アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
ひまわり。グロンサさん有難うございます。ぼちぼちやっております。
グロンサさん wrote:
> 話を聴いていた側からしても、人前で発表するのが大変そうに見えました(面白おかしく話したり、等一生懸命にやっていただけに、余計ハードそうでしたね。ちょっと心配です)。
おもしろく話す事難しそうです。コミュニケーションの障害伝わったのかな。
かなりハードそうで心配です。
>
>>カナータイプ主体の方々に、お話する、コツみたいのは、感じられましたでしょうか?
>
> うーん…。これについては、難しいですね〜。
>わたし自身は、カナータイプの方とお会いすることがなかったせいか、ついにないまま終わってしまいました…。残念。
>もしかしてこの文章、ひまわりさんの文意と外れているかも…(だとしたら、お許しのほど)。
‘ふつうの’自閉症支援関係の人=カナータイプ主体の方々、
わかりにくい表現ですみません。
>
>I wrote:
>>> そんな中で思ったのが、「いずれはカナー・アスペルガー両タイプの割合を半々にして、もしくはアスペルガータイプ主体のイベントも開催してほしいな」…ということ。
>>
>>> カナータイプ主体の大規模なイベントがやっと始まったばかりではありますが、アスペルガータイプもいずれは同じように…と、ふと頭をよぎった時でもありました。
>
>ひまわりさん wrote:
>>近いうちにそうなって欲しいです〜。
>
> 欲を言えば、来年か再来年あたりに開催してほしいと思うのは、わたしの我儘でしょうかね…?では。
来年は無理ぽいです。再来年可能性ありそうです。何かいい話でてますか?
Mariaさん wrote:
>1)飛蚊症(ひぶんしょう)
>(説明略)
>2)「星」
>(説明略)
>3)ネオンサイン状の模様
>(説明略)
>4)雪迎え(ゴッサマー)
>(説明略)
>5)ダイアモンド・ダスト
>(説明略)
>6)幻覚
>(説明略)
1)〜3)は「目」に由来するもの、6)は「脳」に由来するもの、4)〜5)は「外界」に由来するものと分けられると思います。
わたしも飛蚊症は経験があるので、わたしが小学生の頃にたまに見た「銀の針」と飛蚊症とは別物であると確かに言えます。また、「銀の針」には実在感があったし、自分と「銀の針」との間にははっきりとした距離があったので、飛蚊症以外の網膜上の映像でもないと思います。
では、外界にあった何かを見たのでしょうか。それとも脳に由来する幻覚の一種だったのでしょうか。もう少しデータを集めて推論するか、専門的知識のある人に推論してもらうしかないかなと思います。ちなみに、わたしがそれを主に見たのは70年代の東京都区内でした。
それにしても、「銀の針」のことが、おとなになってインターネットというものでこんな風に語られることがあるとは…。
人体の周りのきれいな玉は,妊婦さんを見るのががいいらしいです。それは薄暗い所で練習する必要があって,視力に問題のある人の方が非日常的世界が見えやすいらしい。
空のは,天候によって量や動きが違います。木の周りで吸い込まれていきます。
シペラス さんwrote:
>どちらかは、「玉がどれくらいの大きさに見えたか?」ということが、決め手になると思います。
色付き玉について説明します。草木に浮かんでいた、緑の玉は5センチくらいの直径でした。6〜7センチともいえるかな?大体そのくらいという感じです。空にあった玉は空をうめつくすような感じでいくつもあったので、大きさを数字で表しにくいです。
銀色の光の糸についていうなら、多分、飛蚊症とちがうと思います。「家庭の医学」という本で調べたら、飛蚊症は黒いものが見えるということなので、きれいなキラキラしたものについての説明とはいえないように思いました。
シロさん wrote:
> 「星」とおっしゃるからには銀色だったのでしょうか。だとしたら、今までの4名の共通項は「銀色のものが飛ぶ」ということになりますね。
>
> わたしのは、子どものときに自分なりに「針」と表現していましたが、形は、「しずくよりは細い」という感じでした。必ず、真正面ではなく上のほうにありました。淡いものではなく、くっきりしていました。
1)飛蚊症(ひぶんしょう)
見ます。ただ、明るい曇り空などを見たときにしか見えません。「銀色」ではなく、陰です。立体感もありませんし、実在感もありません。単なる網膜上の映像です。
2)「星」
キラキラした感じです。視野の中をきらきらきらきら、と、くねくねした軌道を通って飛んでゆきます。立体感はありませんし、実在感もありません。これも単なる網膜上の映像です。
脳貧血状態なのでしょう。黒っぽい視野の狭窄がだいたい伴います。耳鳴りもすることがあります。
3)ネオンサイン状の模様
眼球をぎゅうっと押したときに、菱形のネオンサイン状の縞模様が見えることがあります。お風呂に入ったときに、立ちくらみを起こして見えることがあります。耳鳴りは経験したことがありません。視野の狭窄が伴うときは、オレンジか緑です。これも単なる網膜上の映像です。
4)雪迎え(ゴッサマー)
実在する生物現象です。蜘蛛が親離れをするときに、糸を風に吹き流して空を飛び、散ってゆきます。「天使の髪(エンジェル・ヘアー)」の別名もあります。早春の屋外でしか見えません。
5)ダイアモンド・ダスト
気象現象です。水蒸気が空中で凍ったものです。よほど寒くないと見られません。
6)幻覚
幻覚というのは、「幻覚だ」と分かっていれば見えないというものではありませんし、夢のように意識がぼんやりしている時にだけ見えるというものでもなく、現実とまったく区別ができません。
ですから、あたしは「幽霊」というものは主観的に存在すると思っているし、「人に幽霊を見せる何か」が実在したとしても物理法則に違反することがないので、ある種の心霊現象は存在してもおかしくないと思っています。心霊写真などというものは存在しませんが。
(Maria)
シペラス wrote:
>そうですね。飛蚊症の場合は透明で線画のような感じのものなので…「色がついていた」となると、ある種の『幻視』だったのかもしれませんね。
> または、日光があたる方向を見て、いったん目を閉じてから、ちがう方向を見たとすると、残像+飛蚊症でそのように色のある水玉が出ると思います。
どちらかは、「玉がどれくらいの大きさに見えたか?」ということが、決め手になると思います。
みどり wrote:
>シペラス wrote:
>>これは恐らく、『飛蚊症』という現象を体験したのだと思います。
>> 自分もよく水玉・糸くずを見ます。
>
>飛蚊症なら私もありますが、ぽんこさんたちがおっしゃっているのとは別物だと思います。
そうですね。飛蚊症の場合は透明で線画のような感じのものなので…「色がついていた」となると、ある種の『幻視』だったのかもしれませんね。
または、日光があたる方向を見て、いったん目を閉じてから、ちがう方向を見たとすると、残像+飛蚊症でそのように色のある水玉が出ると思います。
みどりさん wrote:
>シペラス wrote:
>>これは恐らく、『飛蚊症』という現象を体験したのだと思います。
>> 自分もよく水玉・糸くずを見ます。
>
>飛蚊症なら私もありますが、ぽんこさんたちがおっしゃっているのとは別物だと思います。
私も飛蚊症が気になって眼科で調べてもらったことがあります。知人に網膜剥離で手術した人がいて、かなり気になった時期があったので。検査結果は正常でした。
飛蚊症はシペラスさんが解説されているように眼球内の「影」なので、「キラキラしている」ということはないはずだと思います。飛蚊症だと「自分の回りを取り巻く」といった表現は当てはまらず、「目の前(視界の中)にある」という感じだと思います。
私も見てみたい…小さいときに見た記憶もないなあ…
みどりさん wrote:
> ┏┳┯┓┌─┬┐
> ┠╂┼┨├┰┤│
> ┃┣┷┫┝╋┿┥
> ┗┻━┛└┸┴┘
>
> こう書いた方が美しかったな。
……脱帽。m(_ _)m
(KILROY)
あんくさん wrote:
> あさかぜさんが余計にお疲れになっているのは、パソコンの電磁波の影響の可能性ということも、あるかも知れません。すくなくとも、娘さんには、ネットを心の支えにしすぎてしまっている親の様子を目撃させて(隠しているつもりでも、何となく分かるということもある)、余計な不安を与えてしまうということのないように、ご自愛下さいね。
これが一番痛かった。
「お母さん、笑って」と強制的に笑わされるほどに笑顔が少なくなっている、この現実……。話す機会も減っていることに気づいて愕然。こりゃー、まずいですわ、やっぱ。
あんくさん、ありがとうございます。
直子さんも、ペンペンさんも、気遣ってくださって、どうもありがとう。
皆さんにきちんと返事が書けないですが、当分はROMになります。元気が出たら、週末の釣り人にでもなるさ〜。川は終わったので、雪が降るまでは海行けたらいいなと思っています。
でも、その前に娘と遊ばなきゃね。
シペラス wrote:
>これは恐らく、『飛蚊症』という現象を体験したのだと思います。
> 自分もよく水玉・糸くずを見ます。
飛蚊症なら私もありますが、ぽんこさんたちがおっしゃっているのとは別物だと思います。
たちくらみのときに光が見えたり、目をこすったあとに無数の白い光の点がバラバラな方向に飛び回るのを見ますが、きっとこれも別物みたいですね。
話をきいてたら綺麗なものっぽいので、見たくなってきた みどり
ぽんこ wrote:
> 子供のころ、小学生(1〜4年生)くらいのことですが、こんなことがありました。よく校庭で起きたことなのですが、銀色のきれいな光が2,3センチメートルの短い糸のようになって、キラキラしながら自分の回りを取り巻く現象があったのです。上から下へ、降りるのですが、少し軽くウエーブがかかっていました。そして次々に消え、また降ってくるのです。時間にして5〜10秒ぐらいです。糸の数は少ない時と、多いときがあり、時間も長い時(10秒)と短いとき(一瞬)がありました。成人してからは、ほんのたまに瞬間的にわずかに現れました。つい先ほどもありました。ちょっぴりですが。
> ドナ・ウィリアムスが小さい頃きれいな光の玉を見たようなこと書いていましたよね。本が手元にないので記憶が不確かですが。私は、小学2年生のときだったと思うのですが、色付きのきれいな透明の玉を下校途中に何度か、見ました。植え込みの草木に緑の透明な玉がポンポン並んでいました。(音はしません。)空にはピンクや黄色の玉が浮かぶのです。この色付き玉の現象は数ヶ月でおわり、それから後は2度と見ていません。
> このようなことは、眼の病気か、栄養不足のせいだと思い、長い間あまり気にしていませんでした。それとも、ASに関連する症状なのでしょうか?どなたか、同じような経験のある人、あるいは医学的に説明できる人、何でも結構ですから、この現象に関して、レスを下されば幸いです。
これは恐らく、『飛蚊症』という現象を体験したのだと思います。
眼球の内部には『硝子体』といって、角膜→水晶体と進んできた光が網膜へ向けて通っていく透明な液体が満たされた空間があります。
硝子体の液体の中には、眼球の内部の血管に由来する(?)、繊維や赤血球が浮かんでいます。スクリーンへ向かって放射されている光の経路にボールを置くと、その部分だけ光がさえぎられるので、スクリーンにはボールの影ができますが、それと同じで、網膜にその繊維なり赤血球の影ができ、水玉や糸くずが視野を上から下へ流れていくように見えるのです。
飛蚊症はありふれた現象で、周りの人にうかがうと分かるかと思いますが、どんな人も体験しています。ただし、とても頻繁に糸くず・水玉が飛ぶ、視力が低下してくるというのは、目の内側の血管系が相当痛んでいるということになるので、直ぐに眼科を受診したほうがいいようです。
自分もよく水玉・糸くずを見ます。
りるさん wrote:
> 「考えることに関して一定以上の能力を持ち、かつ好きな人/そうでない人」かなあ、とも思います。
自閉ちゃんのだんごむし探究にかける熱意を知っているあたしとしては、知的水準うんぬんよりも、熱意とか探究心とか知的好奇心の問題だと思います。
> 通常、日常生活では、こなさなければならない仕事が多いから、いちいち「考えること」をやっていたら生活が立ち行かない。また、日常生活の中で、いろいろと思考を要する重要な案件を抱えている場合は、「何か根源的なものについての考え」まで考える余裕がない。ですから、その部分は「そういうことになってる」「そういうものなんだ」で済ましておく、というのは確かにひとつのスキルだと思います。
変革はつねにリスクを伴う……つまり、「何かを変えるとたいていの場合、まずいことが起きる」というのはノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンさんも言っています。ですから、人間は「制度的行動」の外に踏み出すことを恐れます。特に物事が順調に進んでいるときは、人間はめったに方針を転換しません。
ところが、現状がまずい方向に向かっている場合は、そういう訳にはいかないわけです。こういう場合に問題になるのは「時間が解決してくれる」タイプの問題ではありませんし、「とにかくやってみる」といったアプローチも通用しない場合がほとんどです。
考えることが好きな人は、「危機的状況」、すなわち「修羅場に強い」タイプなんじゃないだろうか、と思います。
> ですが、「理性」が「自分の外」にあったら、私は逆に怖いのですが…。それはまぎれもなく「自分の一部」であり、私の自我を形成するものの中でも非常に重要な部分だと思うからです。
「世の中には科学では証明できないこともある」とか「世の中には理屈で割切れないことがいくらもある」とか言ってる連中もいます。自分の印象とか思い込みとか信念とかが「自分」であり、「理性」というものはその「自分」を脅かすものであり、しかも「科学的あるいは論理的な説明」が理解できない(というより、納得できない)ものである場合、理性の否定、たとえば反科学に走るのは当然のことのように思います。
> 逆に、「私が理解できないことは、それが私には重要でないから/必要でないから」と感じているのですが、これはどうなのだろう…。
演算子法なんかはあたしにとって重要かつ必要ですが、とりあえず使えるので理解できなくてもあんまりキモチ悪くありませんでした。
自動車の中身がわかんなくても運転できる人はいるわけだし、それが気になる人と気にならない人がいます。「下り坂ではギアをセカンドまたはローに入れる」というのが、「そういうものだ」で納得できちゃう人と「理屈がわかんないとキモチが悪い」という人がいるように。
> 「理解できる/できない」の話を、このスレッドで話題にしていたような「思考」とはまた違った「能力」のレベルでいえば、
> 私は数学や物理学がほとんどわかりませんしできませんが、特に「できたい」とは思っていません。
> (それは、自分には、数学や物理学のほかに、標準的に、または標準以上に「できる」能力があると自覚している安心感から来るものなのかもしれませんが)
宗教や芸術に関しては以前はあまり興味がなかったのですが、そういうことについて知らない、あるいは興味を持たないことで人間的に劣っていると決めつけられる体験をしてからいろいろと研究をし、けっこう面白いと思うようになりました。
そうなったらそうなったで、「それは“本当の”理解ではない」とか言われて非難され、要は「自分は優れているのだ」という思い込みを補強するためにそういうものに接する人が多いことにうんざりしました。
海外旅行をどれだけしても「国際人」になれないタイプの人もいる、ということです。現在の西欧的的な数学や物理の基本的な「思想」のようなものが肌に合わないのかも知れません。アラビア数学や和算なんかだったらけっこう性に合うのかも。
> 例えば、私が日常会話程度の英語を話したというだけでいじめに遭ったことがあるのですが(かなりあとになってから気づきましたが)、妬んだりいじめたりする=「自分はそれができない」ことに「コンプレックス」を持つ、ということは、それが「できたい」からではないのか?と思っています。で、「できたい」なら「できる」ように努力すればいいのに、と思ってしまいます。
> 逆にいえば、「その分野は特にできたいと思わない」なら、「できる」人に対してコンプレックスや妬みも生まれようがないと思うのですが。
> 特に英会話なんかに関しては、「できたい」よりも、「仕事上それを要求されてしまっている」「『できるのがイイ』という社会通念に振り回されている」という側面もあるのかな。
英会話よりラテン語が役立つ人もいるわけで、これもステータスのよりどころとしての意味が大きいのではないかとおもいます。
(Maria)
私は子供の頃、赤や青や黄色の猫の目のような形をしたものが縦にならんで、上から下へと落ちて行くのをよく見ました。必ずしもではありませんが、私もトイレに入っているときに見えることが多かったです。それで、母親は、「きっと、光の種類の違うところに行ったから目の錯角で見えるんだよ」と言いました。私も、そうか、目の錯角かと思い納得していたのですが…。でも、それなら、なぜ、今は見えなくなったのか、不思議です。そのほかにも、子供の頃はよく、目をつぶると、うずまき模様など、いろんな物が見えてきて、うまく、寝つけなかったのを覚えています。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami