから、333の一桁部分は3だから繰り上がりもないから3+2(+その上の桁の数)だな。→2+3(+330)で335だな。うんうんよかった。」
+「あ、なら考えたら2+333もいっしょじゃん。びびっちまったぜ。」
…別物ですね。
>2)1桁の数の足し算を教えたあとに、繰り上がりのない2桁の数どうしの加算を経由して一気に3桁の数の足し算に行ってしまい、「3桁の数の足し算」を「一般的な足し算」のモデルとして、そこから「特殊な形の足し算」として2桁の数の足し算を教えるというのは、指導法として有効だろうか。
この文章だけではイメージが浮かばないので、何か例をあげてみてもらえませんか?
ちなみに、別スレッドでしたが、ディックの小説の話で出てきた「代数」は、ことばとしてよく聞くし習った覚えもある気がするんだけど(中学?)、どういう系統の問題なのかからしてわからない。(当時もわからないままこなしてたのではないかと思う)例を見たら暗記した計算式とか思い出して解けるかもしれませんが。「Xを使って『代入する』」ってやつでしょうか?
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